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クラブ用に設えたお店は駅前新納ビル2Fにあった。60人ぐらいの客席で、ステージらしきものも有って生演奏にはうってつけ。現在駅前広場の真南・DOCOMOのあるビルです。
もちろん最初は今までのクラブと思いこんでくる酔客と、明石で生演奏のJAZZが聞けるのかと喜んでやってくるお客とが入り混じって大変なこともありました。毎水曜は神戸のアマチュアながら老舗のバンド、ザ・ビッグ・ディッパーズがやってきて大盛り上がり。弟・啓三がYAMAHAの神戸店楽器主任であったので、その線からも多大なバックアップ。正式に看板をMUSIC INN として披露パーティを開いたのが1973年(昭和48年)10月10日。
啓三は関学軽音部を卒業後、兄貴が失敗したYAMAHAに楽々入社してしまった。たぶん一次試験の成績が抜群によかったからだろう。後で聞いてみると、軽音の部長を全とうする傍ら、ほとんどの学科が優だって。頭良いんだ。俺と違って。事実啓三の長男は灘中・灘高と進んでいまは東大医学系研究科機能生物学専攻・細胞分子生理学教室の院生だ。もしかしてノーベル賞も夢じゃないとチョイト身内自慢。
それからが実は苦難の日々が始まった。それまではお店の客の入りだけを心配しておればよかったのに、ボサリオでターヤンを教祖とするデキシーランド・ジャズの修行が待っていた。もちろんお店のライブとしての演奏活動だけにボサット見ているわけにいかず、昔取った杵柄ならぬトロンボーンを吹きだしていたから、このジャズ修行を逃れるわけにはゆかない。商売そっちのけでターヤンが現れる週3日は一杯飲みながら、一からジャズの手ほどき。それが深夜の2時3時。しかし音楽にかけては全くの素人ではないメンバーが集まっての練習はすぐに効果を現した。それでもどこか人前で演奏してみたいと思うようになったのは、私が所属していた明石人丸ライオンズの結成5周年の記念式典に「Lets go Dixie」と名打って、そのころ人気絶頂のレッツゴー三匹(正児・じゅん・長作)をメインに、実は真打ちにかの「南里文雄」先生をお招きする企画を私の独断専行で繰りひろげ、ターヤン、ナッカンを中心とするアンバサダーなるデキシーバンドと共演してもらった舞台のお世話をボサリオのバンド連中でしたのがキッカケでありました。・・・そうだ俺たちも舞台に立ちたいものだ。Scan10001.JPG

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