忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[786]  [785]  [784]  [783]  [782]  [781]  [780]  [779]  [778]  [777]  [776
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 世の中今や龍馬本が溢れていて、土居晴夫先生に言わせれば、昨日まで新撰組を書いていた連中が、皆して龍馬本を出している状態です。
ざっと立ち読みして面白い内容が書いてあればと思い手に取ってみるが、ほとんどが受け売り、孫引きの域をでない。これで金が取れれば苦労はしない。
そんな中、歴史群像スペシャルという一見グラフィックな雑誌の表紙に『特集・長宗我部元親と一領具足たち』とあった。
勿論、本命は『風雲児こんな男そうはいない!坂本龍馬・新しい日本を創造した不出生の雄』と賛辞てんこ盛りの総力特集であります。

たいがいの龍馬雑誌を見てきたが、長宗我部元親と並べて書いている物は見たことが無い。
心中、もしやと思いページを繰る。
岡豊の姫若子と呼ばれた元親の生涯を①土佐統一②四国平定③秀吉来寇すとあって、④関ヶ原から大坂出陣への章で、お目当ての文章が、事実がありました。
無断引用『関ヶ原での戦闘終了後、盛親は立石助兵衛と横山新兵衛の二人を使者に立て、かねて懇意の井伊直政を介して家康に謝罪した。さらに盛親自身が上坂して謝罪したものの、帰国後に寵臣の久武親直の勧めによって兄の津野親忠を謀殺したことが家康の逆鱗に触れ、土佐を没収されてしまうのだ。』

この事により土佐を受け取ったのが山内一豊であり、ここに土佐の上士と下士(長宗我部遺臣・郷士)というまれにみる厳しい身分制がひかれる事になった。
そして、この250年に渡る鬱憤が幕末・草莽のパワーを生み出す源となった。
その大本に津野が関わっていた訳だ。
ここで龍馬と津野が繋がるわけだ。・・・私が龍馬に拘るDNAであるのかな。
Scan10035A.jpg

























拍手[0回]

PR
 
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
[786]  [785]  [784]  [783]  [782]  [781]  [780]  [779]  [778]  [777]  [776
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/30 つのしん]
[01/30 さくら]
[01/30 さくら]
[10/06 かめいち]
[10/03 庫山堂]
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]