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東北自動車道ー高速浪岡ICをおりて101号線を五所川原市に向かう。つきあたり、左右振り分けの道路の正面に「立ネブタの館」の大看板が見える。そうか、ここ青森といえばねぶただ。五所川原立ね
ぶた祭りは「青森のねぶた」と「弘前のねぶた」と並ぶ青森三大ねぶたの一つで、高さが最大で20メートルを超える山車の壮大な運行が魅力となっている。前々からの憧れの的。東北の紅葉とねぶたは必見ものだ。必ず来るぞと心に誓う目前。岩木山を見上げる。「別称津軽富士。青森県西部にある休火山で鳥海火山帯に属す。標高1625m。山体は円錐形で山頂部は中央の岩木山、北の厳鬼山、南の鳥海山の3峰からなり、津軽平野に富士ににた姿でそびえる。古くから霊山として農民の信仰を集めた。南麓に岩木神社があり、江戸時代からお山参拝の行事がある。」水山ガイドさんの流れるような説明を耳にしながら、岩木山・津軽富士とくれば思い浮かべないわけにはいかない人物・太宰治に思いは遊ぶ。そう大学浪人している最中。大道予備校での受験勉強をほったらかして全日本文学全集を読みあさるうちに、太宰治にはまっちゃった。太宰の影響は凄いの一言。「女生徒」じゃあるまいし、書く文体まで太宰そっくりになってしまう。彼独特の言い回しを真似て、お伽噺作りに熱中した。弘子ちゃんに出した手紙も今みれば、読めたもんじゃない。太宰調そのもの。しかしあの頃はそれで真剣そのものだったんですよ。「生まれてきてすみません」の心境。「走れメロス」の世界に共感。そんな文学的麻疹ともいえる凝り固まりから抜け出したのは、神戸商大に入学し、それもサッカー部へ入部。それこそなまった身体をグランドで鍛え直し始めたころだろうか。またまた話は遡るけど、小学校時代、不思議と付属小での校内大会競技はサッカーでした。それこそ占領下、野球全盛の時代どうしたことか。あとで分かったことは、体育の吉井先生が兵庫県国体サッカーの補欠だったらしく。無理やり、自分の得意とするサッカーを教えようとしたことからだそうな。けれどそのお陰で、私は名センターフォワード・エースストライカーの名前をほしいままにするほど巧かった。と自分では未だに思っている。そんな経験を思い出して、商大に吹奏楽部がなかったことから、サッカー部に飛び込むこととなりにけり。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)