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この四郎兄には、前に書いたように、このあと何かと世話をかけることになりますが、尋常高等小学校を卒業後、役場の給仕を勤めるかたわら、独学で会計士の資格を取ったという出来人で、この明石税務署勤務中、会計検査に入った日本工具株式会社を余程締め上げたのか、後に名物社長・矢野松太郎氏に請われて.この日本工具に経理主任として入社。財務担当常務取締役まで勤めあげた。有名な白木屋乗っ取り事件にあい、その対策に手腕を発揮したことで勇名を馳せている。・・どうやら津野というのは、秀才の血筋であったようで、司馬遼太郎著「街道を往く」。梼原街道に「津野氏は、中世土佐の名族だった」に始まる文中に書かれている文化的背景を連綿と紡いで来たに違いない頭の冴えを示す一人と言えます。・・引用「鎌倉末から室町末にかけて、禅宗(臨済宗)の本山で詩文がさかんだった。鎌倉五山、京都五山といういわばアイビー・リーグ風の呼び方が当時あったところから、五山文学とよばれる。その五山文学の中でも、双璧というべきものが、義堂(義堂周信)と、絶海(絶海中津)だった。この両人とも土佐人であるだけでなく、いずれも梼原(当時津野庄)のひとであることが感動的である。さらにふたりとも津野氏の出だった。これによっても津野氏の文化的土壌のふかさを思わざるをえない。」(「世間への黙劇」の章より。・・この津野という名を大切にすることでも四郎兄は兄弟のうちで飛びぬけていましたが、その後、下宿先の警察署長親父に見込まれて養子にはいり、一層津野の名前・ルーツを研究することになったとか。事実、四郎伯父には深尾叶著「津野氏興亡史」の手ほどきをうけることになる。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)