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お昼にご当地らしいものを求めて行き着いたのが山川港。特産市場「活(い)お海道」の看板につられて偶然車を止めたのが山川ー根占を結ぶフェリーの船着場でした。この間のフェリーがあるのは知っておりましたが、はからずもフェリー待ちの最後尾に並んだとは。海道のかつを丼のおいしそうな幟を見ながら、大隈半島へここから渡れば宮崎行きには相当時間稼ぎになることはわかっている。ただ予約なしでも受け付けることを確かめて、乗船することに決定。うらめしく市場へ向かう人々の後姿を眺める。
ほんと20分ばかりの待ち時間でフェリー乗船となった。このタイミングはこの連休の時期、奇跡的といえましょう。
別名鶴の港とも称される山川港は、九州南端に位置することから南蛮貿易における重要な中継地のひとつであった。1583年(天正11年)からは島津氏が直接支配するようになり、文禄・慶長の役や1609年(慶長14年)の琉球出兵においては島津氏の拠点港として重要な役割を果たしている。鎖国以後は薩摩藩による琉球貿易や砂糖輸送の拠点となっていた。1858年(安政5年)には勝海舟率いる咸臨丸が寄港し、1859年(安政6年)および1862年(文久2年)には流罪になった西郷隆盛がこの港から奄美大島および徳之島に流されている。
いまは往時の名残もない漁港となっている山川港に感慨を残して海上50分で根占港に到着する。
心なしか大隈半島のほうが南国の風を感じたのはなぜだろう。
鹿屋・志布志と志布志湾に沿って走り、野性馬の放牧で有名な都井岬を目指した。
途中漁師さん直営の物産館にたちより、田舎弁当とひらまさのお造り、一パック299円を買って昼飯とした。
ひらまさプリプリ御馳走様。
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旅に出た時は必ず地元新聞に目を通すことにしているが、宮崎日日にしろ熊本新聞にしろ、地方紙の大半に神戸新聞と同じ「親鸞」が連載されている。
五木寛之渾身の大著となろうこの親鸞。実に毎回新しい発見、新しい知識を読者に提供してくれる。
最近ではお釈迦様は一行の文章も書かれなかったことを教えられた。「その生前の教えは、当分の間はやさしい詩のかたちで、口承され、人々に伝えられた。これを偈と言う。やがて、それらの偈を文字にしてまとめる動きが始まる。これが経典の成立だ。そして時代とともに数万巻の仏典、経論が生み出された。誰もが憶えてうたえる教えの詩が、こうして学問となった」とか。
今は綽空と名乗る若き日の親鸞証人が、法然上人のもとで修行にはげみだした頃の、法然上人の教えと自分の理解の乖離に悩む日々を生き生きと活写されている。
この国に正式に仏の教えが伝えられたのは、百済の王家から大和の朝廷にもたらされたとされているが、この頃は仏事は当然国事であり、政、外交の大きな公務であったはず。
それがようやく法然上人の頃、仏の道を釈尊の正道に戻す動きをみせるようになった。
まさにその現場を五木寛之は我々に伝えようともがいているように思える。
どうか皆さん、この親鸞を必読されんことを。

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昨夜は12時前にやっとのことで鄙びたラブホを見つけやっとのことで寝床にありついた。思いがけないことにこのテルホのお風呂ががなんと温泉。さすが火の国、桜島は霧にかすんで見えないけれど、おかげを頂いたと感謝。
指宿と言えば砂風呂。途中の道の駅も早朝から賑わっていて、指宿の公営砂風呂・砂楽へ電話をいれてみると駐車場に入るまでに2時間待ちとか。同じ方向に走っていいる殆どの人が殺到しているわけだ。
とにかく砂楽の前まで行ってみることに。
NBVIちゃんのお陰で迷うことなく砂楽に到着。入場町の車の列の最後尾までたどってみたもののとてもじゃないが、この列には並べない。
あたりを見回すと、この状況を見透かすように、ホテル付属の砂むしの看板が目についた。
そのうち良さそうな「指宿いわさきホテル」の砂風呂に向かうことに。問い合わせてみるとこちらは15分の待ち時間だ。
このいわさきホテルがとんでもなく巨大で、今も確認のためホームページを見ているんだけど、砂風呂施設は全体のほんの一部だったらしく、今度はこのホテルにはなから泊まろうという気にさせる程。
地熱を利用したエコなお風呂に10人一組で砂に埋められていく。じかに当たる足のかかとやふくらはぎは低温やけどの心配をするほどに熱かった。子供たちは早々に逃げ出してゆく。
