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弟・啓三から電話「6日に神戸文化ホール(大ホール)で県立伊川谷北高校吹奏学部の定演が有るがいかないか」とのお誘いだ。JAZZ畑の弟が吹奏楽のコンサートへ行こうとは珍しいこと、何かあるなと言葉を待つ。「呉信一君が客演だそうだ。」 その一言で心動かされる。呉信一京都市立芸術大学教授は今や日本で3本指に数えられるトロンボーンの大御所。ハイブリッドプレーヤーであり、明石高校音楽部の後輩でもある呉君(高19回)と松井君(高20回)の組み合わせを聴き逃すわけにはいかない思いがあります。
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今をさること50年前、明石高校に入学と同時に音楽部に入部して最初に教えを受けた行進曲の練習が呉幸五郎先輩指揮による「ナショナルエンブレム」と「グラジュエイター(剣闘士)」。本職の有永正人先生よりこのときの印象がまことに鮮やかに残っている。呉先輩はなぜかその頃、仕事の合間とゆうよりも、音楽部の練習を最優先されているのではと思えるほど、頻繁に現れてはご指導を賜った。
呉という名から計り知れるように、かの有名な呉錦堂の御子息であられた先輩には、さまざまな富豪伝説が伝えられており、また関西のクラッシック音楽界に知己多く、とくにマエストロ朝比奈隆氏との交流は友情以上のものが有ったという。その富豪伝説の一つが、一人だけ木管クラリネット・クランポン製伝説です。もともと戦前の旧制中学の音楽部否むしろラッパ隊は、勇壮な行進曲・ファンファーレ演奏をその目的としていて、金管ばかりの編成が主流でありましたが、ちょうど呉先輩が入学された中13回(昭和15年卒)のころから木管も加えての編成となりだしたようで、そんな中、クラリネットといっても、金管製の代物しか手に入らなかった時代に、呉先輩だけは、クランポンかセルマー製のバリバリ舶来クラリネットを吹いておられたとか。後に我が音楽部が全日本吹奏楽コンクールで5回もの優勝を飾ることが出来た原動力の一つに、呉先輩のこのルートが大いに生かされて、音楽情報はもちろん、朝比奈マエストロを招いてその教えを乞うことが出来たことことがあげられると今思い出しています。
その呉先輩から、息子の信一が明石高校に入学して音楽部に入るといってんだけど楽器はトロンボーンをやりたいらしい、宜しくと声を掛けられた。これが呉教授との最初の出会いといえる。年齢は7歳下でTBは初心者との話だつた。呉教授の天分を悟ったのが、この翌年の明石公園で行われた納涼コンサートに同じパートで演奏した際だった。僅か1年半でとんでもない音を出し、なおかつスライドワーク抜群で、音のつなぎも非常に滑らか。12・3年は吹いていて少々自信もあった私の目を剥かせる雰囲気を感じたものです。このただ事ならぬ才能は、父君のかいがいしいご指導もあって、その後大阪音楽大学に進まれ、卒業後大阪フイルハーモニー交響楽団に入団とあとは皆様ご周知の活躍を遂げられて、我々TB吹きの頂点に君臨される存在であります。
その彼が、松井隆司指揮の伊川谷北高校吹奏楽団にゲスト出演されるという。・・これを聴き逃す手はない。

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ツアー最終日R282を八幡平へと出発。長嶺に至りR341へ。熊沢川を遡り、坂平に至ると、そこからは温泉郷のメッカ。東トロコ温泉・長者の湯・トロコ温泉。そして八幡平への八幡平アスピーデライン入口の案内を通り過ぎる。大場谷地を通り抜ければかの玉川温泉郷である。効能あふれる癒しの温泉と自称するのも無理からぬ湯治場として、予約の取りにくい温泉で有名な玉川温泉。泉質をみると酸性ー含二酸化炭素・鉄・アルミニウムー塩化泉とある。ph1.05と極めて酸性が強く、遊離塩酸を多く含有し、温泉が98°の熱水で無色透明、硫化水素臭があります。おまけに一か所からの温泉湧出量(9,000リットル/分)は日本一。各種細菌類に協力な殺菌力を発揮するとか。温泉水や湯華、土砂などに微量の放射能を含有することから、特別天然記念物「北投石」を生成、産出する。長期間にわたる湯治が効果を現すことからと、入浴にあたりこまごまとした指導が必要なことから、ことさら浴治と別称している。とやけに詳しく記したのは、必ず再訪するぞとの決意の表れと思って下さい。世俗の戦に破れた身を癒し、隠れ住むのにこれ以上の場所は無い。ただこの酸性の湯のため、宝仙湖(玉川ダム)に注ぐ川には魚の姿が無い。玉川毒水と田沢湖の関係などこの地の温泉にまつわる光と影を感じる。
玉川ダムから道をR105へととり、バスは一路角館を目指す。
桧木内川桜並木堤に沿って設えられた大駐車場には、観光バスが溢れんばかり。町をあげての恒例の桜まつりの真っ最中。しかし、今年の異常天候により、ここも新緑が瑞々しい。
786a5654.jpg桜はもうとっくに諦めて、この街を究めようと大通りに繰り出す。連休の最中、行き交う人々の波を掻き分けるようにして進んでゆく。この街の特徴の一つに、町の中央を幅25mの大路が武家町と商人町を分断していることです。北側に位置する武家超は、深い木立が覆い、一方、南の証人町は家並みで埋め尽くされている。町が造られた元和6年には、武家屋敷80戸、商家350戸を数え、秋田藩の支藩としては最も大きな城下町を形成していたという。その武家屋敷の代表が青柳家であります。そしてこの伝統的建造物保存地区の風情はまさに藤沢周平書くところの「たそがれ清兵衛」あるいは「蝉しぐれ」の世界に私には思える。その町の角角にシダレサクラが実に多い。ほんの数本はまだなごりの花を付けていて、一度は諦めたものの、やはり満開であればどれほど見事かとまたまた悔やむことしきりとなった。このシダレはエドヒガンがシダレとなったものだそうで、明暦2年(1656年)角館の所預かりとなった佐竹義隣(よしちか)の嫡男義明(よしはる)の妻が、お輿入れの際に生家の京都三条西家から持ってきた桜の苗木3本が植え継がれて200本にまで増えたそうな。s-CIMG7494.jpgあっという間の散策を終えて河原に戻ると角館町観光大使の襷をかけたおねいさ
























