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コーヒー茶碗6ケ、紅茶茶碗6ケをやっと買い揃えての開店であったが、ハイカラお洒落な親父にはうってつけの仕事ではなかったか。明石では、当時
国道筋向かえに有名店喫茶「コマドリ」があり、なんとか常連客をつけて経営を安定させたいと努力した。魚の棚の旦那方、大明石町のあった青果市場の方々、競輪の予想屋の天狗のおじさん。ヤクザヤさんの藤原氏。キャバレー経営の小西さん。多士済々が出入りする。当然僕もレジカウンターに立って、おじちゃん5円お釣りとかやって手馴れたものです。コーヒー一杯20円から知っています。明石公園に競輪場が開設されたのが、昭和25年(1950年)4月400MのBANK。明石駅裏から競輪場までの坂を鈴なりの人を乗せてバスがあえぎながら往復ピストン運転をしておりました。そのころ、土佐・須崎の爺さん婆さんが明石にやって来ましたが、親父は店が忙しくて相手になってやれない、そこで競輪にでも行ってきたらと気がるにおくりだした。ところが、これがビギナーズラックと言おうか、そこそこ大穴を当てちゃった。さあ爺さんの喜ぶまいことか。・・これが仇になって、爺さんの競輪通いが始まった。よせば良いのに、国に帰ってからも、須崎からわざわざ高知に出かけては、産婆をやっていた末子伯母に小遣いをせびってはスッテンテン。終いには家を継いでいた良幸伯父に内緒で、先祖から受け継いで唯一残っていた墓山まで売り飛ばして、92歳で亡くなるまぎわまで競輪に通った。根性あるなあ。もともと山っ気があるが、博才にはからっきし恵まれていなかったということ。一方政婆さんは、土佐の古い民話を沢山知っていて、柴天から河童人隠し、お化けの話と土佐弁そのものでの語り口で話は尽きない。煙管の刻み煙草をほんとに美味しそうに燻らしながら、まだまだお話はあるぞねと、飽きることが無い。政婆さんは、情の篤い人で、信太郎爺さんがわりとアッケラカンとしていたのとは違って、例えば須崎の実家から帰る際にも、川端の柳の下で手を上げて、私たちの姿が見えなくなるまで佇んで別れを惜しんでくれた人でした。親父も婆さん子で、しきりと甘えていた。店には、大型蓄音機とSPの分厚いレコード集。それもクラッック中心で、ベートーベンのブラームスのと、大曲アルバムばかり、一曲聴くのに裏表10枚は針を落とさないと終わらない。ご近所のお付き合いにもマメで、少し店が流行って楽になると、とくに麻雀が好きで店と東映映画館の間を通るションべン横丁にあった雀荘に入り浸り。私も雀荘に付いていって卓の側で牌を積んだり崩したりして遊んでいたが、タオル鉢巻でチーのポンのとやっている姿を見ているからか、未だに麻雀の遊びそのものが分からない。それも何度か手解きをうけても頭に納まらない。多分やればとことんのめり込むかもしれないとの自制が働いてのこと。だから私は、これ以後親父がはまった、
女遊びにもゴルフ狂いにも近づく事はありませんでした。???

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