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 平成阪神7年1月15日深夜、神戸北野坂を下っていて、一旦停止を怠った。途端にサイレンが鳴り、その車停まりなさいとの声が聞こえる。見ると、その交差点の右角にパトカーが止まっていた。
またやったかと、すごすご車を止めて免許書を取り出す。なにせUターン禁止でUターンした途端にパトカーと鉢合わせが、東京と大阪で計2回。この前は菱三印刷に行くべく、信号点滅滑り込みで左折したはずが、赤になり、急いでハンドルを切った途端に後ろで、ウーとのサイレン。まさに真後ろにパトカーがおりました。
思い出すのは、あの17日の尋常でない揺れの感触とともに、あの震災の混乱の中、申し訳ないがこの時の違反記録がしっかりと残り、執行されたこと。
たぶん、あの違反はうやむやになりはしないかと高をくくっていた。日本の警察はしっかりしております。

その日、テレビの第一報は、阪神でかなり大きな地震あり、犠牲者数百人かというものだった。
それが結局6434人もの尊い犠牲を出すに至った。
そして15年経った今日の日経に関西電力のPR記事があり、いかに通電を早くするために現場の人々が苦労したかという内容だった。
ここで、ひとつの疑問。
この震災の検証で大きく抜けていて、ずっと疑問に思っていることだけれど、この犠牲者の多くが、直後に各所で発生した大火災によるものだったということ。
その原因の一つが、早期通電による火災発生。出ぱなしのガスに通電でショートした火花が散れば発火するのは当然。むき出しになった電線同志がショートしただけでも漏電火災発生となったはず。
バッタリ倒れた阪神高速道路の強度設計が適切だったかどうかも、ほとんど話題にならなかったが、この関電の記事によれば、今申し上げた危険性への配慮が殆ど感じられない。
ほんとにこれで良いのかな。天国の皆様に手を合わせることも大事だが、もっとしつこく震災がもたらした人災を検証しておくことも、この震災を経験した我々の責任じゃないのか。

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 サンケイ新聞半紙の手紙募集広告の反響は今のところゼロ。
神戸新聞の大月記者に再度の取り上げを頼みこんだり、県商OB会に何か龍馬さんのことを喋れと言われれば喜んで出向き、その目的は手紙を寄稿してもらうこと。
なんとか、我が切ない思いを広げたいと足掻いておりましたところ、今日大援軍が駆けつけてくれました。
年が明けて、毎日ポストを覗くのが日課で、年賀状も終わり、未だくる気配のない龍馬レターを待ちわびるこの頃。
こわごわポストに手を延べると、分厚い封筒の感触。やったとばかり手に取ってみますと、やれ嬉、津市立栗真小学校中川三朗校長先生からのお便りでした。
先生には去年11月3日の京都での龍馬フォーラムで面識を頂き、無理やり生徒さんに手紙を寄せて頂くようお願いしておりました。
その願いを叶えて下さり、忙しい学校日程の中、冬休みの課題として、21通の龍馬レターを集めて頂き、言葉を添えて送付して下さった。
まずは手紙を書いてくれた生徒の皆さんに心からありがとうの言葉を贈ります。
担任の先生方にも、無理なお願いを叶えて下さり感謝感謝。言葉もありません。
校長先生、待ちわびておりました。頂いた手紙、大切にいたします。
早速HPにUPしたいところですが、校長先生に連絡了承を得てからにいたします。皆様お楽しみに。
こうなれば、なんとしてもこの龍馬甲子園を成功させねばと一層の努力をいたします。
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 神戸の高齢土佐人を自称するYAMASAKI天狗様から仮説・龍馬は生きていたの寄稿がありました。
龍馬フアンの皆様も納得の検証を一読されたし。

 

一般的には龍馬は19671115日京都近江屋で京都見回組佐々木唯三郎に殺害されたことになっているが、実は、龍馬は死なずにその後、発生した諸々の重大政策・事件に係っていた。龍馬さんから直接、又は関係者から聞き取れてないが、その一部に触れてみよう。

 

1867年 大政奉還  内紛を防ぎ、諸外国の介入をさせずに11月平和裏に政権移譲 新政府構想を建白、参議に推薦されるが、そのような堅苦しい者にはならんぜと断る。

   勝海舟 ジョン万次郎より教唆され自由国家構想アメリカの大統領構想を提出する、が時期尚早となる。他閣僚は龍馬の構想には、頭が回らず着いていけなかった。

   没後150年を経るが、大統領構想は日本では未だ熟さず。

1868年 五ヶ条の御誓文が公布される。ご存知の如く龍馬案が根底にあった。

戊辰戦争は、食い止めることができなかったが、土佐出身の官軍幹部には、日本

人同士の殺生は控えよと厳命していた。

1869年 版籍奉還  諸大名から天皇に領地領民を返還させる統一国家形成構想は既に龍

馬が企てており四藩主もそれを率先し実行した。

    龍馬は亀山社中を世界の貿易会社に発展させたいと願い貿易業を見事に活かし、1886年武器購入・調達により薩長同盟を図った。一方、土佐藩を利用した岩崎弥太郎が1869年、九十九商会(後の三菱商会)を設立し海運業を行い、龍馬と日本の海運業の基礎を作り上げた。

