書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
みんなの励ましを受けて、手術室に迎え入れられる。今朝は9つのオペが同時進行で行われるということで、それぞれストレッチャーを構えたスタッフ団が群れをなして待ち構えrていた。津野伸一さんですねと確認されて、思わず毎度と答えてしまううろたえようだ。
ストレッチャーに乗せられて手術室へ運ばれながら眺める廊下の天井ライトの流れゆくさまは、まるで白い巨塔の世界。
そのまま無影灯のもちで予備麻酔の処置をされる間、9時10分と時計を確認したところまでは覚えています。
無声映画の最初のフイルムの早送りのような映像が見えたと思ったら、津野さんと呼ぶ声。思わず帰ったんやあとつぶやいた。4時10分、7時間の手術となりました。弘子・ダイゴ・啓三・郁子の顔を見れたのが、5時10分
術後の回復状況はゆっくりお伝えすることにして、電話・メールで励ましてくださった方々に心からの御礼をもうしあげます。もちろん訪ねてまわった神仏にも。。
今日23日、午後50歩歩行。オナラまだ出ず。
ストレッチャーに乗せられて手術室へ運ばれながら眺める廊下の天井ライトの流れゆくさまは、まるで白い巨塔の世界。
そのまま無影灯のもちで予備麻酔の処置をされる間、9時10分と時計を確認したところまでは覚えています。
無声映画の最初のフイルムの早送りのような映像が見えたと思ったら、津野さんと呼ぶ声。思わず帰ったんやあとつぶやいた。4時10分、7時間の手術となりました。弘子・ダイゴ・啓三・郁子の顔を見れたのが、5時10分
術後の回復状況はゆっくりお伝えすることにして、電話・メールで励ましてくださった方々に心からの御礼をもうしあげます。もちろん訪ねてまわった神仏にも。。
今日23日、午後50歩歩行。オナラまだ出ず。
PR
粒子線治療のことを聞いたりすこし寄り道はしましたが、余命10年以上、グリーソン値6、ステージTb2の判定から根治的前立腺全摘出術に踏み切りました。
今は静かに明日朝9時からの手術に備えて安静を心がけています。
かくなる時の神仏恃み 以下列挙して再拝。
平成20年10月17日 興福寺・南円堂・・・十一面千手観音様御開帳、長谷寺、岡寺、壺坂寺、
番外発起院
10月25日 (沖縄旅行にて) 斎場御嶽せーふぁうたき
10月30日 (津野山神楽・梼原) 三嶋神社・津野氏勧進
11月12日 四国88ヶ所 4番 大日寺、5番 地蔵寺
11月13日 80番 国分寺、81番 白峯寺、82番 根香寺、83番 一宮寺、
84番 屋島寺, 85番 八栗寺、86番 志度寺
11月14日 西国三十三所 石山寺、岩間寺、
11月15日 今熊野観音寺、項法寺六角堂、行願寺革堂、六波羅密寺、清水寺、
霊山神社.・坂本龍馬中岡新太郎墓前祭
11月22日 伊勢神宮外宮、内宮・新嘗祭池田敦子氏祭拝見
12月4日 京都・永観堂、南禅寺
12月16日 大阪・お初天神
12月39日 篠山・春日神社
平成21年1月1日 明石・人丸神社 初詣
1月3日 成田山神勝寺・二男代参 病気平癒祈願届く
1月9日 西宮神社宵戎
1月12日 淡路一宮・いざなぎ神社
1月18日 宗佐厄神・八幡神社
とうとう来るべき日がやってきました。人生なにごともこうしたものだ。必ずその日はやって来ます。
朝9時半にがんセンターの入院受け付け前に並ぶ。うかない顔をしている初老・老人数名。同期の桜だ。
東京在住の3兄弟を代表して三男が昨日から帰明してくれた。手術の無事終了を見極めるまで付き添ってくれる。仕事が山ほどあるだろうに感謝・ありがとうの言葉しか見当たらない。
入院は人生初めての経験です。病気入院では歴戦の勇士・弘子ちゃんが鼻の先で笑った。
彼女の手術歴から見れば、ほんの初年兵の扱いだ。しかし、入院の準備万端完璧にやってくれました。
三男が帰ってきてくれて安心なのは、むしろ彼女の方かも。
第1日目、意外と忙しい。病院内の施設の案内から、入浴、排尿の量の測定、体温の測定記録から、主治医のICまで。昼食・夕食と終えるころ、弘子ちゃんと三男は帰って行きました。
三男が東京に帰ったあとが寂しかろう。
