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 今、「正成と道誉」を読んでいます。
たまたま、サンケイ新聞社神戸支局に龍馬レター選考会の広報をお願いに、チサンホテルの北側を目指して行く右手。湊川神社が何時もの清々しい佇まいでおわします。
三宮からテクテク歩いて来た途中、三宮神社、走水(はしゅうど)神社とお参りをした。
となれば、あらためて龍馬さんも参った湊川神社を素通りするわけにはいけません。

日ごろは、このあたり湊川神社より菊水煎餅のほうが気になる信心のなさだが、今日は御門から威儀を正してのお参り。すぐさま目につくのは大楠公御一代記。横山大観の筆による美々しい絵巻が掲示してあります。
稀代の知将で知られる楠木正成公はこの湊川の地で激戦の末、弟正季公と「七度人間に生まれて朝敵を滅ぼそう」(七生報国)と互いに誓い合い、兄弟刺し違えてその生涯を閉じられた。
後に水戸光圀公がその名を惜しんで「嗚呼忠臣南子之墓」を建立されてからは、勤王志士の心のよりどころの1つとされ、吉田松陰、真木保臣など多くがお参りをした。
その子の正行・小楠公との桜井の別れも、青葉の笛の歌と共に有名だ。

ところで、楠木親子がそこまで尽くした後醍醐天皇は、その誠心誠意を充分受け止められたかというと、そうは思えない点が多々ある。そもそも醍醐天皇の親政を目指しての建武の中興という政治改革は、やはり理念・観念ばかりが先走って、やがては足利尊氏にその政権を奪われてしまった。 
大楠公の必死の建言、策言もそお身分の低さから取り上げられず、みすみす自滅の道を辿った。
そして天皇親政の三度目の試みが明治維新と言う事になる。
楠公さんはこの有様をどう見たんだろうか。そして今回の政権交代おも。・・・気になるところです。
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