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 グラバー邸は見学者用の駐車場とお土産屋通りに埋もれる坂道の突き当たり。
この時期、グループで走り廻る中高学生の卒業旅行生が何処い行っても湧き出してくるようだ。
なにせ見学者の負担軽減というよりも如何に早く邸内を通過させるかのために、各所長大なエスカレーター、動く歩道が設置されている。
長崎にきてここを訪れない旅人はいない筈。
50年前確かにここに来てるんだけど、三菱館の2階から眺める長崎湾にしてからこんなに美しかったかな。
思い出に浮かぶのは、無理やり親父に修学旅行用に買ってもらったカメラ・コニカⅡBが写した白黒の映像。
このカメラを買う際、忘れもしない井上カメラの本多君に露出計なるものは無いのかと質問。
そんなもの有るわけが無いとの返事にどうも合点がいかなかった。
露出計が登場したのはこの後もう少し時間が掛かった。アイディアで儲けそこなった第1回目だった。

私の龍馬ペンダントを見つけた案内人が天上裏に設けられた隠し部屋に案内してくれる。
この屋根裏部屋に近藤長次郎・伊藤俊介・龍馬が潜んでいたんだ。
グラバーは武器を売る死の商人。
アメリカ南北戦争が終わってだぶついた銃器を買いたたいて、日本に持ってくれば法外な値段で飛ぶように売れた。
信じられないほどの利益を挙げてこの岡の上から眺める夕日はさぞかし満足のいく美しいものだったに違いない。眼下の庭は客船の船尾を模している。
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 やっとのことでJR長崎駅に到着。
駅前の様子を一見しただけで龍馬・龍馬・福山龍馬で埋め尽くされている凄まじさに圧倒される。
おおきな福山龍馬が頭上から『ようきたのう』と出迎えてくれる。龍馬専門の案内所が設けられ、龍馬旅人のあらゆる要求に対応してくれる。ガイドのおねえさんも大勢つめていて、様子を聞くと『龍馬さまさまです』との返事だ。
長崎の町の龍馬縁をテーマごとにまとめてパンフレット(長崎さるく英雄伝)が作成されていて、ほとんどの事跡が網羅されていた。
勿論龍馬土産も沢山あって、驚くことにそのほとんどが集められ展示されている。その商魂恐れ入ります。
たぶん市民の関心は龍馬伝第3部とされる長崎編にあって、写真の日数表示はその長崎編が始まるまでのカウントダウンだ。
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 島原城を堀端から見上げて、せっかくのことだから雲仙を見て長崎に行くことにした。
雲仙と言えばかの普賢岳噴火・破災流の大難事からはや10余年が経つ。
島原市街をでて直ぐに焼け焦げた山が威容を見せる。
R57を辿ってゆくと、雲仙ロープウエーに通じる仁田峠(一方通行)の入口がある。ちょうど運わるく、途中で交通事故が発生して、怪我人運搬の救急車が下りて来るまでは通行止め。しばし3Kほど先の雲仙温泉街で時間をつぶし、再び仁田峠に向かった。
雲仙とは妙見岳・国見岳・普賢岳の3峯と野岳・九千部岳・矢岳・高岩山・絹笠山の5岳を総称しての名前。
これに平成新山=溶岩ドームを付け加えることもあるとか。
山頂にはまだミヤマキリシマ(雲仙つつじ)の名残があって、最盛ならばさぞかしと思わせる。
ロープウエーの眼前には普賢岳の崩落現場が一望。溶岩流は確かに山肌を削って海にまで達していた。
寛政4年(1792)5月21日雲仙眉山で発生した山体崩壊した爆発により高さ50Mの津波が発生して対岸の肥前・肥後の沿岸を襲った。
世に言う島原大変肥後迷惑で肥前・肥後併せて死者行方不明1500人と言われる。
有史以来日本最大の火山災害を思い起こさせる。
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 海望館の島原料理を頂いて元気百倍。
ふぐの幟がここかしこに立てられて「がんば」と記してある。夕食にもこれガンバですと仲居さんが指を差す。
どう見てもふぐなんだけど、大阪では鉄砲という如く、島原ではがんば=棺桶と称するようで、鉄砲に当たるどころか、棺桶に入るつもりで食せというわけだ。昔はそれほど中毒がよく出たんだ。

とりあえずは勝・龍馬一行の島原上陸地点の確認に走った。
といっても、宿からまじかの港の岸壁。雁木の有るあたりからの眺めはその当時の情緒を感じさせてくれる。
この島原湊に明け方に着き、長崎への第一歩を刻んだ。そしてこの雁木を龍馬が上陸した階段と称している。
龍馬フアンとしてはもっと大々的にこの上陸地点を取り上げればと思いながら、昔の米蔵を改造した漁人市場「とっとっと」で一休み。美味しいコーヒーを頂きながらホテルオークラのシェフだった叔父さんに地元の様子を聞いてみる。
見ると館内に竹久夢二の絵が沢山かけてある。あとで知ったのだが、夢二が長崎に長期滞在して名画を遺しているんだって。知っていましたか。
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 熊本外港にはフェリーが2航路あって、予約をしているのはオーシャンアロー号という高速フェリーで島原まで一時間と、九四フェリーの倍早い。
フェリーセンターは干満の影響を受けないように深い岸壁にあって主に地場の特産と島原地方のPRに力が入っていた。
さて島原に渡り、長崎まで直行するか、島原か雲仙での一泊か迷った末に、ちょうど目に止まった島原観光案内所に飛び込んだ。
担当の相良さんを捕まえて相談を掛ける。相良さん曰く、立場上どこの旅館が良いとは言えないが、島原で一泊して、勝・龍馬一行の上陸地点を見学されてはというアドバイス。
思えば50年前高校の修学旅行で訪れて以来の島原だ。海の眺めが最高の海望館が料理もいいとのことで電話を入れて予約した。
相良さんには龍馬ゆかりの資料をドッサリ貰って、おまけに島原紹介のDVDまで頂いちゃった。

やはり高速船のほうが人気が有るようで、かなりの乗員でキャビンは満杯。そのうえサービス期間中とかで車だけなら3,000円と格安だ。三崎ー佐賀関が同じ一時間で9,000円と比べてもリーゾナブル。
やはり競争相手があるのと、無いのとの差なのか。

キャビンに居るとそうは感じないが、デッキに出て航跡を見てみると、かなりのスピードが出ていることを実感。
アッと言う間に島原港着岸となった。(666K)

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