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 龍馬甲子園2010大賞の大森氏が披露されたように、龍馬さんが蝦夷開拓を目指し、なお北上して樺太からシベリア、アラスカと歩を進める夢を語って居られたが、果たして時系列上それが可能であったかどうか。

アラスカ発見は、1648年、ロシアの探検家セミヨン・デジ二ョフだ。彼がベーリング海峡上の島・ダイオミ―ド島に到達した最初のヨーロッパ人となった。
さらに時を経て、1728年にブイトス・ベーリングが再発見・命名したとされる。
アラスカの名前はアレウト族の言葉で「半島」を意味するAlakshak(アラクショク)からとされている。

ロシアは19世紀後半に至ってアラスカに植民を行っていた。
しかし、ロシアはクリミア戦争後の財政難に苦しんでおり、資金調達のため、1867年にクリミア戦争の中立国だったアメリカ合衆国に売却した。
この交渉をまとめたのは国務長官であったウイリアム・N・スワードだ。
586,412平方マイルの土地を720万ドルで購入した。
これはテキサス州の2倍以上の広さにあたり、購入価格は1エーカー(約4000㎡)あたり約2セントの計算だ。

辺境の地を購入したことについて、当時アメリカ国民は『スワードの愚行』『巨大な冷蔵庫を買った男』などと非難したとか。しかし、その後豊富な資源が見つかったり、主に旧ソ連に対する国防上重要な役割を果たすことになり、現在では高く評価されている。

ところで、この1867年と言えば龍馬さんが長崎で海援隊を立ち上げた頃で、まだ時期としては、せいぜい蝦夷地に乗り込んだとしても、その地の開拓で精いっぱいの状態と考えられる。
そうなれば、ロシアから買い取るのには無理があるが、購入当初のアメリカ国民の不評を考えれば、その後10年ー20年後には日本国も発展し、アメリカから安く買い取ることも可能だったのではないかな。
1896年にはカナダのユーコン愀で金が発見され、続いてアラスカでも金鉱が発見されてゴールドラッシュとなっているそれまでの勝負となったはずだ。

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