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 あれは何時頃だったか、私がまだ明石駅前2号線交差点の北西かどの藤田ビル2階てんぷらマルイチでてんぷらを揚げていた頃、たぶん昭和45-46年ころか。カウンターに座った厳つい親父、それも左耳を覆う耳帯をしていて、盛大にてんぷらを口に運ぶ。話の中で、俺は富島寿司屋を開いている、一度食べにお出でよときた。こちらも社交辞令として、そのうち行かしてもらいますと適当な返事を返す。
富島へは連絡船で45分くらいで行けるし、中学の臨海学校で行ったこともあり、あながち嘘をついたわけだはなかったが、なかなか行くチャンスには恵まれなかった。
そんな中、富島・福寿しが繁盛しているとの噂は度々耳にした。
何しろ、ネタが大きいので有名になった。ネタに隠れてシャリが見えない。大ネタ寿しの元祖だったわけだ。
勿論、あの頑固そうな親父のこと、ネタの鮮度も抜群、利き目に任せて、トレトレを食わせれば、人気が出て流行るのは当然だ。
それから約25年後の阪神淡路大震災の折、震源地とされる野島断層近くの富島も激甚な被害を蒙り、なお復興に立ち上がる町の人々の二ュースの中に、福寿しの親父の顔を見た。頑張ってるんだと思いながらも、とんと行く機会がなかった。
5日由良港・新島水産で海賊焼きを堪能し、パルシェの湯で身体を温めた後、西浦周りで地道を走って岩屋へ向かった。
海岸沿いの西浦の道は、まだ6時過ぎと言うのに、走っている車の姿もまばらで、強風による越波警報のシグナルも出ていた。
震災後、特に整備された富島港の辺りを走っていると、道沿いに福寿しの暖簾が見て取れる。
ああここに有ったんだと速度を緩めて覗き込むと、でっぷりした爺さんが暖簾に手を掛けてこちらを見透かしている。客が来たと思ったんでしょう。こちらの様子を観ながら暖簾を仕舞おうか迷っているように見えた。
建物は、意外と簡素そのもので、たいがい商いで儲けて居るはずだがと思いながらフト見ると、右耳に耳帯をしている。ああまだあの時の親父が頑張っているんだと気が付いた。
そうなれば寄らぬわけには参りません。ネタケースも空に仕舞われている店内へ。
もうあまりネタも残っていないと言われながらも美味しいところを握ってくれる。
確か、あの時、親父さんは私よりだいぶ年上に感じたが、一体お年はと聞いてみる。
勿論、昭和45-46年ころ、明石駅前のてんぷら屋での一件を言うと、本当か、嘘か覚えていると呟く。
わては72歳になりました、この店を開いて40年ですわとの返事だ。
意外や意外、4歳しか歳は違わないんだ。内心もうあの親父は歳で亡くなっているんだろうと思っていたこちらが驚いた。思わずすいませんと言っちゃった。なにせ40年ぶりの再会だった。



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