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今日19日は退院後初めてのがんセンター検診日。午後2時からということで、早い目に家を出て、宗佐の厄神さんにお礼詣りをしようとなった。稲美町六分一の交差点をまっすぐ北上して三木市の公園工場に突き当たる手前。このあたりでは人気の宗佐厄神がある。いつもは閑散とした境内に屋台がズラリ。いつも思うのだが的屋商売ってどうなんだろう。ただ、この厄神さんの特長は、広い境内に恒例の植木市がにぎわっていること。
お札を買って帰るよりも、植木・鉢を抱えた人の方が目につくようだ。
入院前、30余の神社・寺を巡った締めくくりに、宗佐の厄神さんに最後のお願いをしたお陰で、無事娑婆に戻ってこれたのは確か。その時頂いたお守りを感謝をこめて納め、新たに同じ癒し守りを買った。
長男が今年は本厄なのをお寺の厄一覧で確かめて、お札を購入。送ってやらねば。
2時からの診察、といっても血液検査の結果をみての所見だが、井上ドクター曰く、現時点では根治といえる手術結果で、以後も無治療で行きましょう。ただし当分は月一回の血液検査の来院するようにとの指示をいただいた。なにか困ったことは無いかと聞かれて、横から弘子ちゃんが、尿漏れが少し多いようですと言葉を挟む。
ドクターは苦笑しながら、括約筋の訓練と、薬を出しときましょうとの返事。これでやっと一連の手術騒動にけりがついた心地。
帰宅すると、長男の長男・孫からお見舞いのはがきが届いていた。小学1年生が俺などという漢字を覚えたらしい。また遊んでくれるそうで、忘れられていないだけでも爺さんは嬉しいものよ。まあ一番の贈りもの。
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昨夜、ないことに日本サッカーがフインランドに4-1と快勝。ほんとにと思いながらも気分は良い。
やはり身びいきだね。ただフインランドのFWに気の利いた選手がいなかったのと、オーストラリアのあたりの強さはこんなもんじゃないはず。厳しく寄られても、今日ぐらいの球まあし、連携が出来ることを願う。
岡崎がいいね。いまごろ大久保好人が顔色を変えてんじゃないか。今日のプレーを見る限り、おれなら岡崎を使うね。もちろん、これはいけないことだけど、地元滝川第二出身で、黒田監督の秘蔵子だもの。
昨日は、長男と携帯メールでちょっとやりあう。便利だねー。けれど、すぐ仲直り。俺があいつに勝てるわけがない。
また勝ち負けの問題ではありません。両者が同じ方向を向いていることだし。
けれど心配なのは、彼の最近の働きぶり、というよりもっ働かされ方だ。このご時世、次期予算を作らねばと連日出張やら、泊まり込んでの働きぶり。昨夜も接待終りで、また事務所へもどったらしい。
少しは身をけずってもとおもうが、命まで削ることはないぞとメールした。
今とのんびり不動産仲介をやっているのは、ひとつは息子たちがまさかのときの、仕事のセーフテイーネットになればとの考えもある。一人でも二人でも、なにも明石へ帰って来てやることはない。どこの町でもできますよ。
これが以前の飲食店経営だけはとても継がす気が起らなかった。今頃になって、二男が実は料理店に関心があったと漏らす。早く言ってくれよと思いながら、今の立派な姿を見れば、やはり飯屋なんぞやるもんじゃないと考え直す。
このフロアーで一番元気なのは俺じゃーないかな。同室のあと3人も今日・明日で退院らしいが、いつまた帰ってこなければならなくなりか分からないと不安を漏らす。
食堂で聞こえてくる会話も、どんづまりの話ばかり。退院したその足で、何をおいしいものを食おうかなど、弘子ちゃんと話している身の幸せ。
ところで、弘子ちゃんは、この18日間一日も休まず、来院しては世話を焼いてくれました。
あの強烈麻酔から戻ったときに、最初に見た弘子ちゃんと三男坊の顔で、確かに現世に戻ったと実感した。
帰ってからは、無理は禁物だけど、弘子ちゃんに疲れがどっとでないかが心配。皆さんご心配をおかけしました。
闘病記としては、あとはオシッコが出たの、漏れたのと小便小僧のレベルになることから、本日をもってこの項は終わりとします。


 

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今に残っている当時昭和50年から55年のBG月別・年度毎売上一覧表に、昭和53年の総計金額を赤鉛筆で囲み、横に「まちがいの元」と書きなぐってある。
初年度売上が4ヶ月合計 ¥28,998,170 に対して 昭和53年の夏は ¥52,098,520 とまさに倍増。気候上も近年まれに見る暑い夏。梅雨は空梅雨で明けるのも早かったそのうえに、7月など連日の猛暑でBGも平均日商80万を超す売り上げだ。
幸い、前年チケット出しがあまりに煩雑すぎるということで、富士電機のPOS会計機を導入。レシート券を左右正・副券のミシン目にした上に、左上部に切れ白を残し、ワンオーダーが一連のチケットでまとまる工夫をしていた。
この工夫がなかったら、あの狭いチケット売り場で、親父と弘子ちゃんがねじり鉢巻きに汗をぶるぶるかいて売っても50万がせいぜい。 初年度7月 ¥12,472,469 に対し 昭和53年7月 ¥25,108,100 どうです、私でなくとも舞い上がりません。
サントリーさんも頭を転がしている。そうそう、最初の担当で3年目になぜかお客様室長に転進していた佐々木氏もビックリして駆けつけてくるほど。
人気のカラオケONステージも、ビデオデイスクに変わり、お客様は今と同じ、スタンドモニターを前にして歌いまくる。・・そろそろ無理やりひっぱりあげずとも歌う客が絶えない状態となっていた。
おまけに妹の旦那の友人に頼んで、そのステージをビデオで撮影。そのテープは地下の喫茶ブラジルでの2次会でご覧くださいという仕掛けだ。
もう8月も終りに近い頃、喫茶ブラジルで明石駅前パチンコ王・N氏にばったりと出会い、話し込むことがあった。
この話し合いと、熱い夏がいつまでも続くという錯覚が、その後の私の運命を左右することになろうとは。
 