1871年 廃藩置県 藩とかちっぽけなことは言うなよ。

1873年 徴兵制の布告 征韓論おこる

龍馬は富国強兵論者であった。貿易で国に富を、富を活用し国力拡充 海外進出。

1877年 西南戦争を批判  西郷と大久保の対立を非難 なぜ権力闘争をするがかや

1881年 板垣退助が龍馬に師事し、高知に立志社・自由党を結成 自由は土佐の山間より

1894年 日清戦争勃発  朝鮮半島をめぐり近代国家を目指す日本と清国との全面戦争

1904年 朝鮮と満州をめぐる日露戦争

    海軍の祖として、世界の海を自由に航海し海域を把握しており、秋山真之と共同作戦を練り、バルチック艦隊の撃沈案を計画。昭憲皇太后の夢の中に白袴姿でなく海軍服姿の龍馬が登場したと言われる。

幕末から明治と言う統一国家を形成すべき時期を75歳まで生きた龍馬。33歳以降は直接表に出ることはなく、常に日本の名参謀として近代国家建設に知力と人脈、情報網を駆使しその生命を全うされ、ふるさと、高知より天に召された龍馬さん。

ふるさと、土佐の偉大な先輩を誇りに思います。

高知出身の龍馬さんを誇りに思う高齢者より。仮説 龍馬さんは生きていた

 

 

 

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 宇喜多直家の毛利から織田への寝返りを受けて、領地安堵の許しを信長に得るべく安土へ向かった秀吉は、信長の「宇喜直家の如き薄汚い者を許すわけにはいかぬ」と一蹴される。
備前美作50万石の所領を持ち、三十の城と1万5千の兵を持つ直家の帰趨がその後の毛利との戦の勝敗を握ることは自明。信長からは、よくぞやったと褒められるつもりの秀吉は、信長のこの判断に大いに戸惑う。
続いての「小城の二つ三つならともかく、備前美作五十万石の大領を許す訳にはいかぬ。余計な策など練らず、早々に立ち帰って戦に励め」の信長の言葉に、今自分が立たされている危うさに気付き、三木攻め専一の結論を出した。となれば、一刻を争って播磨に戻り、何が何でも結果を出さないことには、己の首も危うくなる。
帰路を急ぐそんな時も時、有馬の湯あたりで「本日未明丑の刻(午前二時)、毛利の水軍二百隻ほどが魚住に来襲しました。大勢の兵と強力(運搬人夫)を伴っており、三木城への兵糧搬入を企てるものと見られます。」との注進が届いた。
この地魚住の名が初めて出てまいりました。

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 神戸新聞ほか多数の地方紙に連載された『親鸞』に引き続き、堺屋太一の『3人の二代目』を愛読中だ。
堺屋の歴史観に基づいて、戦国信長ー秀吉の時代を生き抜く3人の二代目(毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家)の生きざまを活写していて、知られなかった事実?も多数あり、面白く楽しんでいる。
ところで、今週の天秤傾くー運と勇気(4)になって、秀吉の三木城攻めの下りに、話は進んできた。

この魚住にいわば昼逃げして来たのが平成2年バブルが弾ける寸前。勿論、事業を立て直して、必ず明石に戻ろうと必死にあがいてきましたが、あっという間にもう20年過ぎてしまった。
最近では、実に便利な田舎感覚で、8Fマンションの1階を住まいに、庭いじりを楽しみ、8階は広々、事務所と客室スぺースに活用。まあ変形メゾネットといったところでここ魚住に住みついちゃった。
長男も魚住に永住かと皮肉っていたが、息子3人が東京で飯を食っていることだし、このままでも良いんじゃないかな。

というわけで、20年も住んでいますと、多少その地のことも分かり、歴史も耳にする。
たとえば、明姫幹線・江井が島中近くには、首洗いの池があり、いまだに祟りがあるとか。
なんでも、秀吉の三木攻めの際、魚住で毛利に協力して、お城に兵糧を運びこむ協力をしていたものが、捕まり、刎ねられた首をこの池で洗ったとか。
このことが、もしかして出てくるんではとの期待があり、最近は切り抜きまではじめることに。

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