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4歳の時、上津橋から見た、山の向こうの明らかに尋常でない紅紅と立ち上がる揺らぎに埋め尽くされた空の光景は、やはり世に言う「明石大空襲」の何回目かの齎したものに違いありません。今まで神戸新聞が終戦特集記事で谷村礼三郎氏(明石大門主宰)の話として明石大空襲をとりあげているのを読むくらいであったのが、今自分の軌跡を大いに左右した事実であったと再認識したとたんに、このまま通り過ぎることが出来なくなってしまった。
そこで改めて、明石大空襲を検索してみるに、そのHIT数の少なさに、まず驚かされる。全体を捉えての詳細な記録は何処を探しても見つからない。あるのは、個人的体験談としての回顧録がその多数であります。当然、何回かあった空襲の内の、どれかについての体験・記憶・感想であります。そこで西部図書館に出かけて、わたしが62年前に目撃したことの正体を確かめずにはおれなくなった次第。

                      明石大空襲 】
ことは想像を遥かに超える事実ばかりです。あの時明石の地で起こったことが、何故今、こうまで簡単に忘れ去られてしまっているかのように見えるのか。街のどこを探しても、あの空襲の痕跡は見出すことあたわず。年老いた体験者の記憶の中にのみ残り、それも消え去ろうとしている。語り伝えることもなく。日本人の最も悪しき体質ともいえる何事も忘れ易いこと。自ら始めたのか、始めさせられたのか分からない太平洋戦争で、あれほどこっ酷く叩きのめされたことも、広島・長崎のピカドンのことも、シベリア抑留で6万の兵が殺されたことも。今なお、南方の島々に110万余の遺骨が野ざらし放置されていることも。唯一国内戦が行われた沖縄においても、まだ10万の遺骨収集が果たされていないことも。
戦争責任自体の原因究明・責任追及などまるっきり気にも懸けない。戦後75年間を見ても、お上がしくじったことどもを、徹底して批判・反対したのは日米安保闘争ぐらいか。いまの学生は国会議事堂を囲むことも、いや何処にあるのかさえも知ってはいないことだろう。・・だんだん腹が立ってきた。
 米軍資料によると、明石への空襲は川崎航空機を対象とする「直接攻撃」と航空機工業以外を目標とする「間接攻撃」に分けて行われた。事実、昭和20年1月19日から6月26日間の計4回の爆撃には、川崎航空の工場破壊を目的として、M50爆弾(4000ポンド)が使用された。これが直接攻撃である。米軍の攻撃目標資料には、全国で8箇所、AOMORI・TOKYO・HACHIOJI・NAGOYA・AKASHI・IMABARI・OITA・UBEと光栄にも記されている。正に地獄への特別切符を持たされたようなものだ。しかし、そのことの重大さに気がついていた明石市民はほんの一握りであったろうと思う。いや数人か。

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