んが着物姿で熱唱中。なかなかの美形で思わず駆け寄ってしまった。名前を小桜舞子さん。ああ天の恵みか、憐れみか。・・・あとは小町じゃなかった「こまち」に乗り込んで帰路を急ぐばかりとなりました。

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a675b40fjpeg弘前から今夜の宿泊先・湯瀬温泉へは東北道をつかえばものの70キロ。秋田県鹿角(かづの)市八幡平(はちまんたい)の湯瀬ホテル。ここがなかなかの宿で、フルムーン旅行の締めくくりとしてTRAPICSも少し気を使ったのが分かる。米代川の両岸に8F・12Fのタワーを建て、渓流に渡り廊下を設えて、半ばには昭和8年造の日本庭園を見晴らすベランダまで用意してある。その宿の佇まいに心惹かれるてなことは滅多に経験しないことなのに、この宿は何故か少々お気に入りと言えるかな。シンボルのみみずくを各所にあしらい、玄関から見上げる搭屋にはウインクみみずくが描いてある凝りようだ。
しかしなんといっても圧巻は、日本庭園に屹立する今盛りの枝垂れ桜の見事さ。部屋に落ち着き窓外を見晴らすその眼前に、まったく目線の高さで枝を広げる。さらに驚きは、暮れなずむにつれて、明るさを増すライトアップの光の中に、青空の下とはまた違った美しさ・味わいを見せはじめたことです。430c7575jpeg

























今までに桜見物といえば,野中の一本櫻を目指したり、桜並木を通り抜けたり、吉野山のごとく全山見晴らすことはあっても、座敷に座したままで、窓外の桜と対面するのは初めてのこと。渓流の音に包まれてしばし桜の精に魅入られた如く時を過ごす。通された部屋もまさに庭園を見せる趣向を尽くし、どうやらかなり道楽が入っているんじゃないとの直感は当たっていて、かの玉川温泉・新玉川温泉で稼いだ分をこのホテルにつぎ込んだとのことだ。もうひとつ驚かされたのが、夕食バイキング会場でサービス係としてかいがいしく働くクーニャン達の躾の良さです。名札を見ると王・林・李と記されていて、研修名目で6ヶ月契約でやってきているらしい。鬼首の韓国ツアーユースといい、中国人が中国人を日本の地で接待している様など、この鄙びた東北の田舎にまで押し寄せている国際化の波。ほんとこんなことになっているとは知らざった。お土産を買い足して、ロビーに店開きしている宅急便で荷造り完了。
この旅の最後の夜もなにごとも起こらず過ぎていく。

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                                                                  s-CIMG7381.jpg
























津軽氏の領主としての始まりは、南部氏の家臣であった大浦為信が1571年に独立して津軽と外ヶ浜を強奪したこととされている。そして津軽と外ヶ浜を占領した為信はその後豊臣秀吉から所領を安堵され、近世大名としての地位を確立しました。このころ大浦より津軽に改姓。徳川家康の時代に入ってから為信は家康に属して関ヶ原の合戦に参陣。この弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信によって慶長8年(1603)に計画され、二代藩主信枚が慶長15年(1610年)に着手し、翌16年に完成しました。以後弘前城は、津軽氏の居城として廃藩にいたるまでの260年間、津軽藩政の中心地でした。人々が愛でる桜は、明治末期ごろから市民による寄贈が盛んになり、ソメイヨシノ・枝垂れ桜・八重桜なだ約2600本が、園内を埋め尽くす今に至っております。この津軽藩と南部藩はこれをきっかけとして以来今日まで、同県内において確執が絶えないといわれる。桜のあでやかさに隠された両者の言い分は南部衆に言わせると「南部藩の家臣だった、津軽為信が謀反を起こして西部(津軽)の土地を奪い取った」と言い、一方津軽衆は「否、もともとの津軽家の土地を取り戻しただけだ」と主張する。津軽藩の江戸時代の参勤交代では、決して南部領を通らなかったといい、南部藩は通さなかったという。幕末の戊辰戦争では、南部は幕府側、津軽は新政府軍についた。しかし目前の公園を埋め尽くす人々の表情からは、どなたが南部で、どなたが津軽なのか、我々には分る筈もない。s-CIMG7365.jpg咲き誇る桜もそ
