ところで不思議なご縁が判明。ナースステーションの前を通りかかったとき、三男が「あれ、あの医者の顔見覚えがある」と言い出した。
彼の人面の記憶力は凄いものがあって、あの東京の人込みから従兄の顔をみつけだした程。
この病棟は泌尿器・皮膚・呼吸器の合同病棟らしく、かのドクターは白陵高校の一年後輩で、皮膚科の担当と判明した。
おまけに高校時代には、三男のグループの配下のグループにいて、我が駅前飲食店にてメシを御馳走になりましたと、頭を下げてくれる。
ついでと言えばおこられるが、かのHドクターに長年付き合っているかなりグレードの高い水虫まで診てもらってお薬までいただいた。
考えてみれば、不動産仲介にても、思いがけない知人の出現でどれほど助けられたことか。
入院先のドクターにいささかのご縁があるなんて。この手術も無事切り抜けられる予感。やっと腹が据わった。
朝9時半にがんセンターの入院受け付け前に並ぶ。うかない顔をしている初老・老人数名。同期の桜だ。
東京在住の3兄弟を代表して三男が昨日から帰明してくれた。手術の無事終了を見極めるまで付き添ってくれる。仕事が山ほどあるだろうに感謝・ありがとうの言葉しか見当たらない。
入院は人生初めての経験です。病気入院では歴戦の勇士・弘子ちゃんが鼻の先で笑った。
彼女の手術歴から見れば、ほんの初年兵の扱いだ。しかし、入院の準備万端完璧にやってくれました。
三男が帰ってきてくれて安心なのは、むしろ彼女の方かも。
第1日目、意外と忙しい。病院内の施設の案内から、入浴、排尿の量の測定、体温の測定記録から、主治医のICまで。昼食・夕食と終えるころ、弘子ちゃんと三男は帰って行きました。
三男が東京に帰ったあとが寂しかろう。
ところで不思議なご縁が判明。ナースステーションの前を通りかかったとき、三男が「あれ、あの医者の顔見覚えがある」と言い出した。
彼の人面の記憶力は凄いものがあって、あの東京の人込みから従兄の顔をみつけだした程。
この病棟は泌尿器・皮膚・呼吸器の合同病棟らしく、かのドクターは白陵高校の一年後輩で、皮膚科の担当と判明した。
おまけに高校時代には、三男のグループの配下のグループにいて、我が駅前飲食店にてメシを御馳走になりましたと、頭を下げてくれる。
ついでと言えばおこられるが、かのHドクターに長年付き合っているかなりグレードの高い水虫まで診てもらってお薬までいただいた。
考えてみれば、不動産仲介にても、思いがけない知人の出現でどれほど助けられたことか。
入院先のドクターにいささかのご縁があるなんて。この手術も無事切り抜けられる予感。やっと腹が据わった。
今日は9時にがんセンターへ出頭。第2回目の自己採血と膀胱内視鏡検査。
自己血採取は2回目で水分補給を心掛ければ良いと前回の学習効果を発揮できるが、膀胱鏡検査は聞くだけで尿道に無理やり内視鏡をねじ込むイメージがふくらんでいけません。
それでもこの検査が手術前必須とあれば逃れるすべはありません。
待つこと90分、1時前にとうとう順番がまわってきた。それも前回の生検と同じ診察台ときた。
スッポンポンでうつぶせる。お尻というより尾てい骨あたりに麻酔注射2本―3本。前に回って尿道へ麻酔ゼリーを塗りつけているらしい。その様子は幸いカーテンで遮られて見ることはできません。
日頃でも遠慮深い私のナニが、一層縮みあがって多分見る影もないはず。しかし今度の検査医は前回の先生のように、津野さんのナニは小さいねとは、さすがに云わなかった。まあケツの穴は小さいと言えても、ナニは小さくとも小さいとは言えませぬ。
ベッド横にモニターがあって、先生も見ていてくださいと言ってくれたが、なにやら洞窟をくぐってゆく光景を目にできたのは束の間のこと。痛み、激痛と言うのではないが、身をよじるような違和感が襲ってきた。やはり肥大がかなり大きいですねとの先生の観察が聞こえてくる。とたんに底を管が通過するんだろう、押し広げるような感触がある。情けないとおもいながらも、思わず声がでる。意気地がなくて御免なさいといいながらも、大きく息をしてとの看護師の声に懸命に従った。もう終わりですよとの天使の声、しかしなかなか終わらない。・・・
