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亀山社中から街中へと下る。龍馬さんばかりの旅ながら、そこはやはりご当地の名物・名所も確りと確かめる。
特に10余橋ある眼鏡橋一帯は400年になんなんとする今も変わらぬ佇まいを見せ、龍馬さんもこの橋のどれか、いやどれも渡ったに違いありません。思わず足元を踏みしめてみる。
そばにはアジサイ展が開催されていて花も盛り。上野彦馬像も眩しげに見えた。
ちょうど散策に来ていた車椅子の爺さん婆さんにカステーラはどこがお勧めかと聞いてみると、声を揃えて「そりゃ福紗屋さんだ」と教えてくれる。という訳で本店にて長崎カステーラをしこたま買い込む。
トルコライスも頂いたが、これはスパゲティ・ハンバーグ・海老フライを大盛りにした実に若者むけに出来ていた。
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 亀山社中からもう一息入れて上り詰めた先に風頭公園があり、そこに龍馬像が腕組みして佇んでいる。
桂浜の龍馬さんも良いが、風頭山の龍馬さんは実に若々しく、何事か胸に秘め、今にも駆けだしそうな躍動感を覚えて実にお気に入りであります。
像そのものは平成元年5月21日建立で新名所として認知されている。
また中白の海援隊旗はためくもと、眺める先は何故か長崎湾ではなく、山の彼方を見上げている。
どうやらこの方向は都を指しているものか。
若宮稲荷神社の小像と同じ方角では無かったか。
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 坂本龍馬は慶応元年(1865)薩摩藩の援助を受け、長崎の伊良林に日本最初の商社・亀山社中を創設した。
当時この小高い丘一帯を亀山と呼び、亀山焼きの古窯跡もある。
龍馬と社中はこの場所を拠点に、貿易や人脈づくりに奔走。
ブーツを履いた龍馬や社中の制服の白袴で街を闊歩する姿はかっこよく、街の人々の噂の的となっていました。
ところで神戸から長崎に本拠を移した龍馬達がたちまちのうちに社中を立ち上げて商社活動を始める上で役に立つと言うより、其れを可能にしたのが今回私が辿って来た勝・龍馬の旅を通じて勝から龍馬へ授けられた長崎人脈があったからだ。
長崎海軍伝習所で伝習中に築いた勝の人脈は多岐に渡り、その全てを長崎滞在中の1ヶ月余の間に龍馬へと繋いで行った。
小曽根・大浦お慶・グラバ^ー等知られた人々の他にも多くの人々との繋がりを持ち、特に勝の薩摩藩とのパイプを利用出来るようになったことが重要であったに違いない。
それが証拠に慶応元年夏頃に社中を立ち上げると同時に薩摩藩の名義でイギリス・グラバ^ーから小銃・船舶を購入し、長州藩へ輸送している。
そう考えれば、神戸での海軍操練よりも、この旅での収穫がその後の龍馬の運命を決めることになった訳だ。
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亀山社中資料館で富山のお龍さんと
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ブーツの前で高知・須崎のおんちゃん親子と。偶然にも須崎・弘田(従姉弟)の知り合いだった。
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龍馬の銅像がある風頭山から中島川東岸に広がる町並みは古くから発展してきた街。
これぞ長崎の坂というより崖に段々に家並みが天を目指す。
亀山社中は頂上近くにあり、出来るだけ徒歩で来館するようにとの案内がある。
麓の駐車場に車を置き手製の案内地図を貰ってエンヤコラと坂を上る。
訪れる先はいろいろあるんだが、まずは若宮稲荷神社にお参りだ。
このお稲荷さんの境内に風頭山で腕組みして佇む龍馬像のひな型がある。
このお稲荷さんは勤皇稲荷とも呼ばれていて楠木正成の守り本尊と言われ志士のお参りも多かった。
おめあての立像は直ぐ見つかったが、何故かここでは長崎の海に背を向けて腕組みしている。
解説文によるとかの有名な龍馬立像写真で龍馬が差している脇差しは、正成が佩用していた刀を模したものだそうだ。そういえば神戸・湊川神社にも度々お参りしていた。
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 31日長崎は稲佐山中腹のホテル清風で一泊(延774.2K)。
このホテルは先だっての龍馬甲子園の手紙募集のチラシを置いて下すったホテルで、長崎に来たからにはせめて一泊なりともしないと義理が果たせない。
10階の部屋から望む長崎港の眺めの素晴らしさは別途報告済み。巨大客船が波止場もグラバー邸眼前に停泊していたのが、いつの間にか姿を消していた。南米からの豪華客船。先ほどまでの威容がまだ瞼に残る。
おまけにこの港の夜景の素晴らしいことも報告済みですね。
翌朝、ロビーでお土産を買うつもりが、お目当てのカステーラが品切れだ。そこで本店の場所を聞いて会も停めることにする。それほど美味しいと評判のカステーラ。ほんまかいな。・・・後日ほんまだと納得。

前日龍馬案内書で買ったパスポートに従ってまずは長崎奉行所に直行。龍馬伝館がお目当てで龍馬と弥太郎の出迎えを受ける。
もとの長崎奉行所立山役所の広大な跡地に一部が再現され、博物館も併設されている長崎歴史文化博物館。
これが意外とよく出来ていて、幕府直轄の地・長崎の行政の中心であった長崎奉行所の歴史的役割が実に克明に展示してあります。
歴代の奉行の事跡から給料明細まで。なにしろ唯一の貿易港・出島を抱える地であればその役徳も莫大なものだったことが想像される。遠山の金さんの親父も赴任していた。
ともすれば軽視しがちな幕府側の奉行所のことを殆ど知らなかった私はお白州に引き出されしばし反省の態。
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