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MSN産経ニュース2008.3.11配信【人、瞬間(ひととき)あのとき、作家 津本陽さん】からの引用。
  
空襲で知った人生の苦味
 昭和20年1月19日午後の出来事を、作家・津本陽は生涯忘れることはないだろう。満16歳だった寅吉(とらよし)少年は、その日。川崎航空機明石工場にいた。
工場の敷地は広大で、本工員、徴用工員、学徒合わせて約4万人が働いていた。寅吉少年は陸軍の夜間攻撃機の主翼を製造する部署に配属となつて、日々の労働奉仕に汗を流していた。・・・
 午後1時半ごろ、地獄が突然やって来た。「いい天気でした。ぼくが工場の屋内で工区の伍長さんと向かい合わせで座っていたら、サイレンが鳴り出したんです。」サイパンから飛んできた、関西初の大空襲だった。
 悪魔の化身B29の編隊は、第1陣が8機、第2陣も8機、第3陣は16機、第4陣は32機という大編隊でやってきた。
 ほかの学徒らとともに、工場正門の向かいにある小さな横穴に避難した。伍長は工場内にある本部まで駆けつけて、戻ってくるときに背後から直撃弾を受けた。「その場で、身体がなくなりました。」
 やがて辺りには高射砲を撃つ音が響き、第2陣が上空に迫った。防空壕の中で耳にする着弾音は「風呂場で洗面器を頭からかぶった上からハンマーで思いっきりカーン、カンカンカン、カーンと叩きつけられたような、生きた心地もしない轟音と、箱の中に放り込まれて激しく揺さぶられているような震動だった。
 第3陣が来る前に「土気色の顔をした配属将校が走ってきて、こんなところにいたら皆死ぬからすぐ逃げろ、といわれまして」六,7人全員で、工場からさらに離れた場所を目指して、逃げ出した。一撃でビルを破壊する250キロの特殊爆弾を抱えた16機の編隊が、背後から近づいてきた。
 ようやく竹林の下にある、避難民で満杯の防空壕にもぐり込む。近くに落ちた爆弾の衝撃で「歯をくいしばっていた仲間の生徒の歯が折れて、血が噴出しました」。
 とどめの第4陣を寅吉少年は、防空壕から表に飛び出した直後に迎えるkとになる。土手の下にあった、工場の道具などを入れるする鉢状の穴の中に飛び込んで、どろでぐちゃぐちゃになりながら、無慈悲な絨毯爆撃から逃れ続けた。
 工場は壊滅し、多くの犠牲者が出た。一発の直撃弾で14人が即死した現場は、目と鼻の先にあった。「この体験は、35歳になって小説を書き始めるようになるまで、ずっとあとを引きました。人間とは実にはかないものです。人生、一寸先は分からない。そんな無常観というか、人生の苦しみがずっと心にたまってきて、僕は小説を書くようになったんだと思います」と振り返る。
 一つ間違えれば死んでいた。「あのときの体験があったのとなかつたのとでは、ぼくの物の考え方はまるで変わっていたと、今でも思いますね」(文 宝田茂樹)

 

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