んなことに頓着するわけもない。とおもいながらも、もしかして未だ嫁取りなどで、両者の意地の張り合いなどキットあるに違いない。身近な例でも、親父の次姉が同姓の津野に嫁入りしたが、この嫁入り先の津野を平民描字必称令(明治8年・1875年)の際はじめて名乗った偽津野であるといいしゃぎっていたのを思い出す。この一家はかのブラジル移民として戦前に移住してコーヒー園で成功を収め、孫の代では、医師・歯医者などを輩出しているとの風の便りを聞いている。土地にまつわる怨念もふくめた津軽の風土。もう一度太宰を読み直すことから勉強しなおすのも一興かな。

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s-CIMG8095.jpg6月2日芝公園の某社商談訪問の後、弘子ちゃんと銀ブラと洒落込んだ。芝公園ー日比谷に行き、長い地下道を辿って地上に顔を出したところが、東京交通会館。有楽町駅・イトシアを右に見て、西銀座道りを横ぎると、銀座2丁目交差点に出る。銀座マロニエ通との角に松屋があり、長男の勤務先はその裏通に面して有る。天気は台風の接近もあって、昨日の好天から、パラパラ雨もよいの中、これも風情があるなとうなずきながら3丁目方向に、そぞろ歩く。月曜日の午後3-4時とあって、おもったより人通りが少なく感じた。最新の情報としては、東洋経済5・31号に「逃避連鎖がはじまった不動産『大淘汰』」にあるように、六本木ヒルズはもう過去のもの。今や関心は「丸の内神話」の崩壊予測へと移っているらしい。銀座にブランド店の路面出店の場所がないところから、大手町・丸の内地区へと、出店地域を拡げていた動きも一服。最高1坪当たり月額賃料8万円との成約実績のニュースを最後に、一部テナントが平均5-6万(坪当たり)に耐えかねて逃げ出すところも出てきたとか。不動産動静もファンドバブル崩壊といえる状況の真っただ中と感じる。三男の嫁が勤める某外資ホテルファンドも、BKからの融資条件がきつくなって、よほど良質な物件でないと検討のテーブルにも載らなくなったそうな。
ファンドの大阪事務所も総引き上げで皆東京へ帰っちゃった。中には本国へ引き上げたファンドもあるとか。3丁目交差点の三愛・鳩居堂・田崎真珠と来て、ユニクロとの間のビルが淋しげに立っている。さっそく管理会社の表示をパチリ。来た通りを少し戻って三越を覗いてみる。言われる程の洗練さは見受けられないのに少々物足りなさを感じながら、もっぱら婦人服を見て回るうちに、4階エスカレーター前のセミフォーマルに展示してある、白いサマーワンピースが目に入ったとたん、弘子ちゃんがこれを握って離さない。・・あと松坂屋も覗いてみるが、ここはもっとガッカリ感あり。こりゃ銀座にも不景気風が吹いているわと実感しながら、通りの向こうをみると、かなりの規模のコマツビルにも再開発の張り紙がある。裏のすずらん通りのコマツアネックスも含めての建て替え計画らしい。どうもさびしげな土地・建物を見ると、好奇心が首をもたげる。銀座の一等地など無縁なことは承知ながら、これがどう転がっていくのか興味深々。裏へまわってあたりを見回すうちに、中華レストラン銀座・麒麟の看板が目に入る。たしか街の巨匠とか、テレビで紹介されていた店だ。店頭表示メニーはフカヒレ姿煮コース8000円也。
銀座でこの値段はりーゾナブルと飛びついて2階窓際に陣取る。時は夕刻6時を過ぎようとしている。
おいしいフカヒレに舌鼓していると、眼下をはや出勤の銀座ホステスの和装の姿がチラホラ。千葉県君津で入江商店営業所勤務のとき、接待で新橋との境目のクラブとやらに一度お邪魔したきりで、銀座のクラブにはご縁がない。親父の口癖が親子揃って芸者を揚げにゆこうだったのを思い出しながら、息子3人ひきつれて一度は銀座の一流クラブへ繰り出したいと妄想に浸っていると、なにを見とれているのと一喝あり。・・東京駅ひかり最終8:03がわれわれジパング族の指定列車。

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