書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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25日外大グランドでの京都花園大戦で久しぶりにお会いした木下名誉会長より淡水サッカー部大OBであるジャーナリスト・大森実先輩の訃報を聞かされた。3月25日88歳とのこと。
大森実氏と言えば、国際ジャーナリストとして、毎日新聞在職中はベトナム反戦キャンペーンを張り、時の駐日米国大使・ライシャワーをして実名を挙げての批判にさらされ、毎日を退社に追い込まれたという大物。
我が淡水サッカー諸先輩数あれど、国際的に名の轟かせたのは大森先輩が最右翼だ。
氏は日本脱出の後、ロスで著作活動に入られ、膨大な昭和史を書きあげられた。
自伝でもある『エンピツ一本上・中・下』は勿論読破しました。
その文中にサッカー部のことは殆ど書かれていなくて、辛うじて毎日新聞社に再就職される際の面接時の部分に・・引用
『社会部長浅井良任は背の低い赤ら顔の男で、剛髪を七三に分け、首を振り振り私を面接した。毎日新聞が主催する浜寺水連場の水府流の達人で、豪放磊落なことこの上もない人柄で通る東大出身の社会部長であった。第一問。
「きみ、腰は軽いか」と坂田三吉のように端し歩を突いて来た。
「はい、サッカーのハーフでした」
「神戸高承は強いのか」
「朝日招待サッカーの東西対抗で、明治と遣りました」
「勝たかね」
「1対零で惜敗しました」
「そらあかんがな」 』
去年、淡水サッカー80周年記念に大森先輩に寄稿して頂きたく、淡水ロスアンジェルス支部・支部長さまにメールで大森先輩の近況を問い合わせていたが、もうそんな元気は無いとの返事だった。
今にして、無理やりお願いしてでも頂いておくべきだった。
きっと、淡水サッカーのためなら快く応じて下さっていたのに違いない。・・・合掌


大森実氏と言えば、国際ジャーナリストとして、毎日新聞在職中はベトナム反戦キャンペーンを張り、時の駐日米国大使・ライシャワーをして実名を挙げての批判にさらされ、毎日を退社に追い込まれたという大物。
我が淡水サッカー諸先輩数あれど、国際的に名の轟かせたのは大森先輩が最右翼だ。
氏は日本脱出の後、ロスで著作活動に入られ、膨大な昭和史を書きあげられた。
自伝でもある『エンピツ一本上・中・下』は勿論読破しました。
その文中にサッカー部のことは殆ど書かれていなくて、辛うじて毎日新聞社に再就職される際の面接時の部分に・・引用
『社会部長浅井良任は背の低い赤ら顔の男で、剛髪を七三に分け、首を振り振り私を面接した。毎日新聞が主催する浜寺水連場の水府流の達人で、豪放磊落なことこの上もない人柄で通る東大出身の社会部長であった。第一問。
「きみ、腰は軽いか」と坂田三吉のように端し歩を突いて来た。
「はい、サッカーのハーフでした」
「神戸高承は強いのか」
「朝日招待サッカーの東西対抗で、明治と遣りました」
「勝たかね」
「1対零で惜敗しました」
「そらあかんがな」 』
去年、淡水サッカー80周年記念に大森先輩に寄稿して頂きたく、淡水ロスアンジェルス支部・支部長さまにメールで大森先輩の近況を問い合わせていたが、もうそんな元気は無いとの返事だった。
今にして、無理やりお願いしてでも頂いておくべきだった。
きっと、淡水サッカーのためなら快く応じて下さっていたのに違いない。・・・合掌
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前年リーグ優勝を飾りながらも、入れ替え戦突破成らず。唇を噛みしめて今期開幕を待ちに待っておりました。
リーグ初戦は神戸外大グランドで3時キックオフ。対戦相手はグループ10校最下位の京都花園大。しかし、夢油断は禁物だ。その上目前で、兵教大が神戸外大を8-1で下したばかり。
しかし、今年のチームの顔ぶれを改めて見つめ直すと、中々の面魂。2部復帰当然の気概を漲らしている。
また土肥監督も年初のご挨拶通り、チームのかじ取りを全面的に取られて、試合開始前から、細かくチェックをされて、噛んで含めるようにチーム全員に伝える。個人ではなくチーム一団の心構えを築こうとされている。
この意気込みに応えてOBも駆けつけ、岡本・木下・的場会長・遊上の他、前年キャップテン新田君他2名も顔を見せた。
