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派手な祭り模様を施した看板で駅から丸見えの立地もあり、年中の提供料理も定まった。どうも、やっていることの本質の一つは、親父を喜ばせたいという、親孝行心もありました。
その仕上げに企画したのが、明石・加古川一帯。東播磨を中心とする範囲で、高知県人会を結成しようというもの。
さっそく、人づてにどれほどの県人がおられるのかさぐってみる。企業としては、神戸製鋼・高砂、加古川に県人が多いという情報。西区に高知の食品卸、旭食品の神戸営業所があり、そこに土佐の兄やんが、多数生息しているとの情報。魚ん棚の久保の魚やも高知ですとの情報。これらを頼りにかき集めたメンバーが60人余り。神戸学院に通っていた従姉のの子まで動員しての大作戦でありました。
ところで、県人会て何との最初の問題を解決するべく、頼りにしたのが、今私がお世話になっている神戸高知県人土陽会。
この名門県人会には、伯父の岡田四郎が早くから会員となっており、その紹介もあって、県人会運営について
おたずねすべく、永田の公文病院を訪問することとなりました。
当時昭和54.55年ころ、会長さんは先代 公文適先生 幹事 豊永栄福 両氏が涙を流さんばかりの歓迎。
よくぞその年で、県人会立ち上げとは、感心感心というわけだ。おまけに待望の皿鉢料理店まで、やっているとはとお褒めの言葉まで、頂いた。
話は、土陽会の歴史に始まり、現況の問題点。会則のひな形、おまけに皿鉢料理の出前注文までいただく始末。・・・ここに爾来30年にわたるお付き合いの始まりがあった。
賑々しく、よさこいマルイチで、親父 津野清志を会長にした東播土佐人会第一回総会が6月に開催された。
この県人会はその後、昭和59年ころまで続き、昭和55年11月16日長田のレストランブーンで開かれた土陽会50周年記念総会には、親父が東磨土佐人会会長として来賓に招かれた。
よさこいマルイチからは、巨大船盛りの生け作りを出品し好評を博した。
そして、昭和60年、適先生ご逝去後、ご子息 公文康先生が土陽会会長を継承されるにあたり、総会会場をよさこいマルイチに定めて頂いた5月26日の55周年記念総会からは、東磨土佐人会を土陽会に吸収する恰好で発展的解消をはかった。

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