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今日のニュースステーション。広島の原爆投下について衝劇的な事実を発掘して見せた。
あの日、広島になぜ警戒警報が鳴らなかったのか。爆心地の小学校でただ一人生き残った生徒は、朝令前、
国民服のボタンが取れかかっているのに気がついて、友達にボタンをつけてくるといって防空壕に降りて行った。
ボタンをつけ直しているとき、あの閃光を感じて、慌てて地上に出てみると、1800人いた人々すべての姿が無かった。
せめて、あの時警戒警報が鳴り、皆が防空壕に避難出来ていたら、ほとんどの人が、私のように生き残ったに違いないと77歳の老人は回想・慟哭した。
原爆投下機で有名なB29・エノラゲイの航空兵・ナビゲーターが生存していて、エノラ・ゲイ他3機は真っ直ぐ広島を狙い、投下後まっすぐ帰投したと証言する。詳細な飛行記録のコピーを示しながら。
けれど、投下前30分の記録が空白となっていた。またその兵曰く『真実は絶対に分らない』と。
そして当時防空監視に当たっていた監視員の報告では、原爆投下の30分前、B29・3機編隊の広島上空新入を認め警戒していた所、上空で3回旋回した後、岡山・播磨灘方面に姿を消したとの事実があった。
その後、岡山図書館に残されていた防空日誌には、その日B29・3機編隊が8時前、岡山の上空に現れて、すぐさま広島方面に機首を巡らしたとの報告が記されていたという。
ここに世界で唯一原爆を使った米国のあまりにも非情な計算が読み取れる。
米軍は原爆の特性を最大限に発揮させ、ただただ罪なき市民を最大殺傷するため、人々が警戒することもなく地上に姿を表しているその瞬間に原爆投下すべく、あってはならないフェイントを仕掛けたんだ。
いくら合理主義の国とは言え、この所業はナチス・ドイツのユダヤ人抹殺計画の冷酷さ、人類への罪深さとなにほど変わるところが有るのだろうか。
酷いことをしやがる。65年経ってやっとオバマ大統領が『世界で唯一原子爆弾を投下した国』と発言した。
1983年11月、冷戦の真っ最中、ヨーロッパで行われたエイブル・アーチャー作戦というソ連へのミサイル発射を含む演習のさなか、事実誤認したソ連の書記長ゴルジエフスキーは報復のためのICBM300基とSS20、75基の発射ボタンを押す寸前まで至っており、まさに第三次世界大戦勃発の危機があったという事件の際、ソ連が一番に気にしたのがかの国米国が唯一世界で原子爆弾を投下した国であるという事実だった。『あの国ならやりかねない、事実広島・長崎があるではないか。』

