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今になって、この66年を振り返ってみると、時には穏やかな表情をみせるかと思うと、まるでJETコースターに乗せられて、しがみついているだけで精一杯の奔流に姿を変える一筋の流れ(人生の表層)ながら、その底辺には通奏低音の如く、響き続けている、さまざまな要因・環境があることに気づかされる。
①で記したように、JAZZ・STANDARDが身にしみこむように感じるのも、実は育った環境によることは確か。・・親父が終戦から3年目の昭和23年のこと。なんとか自立の手立てをとたどり着いたのが、喫茶店開業でした。それも、他の人が店をひらくのを手伝ってくれと頼まれた時に、四郎兄の助言もあり、是非自分にやらせて貰いたいと強訴に及んでやっと許しを得たとの話。今で言うなら、元ダイエー明石店西館のあたり。その頃山陽電車経営の映画館『山陽座』の隣接スペースにコーヒーカップと紅茶カップそれぞれ6ヶを用意して『さんよう喫茶』を開店したそうな。やっとケーキらしきものもケースに陳列し、喫茶らしい店作りに励んでいると、私と弟の啓三が、そのケーキを目当てに毎日のように、上の丸の家からやって来る。まるで高崎山のお猿さんだ。数少ない商売のケーキを毎日食べられては堪らないところ、親父はお袋に、黙って食べさせておけと言ったそうな。焼き芋を与えてやれなったことの償いの意味もあったのかな。そうするうちに1ヶ月もすると、ケーキには目もくれなくなったとか。俺的にはコーラもアイスクリームも美味しかったなあ。場所としては、明石一の繁華街・映画館街で、東から日活・白鳥座(洋画専門)・明石東映・山陽座(東宝)・明石松竹と並んだどの館もその後、連日大入り満員の大盛況を迎えることになる。そんな場所を得られたのも、親父が世話になった鳴尾組大番頭・永田政一が明石の興業界にも顔が利いたことからだったと思われる。後に明石のフィクサーとなる永田ゴッドファーザーも若かりし時はジンタのクラリネットを吹いていたとか。そのころ無声映画の活弁には生バンドがつきものだったことなど今の若者は知るはずもないか。・・・続く

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