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山陽電車の経営する映画館・山陽座附属の喫茶。あえて『さんよう喫茶』と平仮名にしたあたりが、清志さんのセンスのみせどころか。ここで親父について脱線する。・・・親父・清志さんは土佐の須崎は上分在で9人兄弟の8番目の五男。信太郎爺さんのアイデア倒れの事業失敗が祟り、家は赤貧洗うが如しの貧乏。なにせ爺さんは営林署勤めながら中学出の田舎インテリで鳴らしたらしい。爺さんの若かりし頃は、競馬馬の2・3頭も持ち、上分から須崎の町まで他人の土地を踏むことなく行けたほどの豪農であったとか。この爺さんがなかなかのアイデアマンで次々と事業をてがけたのが不幸の始まりといえる。新庄川に有料の丸太橋を架けて悦にいっていたところが、台風の大水で一瞬の内に橋が流されてしまう。営林署勤めのつてから奥山の材木の払い下げを受けたまでは良かったが、時あたかも日露戦争開戦となり、人手不足に祟られて、伐採期限を流してしまい莫大な損害を蒙った。兄弟して玄界灘へ生ボートを出して漁業に転進、一攫千金を狙ったが、嵐に遭い船は転覆、命からがら逃げ帰るといったありさま。弟はそのまま現地・佐賀にとどまったとかで佐賀に親戚がいるらしいとは聴かされています。爺さんはほとんど須崎には居らず、たまに帰ってきては子供を作っての繰り返しが9人とか。政祖母さんもよく頑張ったものです。時には味噌・醤油を近所に借りにいかされた辛い思いもしたわりには、清志さんは朗らかに育ち、新庄川で今や幻と言われている「にほんかわうそ」と泳ぎ比べをしたもんだが口癖でした。そんな家庭事情では学費のいる中学進学は叶わぬ夢。唯一学費免除の師範学校を目指すも入試不合格となったとか。しかたなくこれも学費の要らない水産学校に入学し、人一倍実習訓練に励んだが、遠泳の無理が祟って心臓弁膜症を患い一時は医者も見離したほどの病状に。そのころ家を継いでいた良幸兄(次男)が朝日新聞の代理店の権利を売って高知から名医と噂の先生を招き、身を一寸も動かせないなか、床下から床板・畳ごと切り取って病院に運び込みなんとか一命を取り止めた。このとき世話をかけた良幸次兄と下の面倒をかけた産婆見習い中であった末子三姉には一生を通じて恩返しに励んでいた姿を覚えています。その後、ぶらぶら養生に励むうちに丁半博打に誘われて賭場に出入りするうちに、ある日網がおりて留置所行きとなったとか。その時ばかりは、代書屋の筆が滑りすぎて長らく未決にほり込まれた経験のある信太郎爺さんが駆けつけて『清志待とれ、すぐに出しちゃるき』と言ってくれたのがホント嬉しかったと聴かされた。

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