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その頃の悪友の一人が、鍋島平八郎小父さん。網が下りたときも一緒に捕まった仲間。親父が大切に保管していた100枚つづりのネガブックにも度々顔がでてくる。究めつけは、神戸・湊川神社でのお袋とのデート写真にまでその姿がある。本当に嬉しそうに、親父とへーさんとが写真の撮りあいっこをしている様子が彷彿と想像される。1-2年を養生もかねてブラブラしているうちにも養蚕教師の免許を取っていたらしい。土佐の険しい山間の農家を訪ねて歩いた頃、目の前に見えている隣の農家に辿り着くために、ほんと深い谷を下って登って半日がかりで歩いたものだそうな。中には家の婿になれと散々口説かれたこともあり、かなり心動かされる娘もいたとか。そうなっていれば、今の我々は存在しなくなる理屈。チョット複雑。・・そのころ高知の町に出かけて初めてカレーライスを口にした時には、口のなかが火を噴いたかと思うくらい熱かったと大笑い。・・時代は昭和10年代、第一次世界大戦後の不景気でまともな職が高知にあるはずもない。兄弟のなかで、親子ほども歳の違う長兄・清寿(きよとし)は実際兄弟の親代わりとも言える存在で、彼だけは旧制中学を卒業して、早くから東京へでており、確か国策会社・満州鉄道関連の会社で活躍。親父達の学校の通知簿を送らせてはご褒美と激励を欠かせない実の親父・信太郎さんより怖い存在であったとか。後には青島で終戦を迎え、命からがら引き揚げてきたことから、僕たちは青島(チントウ)のオンちゃんと呼んでいた。その長兄を頼って、決死の覚悟で東京に出たらしい、その東京で一通り見物がすむと、肝心の就職の世話もされず、というより職もなく、親父曰く追い返されたとのこと。多分懐もさびしく、邦におめおめ帰れもせず、四兄・四郎が明石の税務署に奉職していたのを幸いに、明石での途中下車。というよりも明石までの汽車賃しか無かったというのが実情だったらしい。・・やっと話は明石にまで辿り着いたわけです。

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