掛の人にショベルで埋められるのは思ったより気持ち良く、頭の中を空っぽにしてしばし瞑目。
波の音が心地よく、顔面から汗が噴き出してくる。
持ち込んでいたカメラを見つけて写真まで撮ってくれる親切。
ここの砂むしのいいところは、浴衣のままですぐそばの大温泉プールに入って砂を落とす段取りになっていること。水平線を眺めながらプールで一息だ。
シャワーで砂落としの仕上げをして4階にある温泉に直行する。このお風呂がまたよかった。
太平洋を見下ろしてフリチンで仁王立ち。前立腺摘出手術で全く元気のなくなった我が息子もちょいと存在感を感じるくらい。
ホテル入口のフラワーショップでどこかおいしいお昼ご飯屋はと聞くと、山川港の名前が出た。
山川港と言えば勝海舟も龍馬さんも訪れたところ。さっそく港目指して走ることに。
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松橋ICから九州道。八代JC(八代亜紀の出身地)・人吉と辿り、えびのPAでは周囲の山容に見とれる。
えびの高原・霧島と続く山波。ここで宮崎と鹿児島への分かれ道。加治木を過ぎれば鹿児島空港間じか。
実は37年前、神戸商大サッカー部同期のマネージャー・則純幸の結婚式に呼ばれて飛行機で鹿児島へやってきた。薩摩隼人らしい太いまゆげで、もったいないぐらいの美人花嫁を紹介してくれた。結婚式披露宴はどこだったか思い出せないが、宿は城山観光ホテルに取ってくれていた。式が終われば、御両人は何処かに消えちゃうし、一人さびしく天文館とやらへ出かけたが、ちょうど太陽国体開催中とかで、噂に聞いていた悪所も規制が入り全く面白くなかった。
そんな思いでを弘子ちゃんに話せるわけがない。
鹿児島についてまずは宿を探したが、5月3日といえば連休2日目、どこを探しても空いているホテルなどありません。こんなところがと思うさびしげなホテルでも満室・満室のオンパレード。これは駄目よと諦めて、天文館見物を済ませることにした。
秘かに胸弾ませて訪れた天文館には、どこを探しても昔の面影はありません。
通りの時計屋の親父さんを捕まえて何処か鹿児島料理の名店を教てとお願いすると、即座に「さつま路」を教えられた。
食事を終えてせっかくだからと城山をドライブ。といってもホント裏山といえるほどの近さ。この山に西郷どんが
西南の役の最後に立てこもったにしては小さな山。この山を3万の政府軍が囲んで敗軍の兵を追いつめた。
展望台から眺める地元自慢の夜景もまあ1万ドルぐらいのものか。別府晋介に首を刎ねさせた西郷南州最後の地まではたどれずに山を下りた。
宿が見つからぬ鹿児島よりも指宿目指してはしってみることにした。
走行累計963キロなり。
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翌朝9時チェックアウト。豪華な宿はこの日限り。大宮神社へお参りして山鹿灯籠を詳しく拝観する。
神さびた境内に猿田彦像が群をなして集められていたのは壮観。古来人々の思いが如何に多様で奥深いことか。今の時代この宇宙が誕生して40億年たったことや、可視宇宙は全体の4パーセントにすぎないことなど知った上で悠久を思うのと、猿田彦に模した自然石にさえ萬の神を求めた古人の思いの切なさを比べながら神社を後にした。
熊本城へは植木を経て25キロばかり。残念ながら田原坂を訪れる時間が無かった。
未だに官軍・薩軍の放った鉄砲の弾が、空中で激突してそのまま一体をなした残弾が土中から現れることがあるとか。西南の役の最激戦の地に行けば、多分穏やかな気持ちでは居られなくなろうかとの心配もありました。
それにしても熊本城のお堀の深く、城壁の急なること。西郷軍もこれでは手が出ない。もともと民情不安定な肥後に入国した加藤清正が渾身の縄張りをしただけのことはある。百間壁に感服しながら、とうとうお城には上らずちょうど開催されていたお城祭りの熊本各地の名産屋台村に入り込んでのぞいて回る。弘子ちゃんも阿蘇のだご汁を頂いてご満悦。阿蘇の湧水を使った昔ながらのサイダーも乾いた喉に心地よい。行幸橋たもとの加藤清正公像には挨拶を欠かせない。二の丸駐車場を出たのが12時30分のこと。
お昼をどこにと思っていた時、有名なうなぎの徳永本店前を通りかかった。これ幸いと飛び込んだのは言うまでもない。ところで熊本駅周辺は今、新幹線の駅新設にからんで建築ラッシュの真っ最中。これまでがあきれるほどさびれていた感じ。不動産屋の性が出た。
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