忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[916]  [915]  [914]  [913]  [912]  [911]  [910]  [909]  [908]  [907]  [906
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 龍馬は1862年武市半平太の書状を持って萩に行き、10日間滞在した。
この間、長州藩・有備館道場で剣術を披露、また久坂玄瑞等と接触し、在野の志士が決起すべし(草莽倔起)
との教示を受けた。
その結果、2ヶ月後の脱藩につながった。
ここまでは数ある脱藩志士の行動と変わりはない。
果たして、龍馬はどの時点で龍馬独自の路線へと舵を切ったのだろうか。
その路線変更が無ければ、この日本は一体どうなっていたことだろうか。
有備館は木造平屋建てで板間の剣術場と土間の槍術場がある。
長州藩の藩校「明倫館」の敷地内に1849年に建てられ、藩士やほかの藩の修行者が剣・槍の腕を磨いた。
龍馬も早速道場に引っ張り出されて腕を試されたに違いない。
武士・侍たるものいくら弁が立っても、最終剣術の腕が無ければ通用しない時代だ。
また、この剣術修行は藩に対して江戸・京に出て行く上での大義名分となった。
多くの若者が青雲のあるいは国を思う余り、剣術修行と称して藩を飛び出していった。
勿論、それぞれの藩ゆかりの道場で修行した訳だが、全国各地から集まった弟子同士での情報交換・情勢分析が行われ、その絆を強めていくと言う効果もあった。
云わば情報伝達のメディでもあった訳である。
PN2010080601000171.-.-.CI0002.jpg













拍手[0回]

PR
 
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
[916]  [915]  [914]  [913]  [912]  [911]  [910]  [909]  [908]  [907]  [906
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/30 つのしん]
[01/30 さくら]
[01/30 さくら]
[10/06 かめいち]
[10/03 庫山堂]
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]