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クラブスタイルのボサリオも振り返ってみれば3年余り続いた。
いまや明石駅正面となっている新納ビルの2階。40坪近くの広いワンフロアを借り切って、俺も馬鹿だったんだ、思いっきり豪華絢爛な内装を施し、デザイナー大北某に頼んでレイアウトを考える。もちろん内装工事は永田親分直轄の明石土建さんにおねがいした。開店間際の追い込み工事で、WCからボヤを出したりして、考えられないドタバタのなか、何とか開店。エレクトーンの生演奏にお店の壁面に特大スクリーンを貼り付けて、ちょうど開催中の大阪万国博のスライド写真を映し出す。ついでに歌の歌詞を写して、エレクトーンの生伴奏で、お客に気持ちよく歌わせた。巷にはまだカラオケの爆発的流行の兆しも無かった頃のこと。
ところでこの業界で一番の苦労は、ホステス集めとヤクザヤさん対策。当時明石の歓楽街桜町もなかなか盛んで、老舗クラブも数軒ありました。その連中からみれば、断りも無く駅前でクラブでございと、店を張っているのが目障りでしょうがなっかたに違いない。
明石といえば、神戸のY組の直系の親分さんがたくさん居られて、その組同士が凌ぎを削っていた頃です。
どこかのお店が、ちょいとボサリオを観ておいでよくらいの頼みをしたんでしょう、それらの組の若い衆が入れ替わり立ち替わりやって来る。そのうち店のナンバーワン・ツーの若手二人が、ある組の親分と、若頭の愛人になる始末。我々素人はアレヨアレヨと横で見ているしかありません。ヤクザヤさんも親分ともなると、なかなかの貫禄で、お店ではきれいな遊びをする。これだけは関心しました。しかし、他の極道とやらが始末に終えない。それも幹部級の連中でなかなか顔の利いたあるグループが連日押しかけてツケを残して帰った。
ホント世間知らずだったのかどうなのか、よせばいいのにその連中がマージャンをしている雀荘に集金に出向いた。そのときの連中の目玉をむいた表情をいまだに覚えている。これがその後の恐喝事件の発端になろうとは。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)