試合詳細は淡水サッカーHPに近日UP。意気込みが身体の堅さに現れて、試合開始早々はギコチナイプレーが目立ったが、3点目辺りから、少し余裕が見えてきた。
前半5点、後半5点の予想を上回る11点は最終結果に向けて貴重な点となるなずだ。
一年生も10人ばかりが顔を揃え、他に5人ばかりも入部希望とか。頼もしいかぎりだ。
特に、主将兼折の控え目ながら、献身的リーダーシップに感服。深謀遠慮を感じました。






リーグ初戦は神戸外大グランドで3時キックオフ。対戦相手はグループ10校最下位の京都花園大。しかし、夢油断は禁物だ。その上目前で、兵教大が神戸外大を8-1で下したばかり。
しかし、今年のチームの顔ぶれを改めて見つめ直すと、中々の面魂。2部復帰当然の気概を漲らしている。
また土肥監督も年初のご挨拶通り、チームのかじ取りを全面的に取られて、試合開始前から、細かくチェックをされて、噛んで含めるようにチーム全員に伝える。個人ではなくチーム一団の心構えを築こうとされている。
この意気込みに応えてOBも駆けつけ、岡本・木下・的場会長・遊上の他、前年キャップテン新田君他2名も顔を見せた。
試合詳細は淡水サッカーHPに近日UP。意気込みが身体の堅さに現れて、試合開始早々はギコチナイプレーが目立ったが、3点目辺りから、少し余裕が見えてきた。
前半5点、後半5点の予想を上回る11点は最終結果に向けて貴重な点となるなずだ。
一年生も10人ばかりが顔を揃え、他に5人ばかりも入部希望とか。頼もしいかぎりだ。
特に、主将兼折の控え目ながら、献身的リーダーシップに感服。深謀遠慮を感じました。
四国と本州に架かる3本の大橋。この取り扱いが最初から間違っているように思えてならない。
今回1000円割引が5月末で終わり、普通車2000円上限となるらしい。
そして、明石海峡大橋も普通車3000円くらいになって、明石フェリーとのバランスをとるとのことだ。
これに対し、徳島の知事さんが四国を切り捨てるのかと抗議の声を挙げている。
知事さんのこの声も一部真実を衝いている。
昔、大蔵省の昭和の三大バカ査定と言われたのが、戦艦大和・伊勢湾干拓・青函トンネルで、大和はともかく、伊勢湾干拓も青函トンネルも今にして、よくぞ御国がやってくれたことよと思えます。
とても、民間資本の損得の埒内では手も足も出ない事業である。国だからこそ出来た訳。
そして平成の今、民活のくそのと言い周り、受益者負担の名のもとに、公団・一見民営会社をでっちあげての大橋・関空作り。
国に絶対必要なインフラ整備なら、大胆に予算査定をして国がやるべきで、この3大橋でもって、日本の国土軸が陸続き同様となったのであれば、例えば高速道部分は有料にしても良いが、架橋部分は絶対に無料にするべき。
国防上を考えれば、そのうち一本は、トンネルにするべきだったし、今後計画される紀淡海峡はトンネルで繋ぐべし。
何故なら、ほんの少しの爆薬を仕掛けられただけで、簡単に3本の橋が使用不可能となるなどは自明のこと。
この議論が忘れられているところが、日本人が平和ボケと言われる所以なり。
代替輸送手段として残して置かなければならないフェリーが立ち行くように補助をして、存立を図るなどは国家戦略のいろはであろうに。
国債が1000兆に近づき我が国は第三次世界経済戦争の敗戦国となるは必定。
昭和の終戦(敗戦とは云わなかった)後をかろうじて知る我々は、経済的焼け跡再現もそう怖くはありません。むしろ今度こそ上手く立ち回ってやろうぐらいのこと。戦国乱世にこそチャンスがあるてなもんだ。
しかし、戒めとして、普天間・辺野古の基地騒動でいやと言うほど感じる、未だ「ギブミーチョコート」体質だけはもうそろそろ脱ぎ捨ててみないかな。
今回1000円割引が5月末で終わり、普通車2000円上限となるらしい。
そして、明石海峡大橋も普通車3000円くらいになって、明石フェリーとのバランスをとるとのことだ。
これに対し、徳島の知事さんが四国を切り捨てるのかと抗議の声を挙げている。
知事さんのこの声も一部真実を衝いている。
昔、大蔵省の昭和の三大バカ査定と言われたのが、戦艦大和・伊勢湾干拓・青函トンネルで、大和はともかく、伊勢湾干拓も青函トンネルも今にして、よくぞ御国がやってくれたことよと思えます。
とても、民間資本の損得の埒内では手も足も出ない事業である。国だからこそ出来た訳。
