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 世の中、1位と2位でこんなに扱い・注目度が違うのか。そのことをつくづく実感させられたのが、高校2年時、全日本吹奏楽コンクール名古屋大会(昭和33年・1958年11月30日)での優勝であります。このときの有永先生は、自由曲にドイツ・グランドマーチ「ツエッペリン伯号」を選んだ。これは実は大変な冒険で、曲の難易度からいって、もっと大曲を選ぶのが常識であるところを、あえてマーチで勝負にでた。それは喇叭隊ともいえる行進曲を主に演奏していた戦前の伝統が今なお残り、マーチの明石高校と言われるぐらい。行進曲それもリズムが8分の6の曲を得意としていたからです。永年手塩にかけてきた楽団の一番の得意を信じてこの曲をえらんだ。幸い、マーチとは言いながら、この曲は半端な序曲など顔負けの音楽的内容の有る曲で、求められるテクニックも半端じゃなかった。そのうえこれを完璧なまで演奏しきった。コンクール史上、自由曲にマーチを選んで優勝したのは前代未聞でありました。余談になるが、このときの宿が、当時売春防止法で閉鎖された赤線の跡であったらしく、建物は江戸の時代を思わせる情緒あふれる設えながら、部屋は妙に狭い構えでありました。
優勝を土産に明石駅につくと、駅頭には歓迎出迎えの人の波。われわれは明石で何かあったのかと聞くと、我我を歓迎するために集まっているらしい。なかには提灯を振りかざす人もいる。戦後の暗いニュースばかりの明石にとって全国優勝したことが余程好ましく受け取られたらしい。さっそく市長様の歓迎挨拶などがあり、やっと家にたどり着くまで長時間を要した。その後、明石デパートでの優勝報告演奏会とか、小雨降る中嬉恥ずかしい優勝パレードとか、おまけにTV出演(スポンサーが忘れもしない、あったり前田のクラッカーでありました。)
確か明石市長が明石にもこれを機会に立派な演奏会が開ける市民会館を建設しますと高らかに宣言していたが、実際実現したのは昭和46年、13年後の完成です。

 





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