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ちなみに、恵林寺の開山は夢窓疎石で、絶海中津は貞和4年・正平3年(1348年)に上洛して天竜寺に入った。観応元年・正平5年(1350年)に剃髪し、翌年に師匠である夢窓疎石が死去するまで、その側近として常に侍った。絶海は夢窓疎石の死後の応安元年・正平23年(1368年)2月には明に渡海し、洪武9年(1376年)には明の太祖である洪武帝(朱元璋)から謁見を許されている。帰国後、足利義満・足利義持二代の将軍の帰依を受け、同じく津野の人である、義堂周信とともに、臨済宗夢窓派の発展に寄与した。
永禄7年(1582年)には武田晴信(信玄)が寺領を寄進し、美濃崇福寺から快川紹喜を招く。天正4年(1576年)4月には、快川を大導師に信玄の葬儀がおこなわれた。
天正10年(1582年)4月3日天目山の戦いで武田氏が滅亡したあとに、恵林寺に逃げ込んだ六角義弼の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠軍による焼き討ちにあった際、快川紹喜が燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して焼死したのは有名な話。
NHKの大河ドラマ「篤姫」の中で、島津斉彬が篤姫を近衛忠熙の養女としてから、将軍家定に嫁した。忠熙の正室島津興子は薩摩藩主島津斉興の娘(実は前藩主・島津斉宣の娘)であったことからとの説明があったが、近衛・島津の関係は恐ろしく古くからももので、この近衛前久が島津に頼ったのも平安時代からの密接な関係があったからに違いない。
薩摩・大隈・日向の三ヶ国にまたがる島津荘は、平安時代以来近衛家の荘園だった。ところが、鎌倉時代になると、源頼朝の庶子惟宗忠久が島津荘下司職に任じられて薩摩に下向した。島津家の始祖となった忠久は、以後地頭職に任じられ、近衛家の荘園を次々と侵蝕していくが、建久8年(1197年)に薩摩・大隈の守護職に補された頃から、近衛家との関係を修復していく。広大な島津荘に割拠する旧勢力を支配下に組み込むためには、近衛家ならびに朝廷の権威を借りたほうが得策であることを悟ったためで、以後島津家は近衛家を領家ちあおぎ、密接な関係を保つていくことになったとか。
・・・以上、安部龍太郎先生からの受け売りでした。
永禄7年(1582年)には武田晴信(信玄)が寺領を寄進し、美濃崇福寺から快川紹喜を招く。天正4年(1576年)4月には、快川を大導師に信玄の葬儀がおこなわれた。
天正10年(1582年)4月3日天目山の戦いで武田氏が滅亡したあとに、恵林寺に逃げ込んだ六角義弼の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠軍による焼き討ちにあった際、快川紹喜が燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して焼死したのは有名な話。
NHKの大河ドラマ「篤姫」の中で、島津斉彬が篤姫を近衛忠熙の養女としてから、将軍家定に嫁した。忠熙の正室島津興子は薩摩藩主島津斉興の娘(実は前藩主・島津斉宣の娘)であったことからとの説明があったが、近衛・島津の関係は恐ろしく古くからももので、この近衛前久が島津に頼ったのも平安時代からの密接な関係があったからに違いない。
薩摩・大隈・日向の三ヶ国にまたがる島津荘は、平安時代以来近衛家の荘園だった。ところが、鎌倉時代になると、源頼朝の庶子惟宗忠久が島津荘下司職に任じられて薩摩に下向した。島津家の始祖となった忠久は、以後地頭職に任じられ、近衛家の荘園を次々と侵蝕していくが、建久8年(1197年)に薩摩・大隈の守護職に補された頃から、近衛家との関係を修復していく。広大な島津荘に割拠する旧勢力を支配下に組み込むためには、近衛家ならびに朝廷の権威を借りたほうが得策であることを悟ったためで、以後島津家は近衛家を領家ちあおぎ、密接な関係を保つていくことになったとか。
・・・以上、安部龍太郎先生からの受け売りでした。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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