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午後1時早々とオバマ当選をがんセンター・MRI検査室前で聴いた。過日の前立腺生検の結果、12箇所の検査箇所のうち一か所ガン反応が出た。早期発見とはいえ立派なガンであります。今後11日のCT検査・骨シンチ検査の結果を待って、治療方針をきめることになる。もしかしたらこのブログが病床日記になるやも知れません。
ところで、日本の政治家に見るべき人物がいないと同様に、米国の今回の大統領候補についてもオバマ以外に気になる人物はついぞ現れなかった。オバマの独走を許したのは、かれに対抗すべき人物の払底であって、案外CHANGEとかで米国民を引っ張っているかに見えるオバマ自身、ことの成り行きに驚いているんじゃないだろうか。言葉のマジックに醒めたあとの揺り戻し、今一番求められる有効な経済施策に公平平等なアイデアが出なければ、早速オバマバッシングが始まることだろう。
それにしても1年半掛けた選挙戦の長丁場を乗り切るパワーと、選挙民の熱狂ぶりには恐れ入ります。大和民族にはあのパワーは考えられない。もしかしてYES WE CAN と破滅の淵に導かれているかもしれないのに。 
あるいみ両候補とも、選挙が始まれば神輿に乗せられているわけで、自分の意思でもって物事の判断を下すこともなく、流れに身を任す以外に手はないんだろうに。むしろこれだけの選挙戦の戦略組立をしているブレーンの存在の凄さに感服させられる。この緻密な組織作り、徹底した情報管理・情報戦略・資金獲得・スローガンの的確さなど見ていると、まるで戦争時下そのものの緊張感がみなぎっている。・・いやまさしく戦争そのものだ。
最近の米国アーカイブが50年を経て次々明らかになっている事実の中でも、米国の対日戦争準備について、そこまでやっていたのかという事実が明かされているが、米国は本質的には変わっていないんだろう。
太平洋戦争は、日本の真珠湾攻撃によりだまし打ち開戦と教えられてきたが、それらのアーカイブによると、開戦5年前から、米国は日本が輸入した、あらゆる物資・機械を調べ上げ、たとえば特殊工作機械がどこに据えられたかまで、突き止めている。戦争突入となれば、その時点で日本のどこを爆撃すべきか、日本の原油備蓄がどれ程で、戦争可能なのは何時までか、即座に明示できる準備が整っていたわけで、これじゃあ勝てるわけないって。緒戦は勝利する好運にめぐまれても、大統領選挙いじょうの長期消耗戦となれば勝敗はあきらかだ。そんな米国の本質をどこまで研究・理解していたのだろうか。
ただ日本での占領があまりに見事に成功したばかりに、米国はイラクをはじめとして、この成功体験から抜けきれないで苦しんでいるのは、歴史の皮肉としか言いようがありません。

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あれは昭和38年(1963年)11月22日(金)米国現地時間12:30ケネディ大統領が暗殺されたとの臨時ニュースを聴いたのは、ラジオの深夜放送を聴いていたから、かなり遅い夜中。私の満22歳の誕生日のこと。
人生で心胆寒からしめるニュースに遭遇することなんぞ、めったに無いことで、おまけに自分の誕生日であったこともあって、忘れられない事件であります。ほんとニュースを聴いた途端に、「嘘やろー」と大声をあげてしまった。米国の歴史は大統領暗殺の歴史でもあることは、教科書上の史実としては知っていたが、まさか今の世にその凶行が繰り返されたことの恐ろしさ。米国に潜む闇の深さに身震いをいたしました。その後の膨大な報道・情報の大波の中から、オズワルド一人が真犯人ではないことに皆が気付いていながら、そのことを口にしない米国の社会土壌の奇妙さを察知したことでした。
 さて、操り人形の如きブッシュ大統領は、武器弾薬の在庫一掃セールのセールスマンのごとくイラク戦争を起こし、開戦に際しては絶大な国民の支持を得たように感じたのは事実であります。しかしたぶんあれもご多分に洩れず巧妙なメディア操作の作りだした幻想だったのかもしれない。唯一救いとおもうのは、今や厭戦の声がホウハイと沸き起こっていることです。
 私達世代にとって、ルーズベルト・トルーマン・アイゼンハワーの3代の大統領の印象は、強権の裡に第二次世界大戦を終結させた強大な権力に裏打ちされた確固たるイメージがあったものですが、オバマ・マケインの選挙運動をかくも長々と見せつけられてみると、米国の、いや世界の命運を握る大統領選が結局は大衆をヒートアップさせ、あたかもハメルーンの笛に踊らされるように、表面上の人気取りスローガンに引きずられて投票に走るような印象が残る。
 たぶんオバマが大差で勝利する予感。がしかし、当選の瞬間からまたも忌まわしい暗殺の魔手にかかる懸念が湧いてくるのを止めようがありません。
 一方、この国で繰りひろげられている、「ひとごと・おてもり・先送り」の全く賢さを感じさせない政治の馬鹿馬鹿しさと相まって、まったく世界はお先真っ暗。孫曾孫に借金を押し付けて、自己保身のみを図るような人物ばかりを生みだしたこの60年は一体何だったんですか。いちどご破算にして、心構えはあの焼け跡の時代に舞い戻るべきではありませんか。