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f3b615f3.jpg術後の回復が進むにつれ、気になつていた手術で全摘出した前立腺の組織検査結果がやっと、届いた。
山中ドクターのいつもながらの冷静な語り口のうち、弘子ちゃん同席でのI・C(インフォームド・コンセプト)。
結論を先に述べれば、完璧に近い根治を望める結果となった。
ただ、いつも聞く話だけど、現在の最新精密機器をもって、どんなに詳細に検査したとしても、最終は開けてみないことには、分からない。
私の場合も、御多聞に洩れず、術前の予想、グリソン指数6 生検 1/12 癌も左側だけに有るとするT2a。
これが結果、グリソン指数(4+3)7 癌も両側に散在していて pT2b と確定されました。
このほか、前立腺内部の検査結果のほかに、前立腺が接触・関連しているCAP被膜を初めとして、尿道・精嚢・精管に浸潤は認められない。精管断端・周囲切離端は陰性。確認されたリンパ節に移転認められない。
ただし、神経線維周囲浸潤があると告げられた。
ただし、この神経線維周辺は間違って陽性反応を起こすことがあるとか、慰めに近い言葉もあったが、ほぼ完璧な根治手術ができましたと胸をはられた。
これから先15年・20年前立腺がんが命を脅かすことはないそうです。

となれば、この爺さん、あと20年働くのかよと思いながらも、孫たちの結婚式をこの目で見るのも夢ではなくなったわけだ。・・・やれ嬉やな。

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1日の夕方、妹が娘を伴って、おいしいプリンを携えて来てくれた。
親父の8人の孫の一番末。昭和58年のクリスマスに生まれたてのこの子を、やせ細った体に鞭打って、震える両の手にうだいて、やっと抱いてやることが出来たと、嬉し涙を流したあの子。
もう24歳だと。医療関係のソーシャルワーカーとして立派に社会人となりました。
話は弾んで、知らぬうちに面会時間終了となって、おっちゃんまた来ますといって帰って行った。
また来るといっても、おっちゃんのつもりでは、4日には退院のつもりやでと声をかける。

ベッドに転がってしばし瞑想しているうちに、昼間3時前に弟・啓三がかけてきた電話のことを思い出した。
この日、療養中の師匠・伊藤隆文を励ますため鍋を囲む会とやらを、この病院のすぐ近く、ほんの1キロ程先のライブハウス花園でやっているとのことだ。
電話が代わって伊藤さんが少し弱弱しい声で、伸ちゃんもこればよかったのにといってくれる。
伊藤さんは、あれだけ飲みあげて、ご本人は肝臓癌の初期やねんと言う。そうなんだろう。
早くラッパが吹けるようになって下さい。ぜひ復帰ライブを派手にやりましょう言葉をかわす。
そのあと、電話に出てきたのが、例のダイエー屋上ビアガーデンを当方にもたらしてくれたNちゃん。
伊藤隆文の愛弟子がうりで、坂出からトランペットを引っさげて駆け付けてきているらしい。
電話では、体を大切にとか、いろいろねぎらってくれてその場はすんだわけだが、どうも気持が納まらない。

今日はそのあとどうするのと聞けば、明日夕方までに坂出に帰れればいいんだとぬかす。
よく考えるまでもなく、Nは少なくとも、うちの飯を食った唯一のラッパ屋だ。
まあ少々音楽の才があり、付き合い上手で高校までは人気者だったらしいが、念願の神戸市消防音楽隊に就職。これを勤め上げておれば、いまごろは音楽隊団長として、押しも押されもせぬ存在になっていただろうに。
生来の女好きが高じて、手をだした女の兄貴が共産党員のバリバリで、別れ話がこじれて消防署にまで聞こえちゃって消防をやめるまめになっちゃった。
そのあとは、シンエーフーズの中内力社長に拾ってもらって新聞会館BGなどでお茶を濁してきていたはず。
沖縄博での短期仕事のかえり早々で、なんとかmusicinnボサリオで使ってもらえないかと泣きついて来たのがBG2年目の春だったか。
身一つならまだ何とでもなるが、愛人を伴っていて彼女は見るからにラージポンポン。出産間際。状況は最悪だった。
のちに本妻さんとも顔を合わすことになるのだが、この二人がどっちがどっちやねんと見まがうばかりに似ていて、Nは完全なデブ専。
ある意味、お人よしの私は、茶園場町にアパートを借り上げてそこに住まわすは、何から何まで面倒を見さされた。そこまでしてんだ、少しは恩に着てもいいだろうに。
ご本人は、そんなことがありましたかとばかり.。そうなら今早速顔を見にゆきますは位は言いそうなもんだ。
しかしそんな言葉の欠片もでてこない。
弘子ちゃん曰く、「おとうさんほど、面倒を見てやっても感謝されない人はめずらしいね」と日頃からの口癖だが、まさにそのとおり。自分の不徳を恥ずべきか、相手の情の薄さにあきれるべきか。

しかしNは最低顔を見にくるべきだ。もし明日にでも音沙汰がなければ、今後絶交。
顔を出せば、この項削除といたしましょう。・・・たぶん来ないわ。

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