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 『13日の夜は、夜須駅・ヤシーパークに立ち寄り、翌日お昼用のアワビ飯を注文して、ホテル「海辺の果樹圓」に一泊。名前からして中々の訴えがあリ期待を込めてチェックインする。だって高知ではその名を知らぬものはない
名菓子店・浜幸の直営だというではありませんか。たぶんウエルカムテーブルにはとれとれの果物が盛り上げて有るんだろうし、ホテルはフルーテイな香りで満ちみちているはず。
この期待はみるも無残に外れて、どうやら経営不審に陥った海浜ホテルを引き受けた物らしい。
テーブルのバスケットには申し訳程度のフルーツゼリーがほんの少々。
多分庭には果樹園の名残ぐらいはあるんではと早速向かったが、ただただやせ細ったヤシの木がまばらにあるばかりだった。
しかしこのホテルでの残念はこんなもんでは止まらなかった。
夕食となって向かったのがどうにも狭苦しいお部屋。メニューは海鮮バーベキューだ。
果実はゼリーだったが海辺であるからには海鮮はチャントしてくれと祈らんばかり。
がこれも、実にありきたりな品ぞろえでまったく納得がいかない。
おまけに、最初に危惧したように狭苦しい部屋で、何組もがバーベキューとなると、あがる煙もかなりなもの。
ところが、喚気が悪くて煙にせき込む始末。これじゃあ人間スモークになってしまうぜボヤイテモ店員は苦笑を返すばかり。早々に部屋に引き揚げた。
髪の毛にまでバーベキューの匂いが染みついてたまらず、お風呂となった。
そしていよいよハイライトというべき事件が起こる。セットされたバスタオル・バスロープの間から有ってはならないものが姿をあらわした。
今も証拠の写真を確り残しておりますが、ベージュ色した股下・臍上深々とした叔母さんパンツが確りアイロンを施されて鎮座ましましていた。
最初はこの頃のテレビ番組じゃあないけれど、「ナニコレ」状態だったが、持ち上げてみてその正体が判明した。サービスで入れるならもっと色っぽいパンテイーにしょろよと突っ込みながら、もちろんフロントを呼び出す。
気の毒にも人の良さそうな支配人が顔色を変えて駆けつける。もちろん何かの間違いなことはわかっているが、この忘れ物をした御婦人は替えのパンツは有ったんだろうか心配になった。
ついでにバーベキューでのあのくすぶりようは無いでと苦情を重ねた。
翌朝チェックアウトの際にはまたまた丁重なお詫びの言葉とお土産まで頂いちゃった。
おまけに、帰ってからすぐに銘菓・浜幸の詰め合わせも届いた。
関西弁での抗議がかなり効いたのかもしれない。
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『一店一店を順に覗いて歩く。まさに覗くとしか表現できない。花と野菜の豊富なこと、しかもこれが驚くほどの安さ。売り子のオバサンたちの生き生きした表情に見入る。もちろん芋のてんぷらをほおばることも忘れない。
「ひろめ市場」のごった煮感もまた一興。かくなるパワーの源はどこから来ているのだろうか。
しかし、よくよく見ると少々くたびれた表情も散見される。どことも大変なんだ。』
PS この日はこのあと帯屋町に回ってはりまや橋を訪ねた。がっかり名所日本一といわれるこのはりまや橋。
いまはかなりこれを反省して、洒落た小公園も設けられ、ミニはりまや橋が再現されてありました。
1977年のお正月1-2日ボッサりオ一座で高知旅行をした際の記念写真が残っています。
帯屋町では幸運にもよさこい踊りの実演があって、有名連が2組、観光PRのための踊りをみせてくれました。
私の持論は是非ともはりまや橋の近くによさこい会館を作るべしということ。はるばる土佐・高知を訪れる観光客によさこい踊りでヨッチャレヨッチャレ一踊りして貰うというもの。

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 戎連とimg392A.jpg
























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『                               神戸高知県人会副会長   津野伸一
堺の県人会総会にお邪魔して、思いがけなく頂いた高知行きのフェリー往復乗船招待券を有りがたく利用して平成13年9月13日(土)夜、大阪南港へ。
目的は、今ではたった一人の生き残りとなった親父の兄妹の一番末っ子で、九番目の叔母を誘って「黒潮本陣」で一泊という計画。
親父は5男で叔母は4女で3歳違い。幼い頃の思い出話を聞けるうちに聞いておかなくては、との思いからです。
(意外と親思いの一面あり)。
南港を午後9:30に出発したフェリーは二等船室の個室で足を伸ばして楽ちんもいいとこ。
翌朝、フェリーは浦戸湾へと滑りこむ。船上から見た日の出の素晴らしかったこと、このうえなし。
朝日に染まる桂浜を望み優美な姿を見せる浦戸大橋をくぐる。高知港着岸は早朝5:30.
早速桂浜に周り坂本龍馬像に挨拶を済ませる。この時は、後年これほど龍馬さんに夢中になることの予兆は微塵もありません。記念写真だけは確り撮って待望の日曜市へと向かった。
(どうです、高知県人の皆さんの眼前に、かの懐かしい風景が蘇ってきましたか。我々には馴染みのもの、そして無くてはならないもののひとつ。) 』
PS.この日曜市は自慢できるばあのもの。お城へ通じる2車線を使ってゆうに500軒もの屋台・露店が軒を並べる。とれたての魚介・丹精をこめた地野菜が並び、特に花を飛びぬけて豊富で安い。
揚げたてのてんぷらを咥えて店店を覗いて回る。気の良い土佐の元ハチキン婆さんが自慢の品々を並べて買わなきゃ損といった様子。
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 2003年のメモに、これほど気楽なお盆は仕事を始めるようになってから初めてのこととあった。
確かに、入江商店の自己破産に身につまされながらも、俺は何とかやってるぜという気分もあった。
そのまま入江にいたところで、この事態を迎えることになっていたに違いないとすれば、まだ自己責任の今の方が結果に納得出来たんじゃないのかな。
そんな頃、思い出すのは親父の9人兄妹の末っ子の叔母の存在だった。親父と3歳違いのS叔母はそのころ高知市内で一人暮らし。年ももう86歳になっている。身体は頑強でピンシャンしているが、なにしろ親父の兄妹のただ一人の生き残り。よくよく考えなくても、今のうちに昔話を聞いて書きとめておかないと、後で悔やむことになると考え始めると、もう矢も楯もたまらなくなった。
ちょうど、そんなとき、堺の高知県人会総会に招かれた席で、座興の抽選会で高知往復のフェリー乗船招待券があたった。常日頃、くじ引きに当たったことなどない人なのに。
これ幸いと、妹を誘って弘子ちゃんと3人が、高知の叔母を誘い、親父の昔話を聞き出す、メモリアル・ジャーニーにでかけることとなった。この旅行の報告を高知県人土陽会の年1回発行の会報に3回にわたって連載した。
以下はその際の記事を改めてアップする。
img386A.jpg桂浜にて











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