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今日はとりあえず北京オリンピックを語らねば。7日、北京オリンピック開会の前日、日本サッカーは米国とリーグ戦初戦を戦い0-1で敗退した。たしか前宣伝では、40年ぶりのメダルも夢でないとか。早速の敗戦ショックにどのメディアもうろたえをかくせない。しかし、いったいいつのころから、日本のスポーツジャーナルはその牙を抜かれたのか。冷静な評論を置き忘れ、まるで闇雲な応援団と化してしまった。これはサッカーだけではなく、あらゆる分野に共通していること。私はサッカーしか知らないから、とりあえずサッカーを論じることしか出来ないが。
オリンピックに限って言うと、日本サッカーが最初にオリンピックに参加したのは、第11回ベルリン大会のことである。くしくもこのベルリン大会は、独裁者ヒットラーの国家総動員の魁となる見事な国家宣伝の下、開催されたことで知られている。当時としては三国同盟の仲間意識も働いての参加だったか。我がイレブンはそんな政治的思惑とは全く無縁で、アジアから日本と中華民国の2国のみの初参加ということのプレッシャーのほうが大きかったことでしょう。その初戦、欧米諸国から見れば、アジアの片隅からやってきた、見るからにみすぼらしいチイ―ムは、間違いなく強豪国の一角とみなされていたスエ―デンに粉砕されるとの当然の予想があり、そう信じられてもいた。ところが、日本は敢闘精神を発揮したのか、スエ―デンを3-2で下してしまった。詳しく調べると、試合に際して、日本は技術・体力・経験とあらゆる面での不利な条件を覆すべく、したたかなゲームプランを立てていたのだが。まるで桶狭間の合戦の如く。・・これを歴史的金字塔「ベルリンの奇跡」の一言で片付けていいものか。
そのふてぶてしさ、逞しさが、今の日本サッカーには見られない。その欠如を言い募る評論も見当たらない。たぶん10日のナイジェリア戦は0-3で負け、予選リーグ敗退が決まることだろう。もちろん私の予想が外れることを願うところだが。
ちなみに、ベルリン大会のあと、第12回大会は東京での開催が決まっていた。その大会の日本選抜候補に神戸高等商業から4人も選ばれていた話は2008年総会で酒井先輩のスピーチで初めて聞かされたことは、このブログの「サッカー命の日々」の項で書いています。不幸にも、日本は大会準備がどうしても間に合わず、途中大会返上というはめに陥っている。急きょ決まったヘルシンキ大会も、第二次世界大戦勃発にともない中止となってしまいました。

今、開会式を見ています。会場・鳥の巣に繰り広げられる張芸謀監督の演出は、噂にたがわず仰天奇抜で伝統美で飾られ、あらゆる技術を駆使して、なおかつふんだんに人間力を投入したものであります。ときたま、大写しになる演者は、中国のどの街角でも見かける、素朴な表情をしている。自分が全体のどの位置にあるのかなど、考えもしないで、ひたすら命じられた通りに役割をはたすべく顔を引きつらせて頑張っている。・・この開会式は現場でみるよりも、TVを通して見るほうが正解であるように作られている。会場の10万の人間よりも、貧困にあえぐ自国16億の民に一時の夢を見させるために。
開会式が華やかに盛り上がれば、盛り上がるほど、宴のあとの危うさに、ローマ皇帝が感じたと同じ憂鬱を胡錦涛皇帝は感じておられるのではないのかな。