そして平成の今、民活のくそのと言い周り、受益者負担の名のもとに、公団・一見民営会社をでっちあげての大橋・関空作り。
国に絶対必要なインフラ整備なら、大胆に予算査定をして国がやるべきで、この3大橋でもって、日本の国土軸が陸続き同様となったのであれば、例えば高速道部分は有料にしても良いが、架橋部分は絶対に無料にするべき。
国防上を考えれば、そのうち一本は、トンネルにするべきだったし、今後計画される紀淡海峡はトンネルで繋ぐべし。
何故なら、ほんの少しの爆薬を仕掛けられただけで、簡単に3本の橋が使用不可能となるなどは自明のこと。
この議論が忘れられているところが、日本人が平和ボケと言われる所以なり。
代替輸送手段として残して置かなければならないフェリーが立ち行くように補助をして、存立を図るなどは国家戦略のいろはであろうに。
国債が1000兆に近づき我が国は第三次世界経済戦争の敗戦国となるは必定。
昭和の終戦(敗戦とは云わなかった)後をかろうじて知る我々は、経済的焼け跡再現もそう怖くはありません。むしろ今度こそ上手く立ち回ってやろうぐらいのこと。戦国乱世にこそチャンスがあるてなもんだ。
しかし、戒めとして、普天間・辺野古の基地騒動でいやと言うほど感じる、未だ「ギブミーチョコート」体質だけはもうそろそろ脱ぎ捨ててみないかな。
世の中今や龍馬本が溢れていて、土居晴夫先生に言わせれば、昨日まで新撰組を書いていた連中が、皆して龍馬本を出している状態です。
ざっと立ち読みして面白い内容が書いてあればと思い手に取ってみるが、ほとんどが受け売り、孫引きの域をでない。これで金が取れれば苦労はしない。
そんな中、歴史群像スペシャルという一見グラフィックな雑誌の表紙に『特集・長宗我部元親と一領具足たち』とあった。
勿論、本命は『風雲児こんな男そうはいない!坂本龍馬・新しい日本を創造した不出生の雄』と賛辞てんこ盛りの総力特集であります。
たいがいの龍馬雑誌を見てきたが、長宗我部元親と並べて書いている物は見たことが無い。
心中、もしやと思いページを繰る。
岡豊の姫若子と呼ばれた元親の生涯を①土佐統一②四国平定③秀吉来寇すとあって、④関ヶ原から大坂出陣への章で、お目当ての文章が、事実がありました。
無断引用『関ヶ原での戦闘終了後、盛親は立石助兵衛と横山新兵衛の二人を使者に立て、かねて懇意の井伊直政を介して家康に謝罪した。さらに盛親自身が上坂して謝罪したものの、帰国後に寵臣の久武親直の勧めによって兄の津野親忠を謀殺したことが家康の逆鱗に触れ、土佐を没収されてしまうのだ。』
この事により土佐を受け取ったのが山内一豊であり、ここに土佐の上士と下士(長宗我部遺臣・郷士)というまれにみる厳しい身分制がひかれる事になった。
そして、この250年に渡る鬱憤が幕末・草莽のパワーを生み出す源となった。
その大本に津野が関わっていた訳だ。
ここで龍馬と津野が繋がるわけだ。・・・私が龍馬に拘るDNAであるのかな。

ざっと立ち読みして面白い内容が書いてあればと思い手に取ってみるが、ほとんどが受け売り、孫引きの域をでない。これで金が取れれば苦労はしない。
そんな中、歴史群像スペシャルという一見グラフィックな雑誌の表紙に『特集・長宗我部元親と一領具足たち』とあった。
勿論、本命は『風雲児こんな男そうはいない!坂本龍馬・新しい日本を創造した不出生の雄』と賛辞てんこ盛りの総力特集であります。
たいがいの龍馬雑誌を見てきたが、長宗我部元親と並べて書いている物は見たことが無い。
心中、もしやと思いページを繰る。
岡豊の姫若子と呼ばれた元親の生涯を①土佐統一②四国平定③秀吉来寇すとあって、④関ヶ原から大坂出陣への章で、お目当ての文章が、事実がありました。
無断引用『関ヶ原での戦闘終了後、盛親は立石助兵衛と横山新兵衛の二人を使者に立て、かねて懇意の井伊直政を介して家康に謝罪した。さらに盛親自身が上坂して謝罪したものの、帰国後に寵臣の久武親直の勧めによって兄の津野親忠を謀殺したことが家康の逆鱗に触れ、土佐を没収されてしまうのだ。』
この事により土佐を受け取ったのが山内一豊であり、ここに土佐の上士と下士(長宗我部遺臣・郷士)というまれにみる厳しい身分制がひかれる事になった。
そして、この250年に渡る鬱憤が幕末・草莽のパワーを生み出す源となった。
その大本に津野が関わっていた訳だ。
ここで龍馬と津野が繋がるわけだ。・・・私が龍馬に拘るDNAであるのかな。
