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伊勢湾道路に入り、長嶋スパーランドの威容を横目に観て、今日も渋滞の四日市IC付近でバイクの大集団に遭遇。100両はおったでしょう。隊長の指揮が行き届き、一糸乱れぬ隊列は実に清々しい。日頃うるさいだけの暴走族とはまるで違った。伊勢バリアーと称して伊勢道路の終点に至る。
ところで伊勢神宮の祭司様は池田厚子様。天皇陛下の御姉上。
というのも、今日は11月23日の新嘗祭が執り行われている。皇居では天皇陛下が、そして伊勢では厚子様が司祭として、外宮・内宮に順番に執り行われ、五穀豊穣を神様にお礼するお祭りだ。
そういえば、妹の嫁ぎ先の母屋も新嘗祭を司どる旧家であるそうな。
というわけでこの日のお伊勢さんは、駐車場満杯の大渋滞。土地勘のない所で順番を待たせられるのは実にまどろこしい。しかし、お伊勢詣りということで大人しく順番を待った。
神宮入口の駐車場にやっと案内されて、勇躍宇治橋を渡る。五十鈴川の清龍に手を浸しやっとお参りにきたらしくなった。思い出せば17年前(平成4年)、長男の就職間際だから3月に家族揃って伊勢志摩旅行をしたもんだつた。あの当時はまだ母親・みつえさんも元気だったのに。
本宮へと急ぐ途中、突然人並みが途切れて、斎服の一団が一列になって、静静と進んでくるのに遭遇した。
先頭を歩まれる女人が池田厚子様に違いない。高貴な御姿に思わず頭が下がる。おれも大和男児にちがいなかった。
本宮前はお正月に次ぐ大勢の参拝者でごった返していた。それでも皆さん笑顔・神妙顔が交互して静かに行列に並ぶ。
この神様にこそ前立腺がん快癒をお願いしなければ。一心の祈りを込めて長い長いお祈りを済ませる。
あとはお札を頂いて、おかげ通りに直行だ。あの赤福も完全復活しいぇ、以前より流行っているんじゃないのかな。赤福ぜんざいを頂いたりして、鳥羽・美空伊勢エビ料理店の予約時間に間に合うのかな。
早朝6時、眼前にそびえるトヨタ自動車本社の威容も黒々とした影にしか見えない。辺りはまだ真っ暗闇だ。
昨日降りた豊田松平ICに戻り、あとは153号を急ぐ。あの渋滞は万が一も無かろうと目を凝らしながら道を急いだ。追分の合流点を早く抜けないと昨日の二の舞だ。幸い目指す追分は簡単に通り抜けた。
臨時駐車場に放り込まれた昨夜は、そこからかなりの距離を歩かされたことを思い出し、出来るだけ近くの駐車場を、出来れば入口の大駐車場をと、川沿いを走る。
香嵐渓入口に着いたのが6:30頃か。しかしすでに一番便利な駐車場は満杯の看板。沿道の庭先で少しでも空地があれば、全てが臨時駐車場に早変わり。少し奥まった場所へは旗を持った案内人がまるで客引き状態。誘導のおじさんの旗のとおり進んで行きついたのが、待月橋を左に見て、対岸をかなり奥まで進んだところ。足助屋敷の裏側に通じる橋の袂でした。
昨夜のライトアップは、ほんと真っ暗闇のなか、どう歩いたのかよくは分からなかったが、一応足助屋敷から西の入口までの地理は頭に入っている。もう朝日が対岸の山々を照らす。山影になって、モミジがおひさまに照らされるのは、お昼をすぎてからになりそう。と思って足助屋敷の奥を見ると、そこはドッグレッグしていて、朝日に照り輝く紅葉が見える。一の谷という一角だ。
待月橋の袂から河原に降りて、モミジを見上げる。足助屋敷のかやぶき屋敷を眺めたり、一の谷に架かる吊り橋を怖々渡ったりする間も、香嵐渓に押し寄せる人並みはますます多くなる。
朝飯抜きで飛び出したことで、お腹もすいたことだし、名古屋地方のモーニングとやらも食べてみたいということで、伊勢に向けて出発したのが9時前でした。153号を逆に、もとの豊田松平ICへ走ったのですが、もう駐車場の出口から車が連なり、延々細い県道を優に10K以上連なってほとんど動かない。
我が作戦がかなり正解だったと弘子ちゃんと顔を見合す。ICちかくの喫茶店で頂いたモーニングは名にしおう
豪華版で美味しかった。あれでは儲けにならんだろうに。
いままでの人生、弟は兄貴が両親の過度な期待を背負わされ、こけつまろびつする姿をじっくり眺め、登れない山はまわり道。千尋の谷は覗きもしない。たいがいの兄弟の有り様だ。これが兄貴の出来が良すぎて、それを弟がまねできないとなると、いろいろ不都合が生じてくる。我が兄弟は前者の典型で、大学にしてから俺は2浪で弟は現役。しかし今回初めて、後から付いて行くことを覚えた。楽だねー。
