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s-CIMG6852b.jpgあと何度桜を見にいけることだろうか。10年も経てば後期高齢者の仲間入り。そのころ車を運転出来る状態にあるだろうか。・・考え出せばきりが無い、まだ身体の自由の利くうちに、とりあえず今年の桜を目に焼き付けておくのが先決と意を決し、何故か『たけべの森公園』に行かねば思い込んで4月十五日快晴のお天気を見込んで出発。山陽道を西に、岡山・吉備高原を目指す。岡山ICを出て、R53号を北上。しばらく進むと、レストラン・ひなせの看板あり。そのロゴが我々贔屓の日生の「炉端ひなせ」のそれとまったく同じなのに気が付いた。さる2月9日に林田・ゆたりんに往ったついでに、日生に足を伸ばした際、10数年来贔屓にしていた「炉端ひなせ」閉店を知る。とりわけて料理がこっているわけではなく、素材そのものを素朴に料理してくれる、愛想もくそもない店だったけれど、我々には居心地の良い店で、3人の息子と家族を連れてきては、ニシ貝の大きなのを刺身で賞味して、その殻を持ち帰り日付けを書き込んで飾っている。H17・5・2に孫の純兵と食べたのが一番新しく合計4ケ並んでいます。その閉店の経緯がわからぬままでいたことから、もしかして関係の有るお店でないかいと早速飛び込んだ。昼食の刺身定食を頂きながら、日生の「ひなせ」とのつながりを糾すと、経営者がご兄弟とのこと。経営上は其々独立しているが、たぶん親父に教わったか店のMENUまでもが、そっくりそのまま。
あの愛想のわるい親父も元気でいることを確かめて一安心。
地名をとったのか「ひなせ辛幸(からこう)店」とあった。こんなところで引っかかるのはやはり花より団子の血筋の故か。その辛幸峠が山道の始まりとなっている。旭川に沿って目指すはたけべの森公園。

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4月7日午後4時携帯に朝日新聞高知支局・末崎毅記者から着信あり。曰く、今日高知県立坂本龍馬記念館新聞発表があり、4月14日から『坂本龍馬検定』の初級編を、ホームページで始めるとのこと。
ついては、何分かの意見有りやとの問合せであります。去年我が土陽会が勇躍実施した日本初の人物検定『龍馬検定・神戸編』がまさしく、日本初の龍馬検定であることは、既に広く認知されているらしく、天下の朝日新聞から、問合せをいただくようになったかと思うと感慨一入。勿論本家本元の坂本龍馬記念館が満を持しての検定とあらば、龍馬さんを世に知らしめる上で大歓迎あるのみとお伝えいたしました。・・翌日早速asahi.comにて記事を検索してみると、『県によると、「龍馬検定」はこれまで、神戸高知県人土陽会(神戸市)や霊山歴史館(京都市)が実施している。ご当地検定が数年前から人気をあつめていることもあって、同記念館にも「検定」を望む声が寄せられ、全国から気軽に参加できるネット検定の開催を決めた。』とでていました。正に、わが土陽会の名前がTOPにでているのを確認しました。朝日の問合せの中で、当方の検定の特色はと聞かれて、4択100問の問題の多くが、どれが間違っていますかという問となっており、まったく何も知らないレベルでの受検でも、300件の龍馬さんに関する事跡を身に着けてもらえることと答えました。・・・何で朝日からの問合せにかくも興奮するかというと、それは私の朝日に対する永年に亘る思い入れの故であります。昭和35年兵庫県立明石高校音楽部に入部した年から3年間、朝日新聞社主催の夏の全国高校野球大会の甲子園での開会式にブラスバンドの一員として出場。3年の夏には甲子園のスコアーボードの前で、TRUNPET・TRONBONE各3人指揮・西江頌夫君の全員明石高校生徒でのファンファーレ演奏に参加。真青な大空に精一杯のファンファーレが吸い込まれていく感激は忘れられるものでは有りません。ちょうど皇太子殿下のご来臨を頂いた記念すべき年で、母親は野球など知りもしないのに、開会式に朝日から配給のあった入場整理券を握り締めて駆けつけてくれました。同じく高校1年生から今日に至るまで、朝日新聞主催・全日本吹奏楽コンクールを目指して、吹奏楽に明け暮れた日々。その間に全国優勝5回(一般の部)を果たし、音楽を一生の友としてのキッカケを与えてくれたのも朝日新聞でありました。
弘子ちゃんがフルートで、私が1ST弟・啓三が3RDトロンボーンで、たしか高松での大会優勝を果たした時、かの朝比奈隆マエストロから講評で、プロなみやとの言葉をいただいたことは一生もんの宝としています。・・・ようするにホント朝日さんにはお世話になってます。高知新聞には悪いけど。