龍馬甲子園2010大賞の大森氏が披露されたように、龍馬さんが蝦夷開拓を目指し、なお北上して樺太からシベリア、アラスカと歩を進める夢を語って居られたが、果たして時系列上それが可能であったかどうか。
アラスカ発見は、1648年、ロシアの探検家セミヨン・デジ二ョフだ。彼がベーリング海峡上の島・ダイオミ―ド島に到達した最初のヨーロッパ人となった。
さらに時を経て、1728年にブイトス・ベーリングが再発見・命名したとされる。
アラスカの名前はアレウト族の言葉で「半島」を意味するAlakshak(アラクショク)からとされている。
ロシアは19世紀後半に至ってアラスカに植民を行っていた。
しかし、ロシアはクリミア戦争後の財政難に苦しんでおり、資金調達のため、1867年にクリミア戦争の中立国だったアメリカ合衆国に売却した。
この交渉をまとめたのは国務長官であったウイリアム・N・スワードだ。
586,412平方マイルの土地を720万ドルで購入した。
これはテキサス州の2倍以上の広さにあたり、購入価格は1エーカー(約4000㎡)あたり約2セントの計算だ。
辺境の地を購入したことについて、当時アメリカ国民は『スワードの愚行』『巨大な冷蔵庫を買った男』などと非難したとか。しかし、その後豊富な資源が見つかったり、主に旧ソ連に対する国防上重要な役割を果たすことになり、現在では高く評価されている。
ところで、この1867年と言えば龍馬さんが長崎で海援隊を立ち上げた頃で、まだ時期としては、せいぜい蝦夷地に乗り込んだとしても、その地の開拓で精いっぱいの状態と考えられる。
そうなれば、ロシアから買い取るのには無理があるが、購入当初のアメリカ国民の不評を考えれば、その後10年ー20年後には日本国も発展し、アメリカから安く買い取ることも可能だったのではないかな。
1896年にはカナダのユーコン愀で金が発見され、続いてアラスカでも金鉱が発見されてゴールドラッシュとなっているそれまでの勝負となったはずだ。
アラスカ発見は、1648年、ロシアの探検家セミヨン・デジ二ョフだ。彼がベーリング海峡上の島・ダイオミ―ド島に到達した最初のヨーロッパ人となった。
さらに時を経て、1728年にブイトス・ベーリングが再発見・命名したとされる。
アラスカの名前はアレウト族の言葉で「半島」を意味するAlakshak(アラクショク)からとされている。
ロシアは19世紀後半に至ってアラスカに植民を行っていた。
しかし、ロシアはクリミア戦争後の財政難に苦しんでおり、資金調達のため、1867年にクリミア戦争の中立国だったアメリカ合衆国に売却した。
この交渉をまとめたのは国務長官であったウイリアム・N・スワードだ。
586,412平方マイルの土地を720万ドルで購入した。
これはテキサス州の2倍以上の広さにあたり、購入価格は1エーカー(約4000㎡)あたり約2セントの計算だ。
辺境の地を購入したことについて、当時アメリカ国民は『スワードの愚行』『巨大な冷蔵庫を買った男』などと非難したとか。しかし、その後豊富な資源が見つかったり、主に旧ソ連に対する国防上重要な役割を果たすことになり、現在では高く評価されている。
ところで、この1867年と言えば龍馬さんが長崎で海援隊を立ち上げた頃で、まだ時期としては、せいぜい蝦夷地に乗り込んだとしても、その地の開拓で精いっぱいの状態と考えられる。
そうなれば、ロシアから買い取るのには無理があるが、購入当初のアメリカ国民の不評を考えれば、その後10年ー20年後には日本国も発展し、アメリカから安く買い取ることも可能だったのではないかな。
1896年にはカナダのユーコン愀で金が発見され、続いてアラスカでも金鉱が発見されてゴールドラッシュとなっているそれまでの勝負となったはずだ。
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企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
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ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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