まあ手術のベテラン、お腹を見れば東京の環状線状態の弘子ちゃんに言わせれば、手術より検査の方が大変なのよとか。その言葉を信じることとしましょう。
慶応4年、堺事件の際、切腹の場で土佐23烈士は己が腸を検視のフランス公使・将校に投げつけたとか。
おれも甘いなあ。
自己血採取は2回目で水分補給を心掛ければ良いと前回の学習効果を発揮できるが、膀胱鏡検査は聞くだけで尿道に無理やり内視鏡をねじ込むイメージがふくらんでいけません。
それでもこの検査が手術前必須とあれば逃れるすべはありません。
待つこと90分、1時前にとうとう順番がまわってきた。それも前回の生検と同じ診察台ときた。
スッポンポンでうつぶせる。お尻というより尾てい骨あたりに麻酔注射2本―3本。前に回って尿道へ麻酔ゼリーを塗りつけているらしい。その様子は幸いカーテンで遮られて見ることはできません。
日頃でも遠慮深い私のナニが、一層縮みあがって多分見る影もないはず。しかし今度の検査医は前回の先生のように、津野さんのナニは小さいねとは、さすがに云わなかった。まあケツの穴は小さいと言えても、ナニは小さくとも小さいとは言えませぬ。
ベッド横にモニターがあって、先生も見ていてくださいと言ってくれたが、なにやら洞窟をくぐってゆく光景を目にできたのは束の間のこと。痛み、激痛と言うのではないが、身をよじるような違和感が襲ってきた。やはり肥大がかなり大きいですねとの先生の観察が聞こえてくる。とたんに底を管が通過するんだろう、押し広げるような感触がある。情けないとおもいながらも、思わず声がでる。意気地がなくて御免なさいといいながらも、大きく息をしてとの看護師の声に懸命に従った。もう終わりですよとの天使の声、しかしなかなか終わらない。・・・
まあ手術のベテラン、お腹を見れば東京の環状線状態の弘子ちゃんに言わせれば、手術より検査の方が大変なのよとか。その言葉を信じることとしましょう。
慶応4年、堺事件の際、切腹の場で土佐23烈士は己が腸を検視のフランス公使・将校に投げつけたとか。
おれも甘いなあ。
我ががん君、早期発見ということで事前治療は一切ありません。ただ自己血採取にそなえて鉄分補給のためカプセルを一ヶ毎日服用。おかげでウンチが真っ黒に。
25日、世間はクリスマスと言うう日に、私は朝から自己血採取。400CC頂きますと看護師は事もなげにぬかす。けれどどの看護師さんも親切で、キビキビト誠に気持がよろしい。
ついでに、3年ほど前、膳立腺がんを切りまくった先生がおられたようだがと聞くと、「ええ、いまはがんセンターの東隣で開業されてますよ。」との返事。やはり私の推測は当たっておりました。その上「あの頃は、陛下も前立腺がんの手術をされたせいか、患者さんがおおかったから。」とも聞きました。
畏れ多くも陛下と同じ病を患うなんてと喜んでいるばあいではありません。
採血は10分のところ、8分で終わり、血管はいい感じですよと看護師。
このあと、自己申告でどうも下肢の血行がおもわしくないように思うと言っていることから、下肢のCT撮影を行う。なにせ学生時代サッカーに狂ったころ、走りまわって下肢を酷使している。先般の淡水サッカー会長がアキレス腱切断の手術後肺血栓症で亡くなったのも、下肢に血流欠陥があったからではないかと思っている。
造影剤を飲んだついでに泌尿器撮影もすます。看護師がおしっこよく我慢しましたねとほめてくれる。写真だ膀胱がパンパンなのが分かるんだ。
カレンダー
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
リンク
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
最新記事
(12/10)
(03/07)
(09/29)
(07/06)
(03/22)
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
HP:
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
ブログ内検索
アーカイブ
最古記事
(03/08)
(03/12)
(03/12)
(03/16)
(03/23)
カウンター