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昭和20年3月10日の東京大空襲で偏奇館を焼きだされた永井荷風が菅原明朗とともに、明石のやってきたのが6月3日。折悪しく菅原の実家に入れないため、近くの西林寺に12日まで滞在したと有名な断腸亭日乗に記述しています。「・・・明石の市街は近年西の方に延長し工場の煙突林列せり、これが為既に一二回空襲を蒙りたりと云、余の宿泊する西林寺は旧市街の東端に在るなり・・・。」既に1月19日に最初の直接的攻撃を受けていた川崎航空は、荷風が来明していた6月9日にも、本格的な爆撃をうけています。「・・・六月初九日、午前九時比警報あり、寺に避難せる人々と共に玄関の階段に腰掛けてラチ”オの放送をきく、忽ちにして爆音轟然家屋を震動し砂塵を巻く。狼狽して菜園の壕中にかくれ線に志なきを得たり、家に入るに戸障子倒れ砂土狼寿たり、爆弾は西方の工場及び余が昨日杖を曳きし城跡の公園に落ちたるなりと云・・・」この空襲を体験して早々に明石から逃げ出して岡山へと向かっています。一方龍馬を書いて我々におなじみの作家・津本陽(本名・寅吉)氏が相前後して、明石に居られたことは、あまり知られていないようです。津本少年は昭和十九年六月に学徒動員が下り、和歌山中学校の4・5年生約400人の仲間たちと、川崎航空機・明石工場へとやって来ました。彼らはこれまでにない劣悪な環境の中で、食事・風呂・規律等に関して鬱積した感情が学徒の中に蓄積されていきます。中でも、和歌山中学校の学徒たちには、7月末に4年生の1人が盲腸炎の誤診から死亡するという事件が起こり、お盆の帰省休暇が生産の都合で取り消されるということもあって、9月23日和歌山中学校学徒のよる集団脱寮が実行されました。よほど厳しい状況下にあったのでしょう。集団脱寮という思い切った行動はその当時では考えられないことでありました。この経緯を津本陽はのちに「脱走」というタイトルで小説化され『嵐の日々』に改変・出版されています。そして迎えた1月19日。

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