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daigo2.jpg醍醐寺へ参った目的は、桜のほかに、この寺が西国三十三観音霊場の第十一番札所深雪山 上醍醐寺へ納経するためでありました。この5年ほど、四国八十八ヶ所巡りと西国三十三霊場巡りを同時に進行している最中なのです。昔から『ついで参り』は戒められていることですが、本業の不動産物件の下見に行くときには、必ず周辺の名所旧跡を検索してからのことにしています。勿論、お参りだけで出かける時もあり、桜と紅葉の季節は忙しい限りです。霊場となればたいがいがはるかな山頂に鎮座して、巡礼者を苦しめるためとしか思えない処もあるなかでも、ここ上醍醐准胝堂(じゅんていどう)はその参道の険しく厳しいとの評判は聞いていました。また良く使われる醍醐味の語源となった醍醐水が山頂に湧出と金堂での説法で聴いては、これまた登らぬわけにはいかなくなりました。意を決して、五重塔を左に見て古径を上醍醐に向けて出発。程なく上醍醐寺参道を示す山門と手水ガあり、比較的なだらかな山道が目前に現れた。念のため杖を借りて慎重に登りへとかかる。標識には山頂まで2.7K約1時間。まあなんとかなる、あの金毘羅さんの785段の階段だってそう堪えたわけではなかったねと弘子ちゃんと相槌を交わす。行きかう人々も若者はむしろ少数でお年寄りと子供連さえ見かける。どの顔もさほど疲れを見せていない。一段の奥行きが長い階段といったほうが良いなだらかな山道を進むうちに、左側にささやかながら渓流が姿を見せ始めた。やがて道は急な階段状となり見上げる先も視界の外となり勝ち。弘子ちゃんの顔付も険しいものとなってきました。おまけに行きかう人のなかには、聴きもしないのに、まだまだ序の口だとか、まだ10分の1くらいなどと声をかけて下って行く。・・
やっと不動の瀧休憩所に辿り着くころには、もう帰ろうかとのぼやきが飛び出すこと数度。ここで弘子ちゃんはギブアップとなりました。本音はここから引き返したいところながら、ここで帰れば三十三ケ所の納経が完成しなくなるし、またのお参りは考えられないと考え直し、それでは俺が往ってくると重い腰をあげる。・・見上げるばかりの階段は延々と眼前にあり、足腰に迫る乳酸の高まりを堪えながら、50段も上がらぬうちに、腰を切り株に降ろして一休み。それを何度繰り返したことか。それでも17丁の石柱を過ぎるころ、もう少しで上りは終わりですよと声を掛けられて、心なしか歩みが軽くなる。上りきったところに境内入り口と表示あり。やれ嬉やと進む下りの参道の楽なこと限りなし。右手にはるか下界の展望が開け、もう目指す札所のまじかなこと間違いなし。・・上醍醐准胝堂の旗がはためいた頂まで、それでもまだ80段ほどの石階段を登らねばなりません。お参り・納経を済ませて、セルフで撮った我が姿を見てみると、その疲れ具合が伺えるほどの応えよう。この山中にも係わらず、不思議と携帯はバリ3状態で、今から降りると弘子ちゃんに電話したのが3:57.。この際帰り道の段数だけでもカウントして記録に残そうと一歩を踏み出した。おかげで肝心の醍醐水を頂くのをコロッと失念。最近この手の
もの忘れを度々繰り返している。・・不動の瀧で合流して下醍醐の山門に辿り着いたのはもう5時過ぎとなっていました。結果発表・・・参道入り口ー不動の瀧 400段・・・不動の瀧ー境内入り口 険しい730段  境内入り口ー准胝堂 141段  合計 1271段   たぶんこの参道の段数のカウント数を発表した最初とならんことを期してここに明記いたしました。daigo1.jpg