病院選びにしても、彼は明石市民を選んだが、私は知人のDOCTORのいる がんセンターを選んだ。なんといっても年間手術数が違っている。ただし大学はどちらも神戸大学医学部系であるそうな。
午後7時、次男から弘子に「親父どうする」との電話が入る。よこでやり取りを聴いていると、いろいろと痛いところをついてくる。よう見とると感心させられる。その彼が、ブログで早く手術しますと決意表明すべき。一度そう書いたら、もう迷いもなくなるよと忠告。・・・そうするか。
最後の長考一番。やはり手術との結論に至る。決めては①根治を目指す②がんセンターの実績としてステージT2での手術116零例のうち余命10年・100%であること・まさかの手術失敗もないこと③経過観察も考えられるが、いまは軽い糖尿が進むと手術不可となる。そして弟の手術を終えた明るい声。
兵庫県粒子治療センター・有村先生の懇切丁寧な説明を聴けば、粒子だと思い、いろんな解説書を読んで、再発後の手段が一番多いのは摘出手術だと思う。難点はどうしても手術を受けている自分が想像つかない。
母親のみつえさんは徹底した医者嫌いで、たぶん子宮がんだったのを、最後まで言わずに、我々が知ったときには手遅れもいいとこだった。その気質をどうやら私が受け継いでいるのは、今回のこの悩み様で間違いないと分かった。その他の立ち居振る舞いといい、かなりしぶといことといい、どうやら母方の血が濃い。
父親も胃癌で死なせたが、いま思えば、やらずもがなの手術で命を速めたかも知れない反省があります。
しかし、流動食・遺漏栄養もまだまだの頃、食道までガンが大きくなって、嚥下障害を起こしていたことから、どうしても胃の全摘をするしか方法はなかったとも思います。
実は私がPSAの検査を受けたきっかけが、弟の前立腺がん発症にあります。定期健診でPSAがかなり高いことから、市民病院で診察を受けた結果、ステージBno前立腺がんと診断が下った。さっそく手術の手配となったが、兄貴も腫瘍マーカーの検査をしておいた方がいいとの忠告をしてくれた。
念のため、鈴木クリニックで検査の結果、6-7の数字がでて、あわてて平井泌尿器で再検査、やはり同じような値がでて、がんセンターへの紹介状となったわけ。
弟の手術が11日、ちょうどその日はわたしもMRIの骨シンチのCTのと検査検査で見舞ってやれなかった。
粒子線センターの井上先生あてのアンサーを届けるべくがんセンター泌尿器の診察室をのぞくと、井上先生が開口一番どっちにするの。おもわず、まだ決めてませんと返事しちゃった。この往生際の悪さは何だろう。弟も尿管のひっつきがまだで、退院が一週間延びたと電話してくる。
豊栄町の交差点角にプラザホテル豊田を見つけて飛び込む。メンズサウナ24Hと大書した看板があり、その奥にビジネスホテルらしき入口・ホールが見える。入口横歓迎看板には、トヨタ退職者何某激励会なんぞの字が躍る。予想とうりトヨタ御用達のホテルと見た。
クロークの時計をみるともう10時を過ぎている。対応に立った女性を見てびっくり。かなりなヒナマレ(雛には稀な)美人・安江嬢。こうなれば泊はここにしようと即決して、ツインの部屋を頼んだ。
食事を聴くと、サウナ付属の居酒屋が2時までやっているとのこと。定食の割引もありますと親切この上なし。
しかしどこか彼女に元気がない。おもわず、ところで豊田市の景気はどうですかと問うと、すかさず、憂いを額に集めて、だんだん景気が悪くなっているようです。アメリカ発の金融不安・自動車売上不振以降、出張にお出でになるかたはむしろ増えたようですが、予算が絞られているのか、お金をお使いになりませんと溜息。
ついこの間、半年ほど前まで、史上最高の売上を誇り、怖いもの無しと思われた天下のトヨタに俄然暗雲がたちこめたことが、トヨタ本社に一番近いビジネスホテルが売りのプラザ豊田でさえ被っている影響から分かった。男性客のみが利用できる、サウナのサービス券を頂いて、私だけが何とかの皺を伸ばさせていただきました。明日は、6時には香嵐渓へ出発すると言い残して早々に高鼾。しかし、これがまだまだ甘かった。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)