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cb0c0851.JPG8月2日(土)かねてより姫路お城まつりで種子島伝来の火縄銃実演があると新聞での告知を見逃さず、昼過ぎ電車で出かけた。日頃は車での姫路行きばかりとて電車から見える光景が実に新鮮に写る。加古川・坂元の区画整理も立派に完成して、念願の南北道路完成までもう一息。やはり不動産屋の血が騒ぐ。天下の姫路城を目前にした大手前公園までは、みゆき通りをそぞろ歩く。やはりお祭りとて、なかなかに賑わっております。
お目当ての火縄銃の実演は公園広場に到着と同時に始まった。岡山城鉄砲隊の面々の勢揃いである。感想を言えば、その鎧冑のさまざまから見て、侍大将と見まがういでたちもあり、一見その昔を彷彿とさせるものがありました。
しかし、元来サムライはあくまで刀槍での戦いに拘り、火縄銃鉄砲隊は身分の低い兵により編成されていた筈。少々そのいでたちに違和感を覚える。実技そのものは轟音を発し、白煙を上げる迫力はかなりのもの。これが信長軍の3000丁も揃い、1000丁スずつの3段連射を見舞われた武田勝頼もびっくりしたことでしょう。
腰周りには弾薬帯を巻いた姿から、何故か、旧陸軍の38式歩兵銃の装備姿を思い出した。
先日から、深夜NHKテレビが「兵士の証言)シリーズの再放送を流しています。かの激戦、それも究めつけの負け戦で奇跡的に生還した兵士の回顧のみを中心に編集されたもの。その元兵士の誰もが、話しているうちに言葉に詰まり、湧き出る涙をぬぐおうともしない。38銃一丁を頼りに、圧倒的米軍と戦いとも言えない局面に投入されて、よく命があったものだと振り返る。
日本軍部指導部の徹底した頑迷愚劣さは、太平洋戦争のあらゆる局面で遺憾なく発揮された。その犠牲になった兵士たちは堪ったもんじゃない。その嚆矢とされているのが、ソロモン諸島・ガダルカナル島奪回作戦ではないか。旭川市を基地に編成されていた第七師団歩兵第28連隊、工兵第七連隊第一中隊および独立速射砲第八中隊からなる一木支隊(隊長一木清直大佐)が、日本軍が建設した飛行場を奪回すべく、2000名の兵員でもって隠密上陸を敢行した。結果、駆逐艦をつかっての作戦であったため、上陸できた兵員は916名とされている。そしてその装備もほんと38銃しか手にしていなかった。しかし軍部には、それまでの大陸での戦闘のイメージしか持ち合わせていなかった。一方、米軍はそれまでの敗勢を盛り返すべく、全ての準備が整い、近代戦の最先端をいく装備でてぐすねひいて待ち構えていたから堪らない。貧弱な装備をカバーするには、夜襲にたよるしか能がない。それも銃撃を禁じられた白兵突撃を命じられる。銃剣で相手を突き殺せというわけだ。
米軍は飛行場周辺に、数限りなく集音マイクを設置し、日本軍得意の夜襲攻撃も、その気配を察した米軍の照明弾のもとに、丸裸にされてしまった。この本格装備の米軍と日本軍が地上戦を戦った最初の戦闘で、一木支隊の916名中777名が戦死した。殺戮ともいえる戦闘が終わり、累々と横たわる日本兵の前に6台の戦車が現れたそうな。その戦車は、密積している死体と負傷兵をめざして突進し、まるで虱でもつぶすように蹂躙を重ねた。その後、ガ島では31000名の兵士が投入されて、5000名が戦死、15000名が飢えで死ぬことになった。
思わずこみ上げるのは、この初戦を少なくとも教訓・学習して、せめて次の作戦に生かすことでもなければ、兵士の死はまったくの犬死となる。しかし現実は、インパール作戦の無謀を例にとるまでもなく、終戦にいたるまで繰り返され、無辜の兵士と民を地獄へと追いやった。この程度の低さはまったくどうしたことだったのか。想像だにだきません。司馬遼太郎が太平洋戦争は書けないと筆を投げたのも頷ける。
西南戦争末期の西郷軍と大久保利通率いる政府軍ほどの格差戦争の経験はどこに置き去りにされたのか。
物量が戦場を支配する原則を無視して、大和魂ですべてを押し切ろうとした我々日本人のしょうこりなさはいまだ引きずっている気がしてなりません。






 

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