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土佐の海の幸を存分に味わった翌日、いよいよ我が家の菩提寺である元亨院(げんこういん)での供養へと向かう。
元亨院の名前は、随分と子供の頃から聞かされていて、今迄不思議と一度もお参りしたわけではないのに、何故か懐かしい場所に戻るような心地を感じる。
ここ元亨院は、津野氏十五代英主・刑部少輔元実公の菩提寺として永正二年(1505年)に開かれた。
津野氏歴代のの菩提の弔いと領地守護のための寺であるそうな。
親父の数ある故郷の話のなかに、津野の名の由来話があって、とくに曾爺久万吉が親忠公の弔祭には羽織袴姿でお参りしていたことなど、その当時は何気なく聞いていた事柄が、その後、学んだ歴史上の事跡と結びついていくにつれ、親父のささやかながら、深い誇りの一端としての事柄から、今や自分自身の存在理由へと高まって来た歴史上の事実を実感する場所なのです。
土佐の戦国七雄・津野氏は中村の一条氏、長曾我部氏両者の圧迫を受け、津野氏最後の当主・勝興の養子に長宗我部元親の三男・親忠を迎えることにより、辛うじて家名存続を図りました。
親忠は幼少より秀吉への人質として大坂城に留まって時に、藤堂高虎と非常に親しくなったと伝えられています。


元亨院の名前は、随分と子供の頃から聞かされていて、今迄不思議と一度もお参りしたわけではないのに、何故か懐かしい場所に戻るような心地を感じる。
ここ元亨院は、津野氏十五代英主・刑部少輔元実公の菩提寺として永正二年(1505年)に開かれた。
津野氏歴代のの菩提の弔いと領地守護のための寺であるそうな。
親父の数ある故郷の話のなかに、津野の名の由来話があって、とくに曾爺久万吉が親忠公の弔祭には羽織袴姿でお参りしていたことなど、その当時は何気なく聞いていた事柄が、その後、学んだ歴史上の事跡と結びついていくにつれ、親父のささやかながら、深い誇りの一端としての事柄から、今や自分自身の存在理由へと高まって来た歴史上の事実を実感する場所なのです。
土佐の戦国七雄・津野氏は中村の一条氏、長曾我部氏両者の圧迫を受け、津野氏最後の当主・勝興の養子に長宗我部元親の三男・親忠を迎えることにより、辛うじて家名存続を図りました。
親忠は幼少より秀吉への人質として大坂城に留まって時に、藤堂高虎と非常に親しくなったと伝えられています。
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企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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