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今年の櫻は開花が順調とか。3日夜の天気予報では、この週末から天気が崩れるとのこと。急に思い立って4日、醍醐寺の櫻を見に行くことに決定。・・・醍醐寺は『秀吉の醍醐の花見』として知られているが、醍醐寺そのものは、真言宗の宗祖・弘法太子の孫弟子にあたる理源大師・聖宝が貞観16年(874)、醍醐山上に草庵を結び、准胝・如意輪の両観音像を彫刻し、堂宇に安置したことに始まる。
開創後、醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依によって、次々に堂塔が建立され、天暦5(951)年には五重塔が完成。山上山下のまたがる大伽藍が整ったといわれている。・・その秀吉が醍醐の花見に際して、翌年の花見のためにもと秀吉自らが基本設計をおこなったのが三法院庭園である。作庭は4月ころから始められ、その年の8月に秀吉が死去したあとは義演の指導のもとで続けられた。作庭は義演が亡くなる1624年(元和10年)までの27年間にわたった。三宝院境内のしだれ櫻はとくに有名で天下の名石『藤戸石』とともに必見の名勝であります。・・そんな秀吉でさえ見ることがかなわなかった櫻の盛りを見るうちに、恩賜館展示の前大納言・中山愛親が記した醍醐山の名花という絵巻に目を奪われてしまった。櫻の其々の姿を描き、その微妙な差異を見過ごすことなく書き上げてある。其々に似つかわしい名前が添えられ、その名からだけでも、たたずまいが想像できる。その名を記すと・・・小さくら・紅の小桜・きさらき桜・かさねの小桜・糸さくら・単の伊勢・重の伊勢・青葉の山桜・三よし野・重の糸桜・赤紫の山桜・うばさくら・塩時・入相さくら・ひとえの江戸・地主・芳野・きりか谷・かさねの江戸・とらの尾桜・明ぼの桜・普賢象・しくれさくら・楊貴妃・奈良の八重桜・法輪寺・白のにほひ・樺さくら・ひとえの浅黄桜・廊間桜・常盤桜・重の浅黄・有明桜・重の有明桜・玉桜・・すこしは桜満開の情景が浮かんできましたか。

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今になって、この66年を振り返ってみると、時には穏やかな表情をみせるかと思うと、まるでJETコースターに乗せられて、しがみついているだけで精一杯の奔流に姿を変える一筋の流れ(人生の表層)ながら、その底辺には通奏低音の如く、響き続けている、さまざまな要因・環境があることに気づかされる。
①で記したように、JAZZ・STANDARDが身にしみこむように感じるのも、実は育った環境によることは確か。・・親父が終戦から3年目の昭和23年のこと。なんとか自立の手立てをとたどり着いたのが、喫茶店開業でした。それも、他の人が店をひらくのを手伝ってくれと頼まれた時に、四郎兄の助言もあり、是非自分にやらせて貰いたいと強訴に及んでやっと許しを得たとの話。今で言うなら、元ダイエー明石店西館のあたり。その頃山陽電車経営の映画館『山陽座』の隣接スペースにコーヒーカップと紅茶カップそれぞれ6ヶを用意して『さんよう喫茶』を開店したそうな。やっとケーキらしきものもケースに陳列し、喫茶らしい店作りに励んでいると、私と弟の啓三が、そのケーキを目当てに毎日のように、上の丸の家からやって来る。まるで高崎山のお猿さんだ。数少ない商売のケーキを毎日食べられては堪らないところ、親父はお袋に、黙って食べさせておけと言ったそうな。焼き芋を与えてやれなったことの償いの意味もあったのかな。そうするうちに1ヶ月もすると、ケーキには目もくれなくなったとか。俺的にはコーラもアイスクリームも美味しかったなあ。場所としては、明石一の繁華街・映画館街で、東から日活・白鳥座(洋画専門)・明石東映・山陽座(東宝)・明石松竹と並んだどの館もその後、連日大入り満員の大盛況を迎えることになる。そんな場所を得られたのも、親父が世話になった鳴尾組大番頭・永田政一が明石の興業界にも顔が利いたことからだったと思われる。後に明石のフィクサーとなる永田ゴッドファーザーも若かりし時はジンタのクラリネットを吹いていたとか。そのころ無声映画の活弁には生バンドがつきものだったことなど今の若者は知るはずもないか。・・・続く

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