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 度々戊辰戦争には南北戦争で製造超過となって余りかえった武器・小銃類が使われたと記してきた。

昨夜見た映画「グローリー」はその南北戦争で黒人だけで編成されたマサチユ―セッツ54連隊の奮戦の物語だった。
農奴以下の奴隷として扱われていた黒人を兵隊として戦争に参加させようとした人は少なかった。
人間以下にしか見ていない白人支配層にとって奴隷解放を奉じる北軍でさえ、どこまで黒人を人間として見ていたことか疑わしい。
そんな中、黒人連隊創設を訴えた白人大尉の意見が取り上げられ、連隊長・大佐に抜擢されて54連隊を任される。もちろん将校連は全員白人で構成されている。
初めて黒人連隊が出来たのはいいが、雑用使役に回されるばかりで戦闘にさんかする機会が与えられない。
大佐の目的は奴隷解放の戦いであれば当の黒人たちも戦闘に参加して、自ら解放・自由を勝ち取らなければならないというものだった。
大佐はあらゆるコネと恫喝で局地戦での参戦を勝ち取る。結果、黒人兵の活躍は目覚ましいものが有った。
そのことにより、次に与えられたのがこの戦争のターニングポイントとなったチャールストン攻略の中でも一番の難敵とされたワグナー砦の攻略先陣だった。
この戦いで54連隊1000人の内過半数を戦傷で喪う。かの大佐も戦死し、黒人兵とともに葬られた。
この奮戦がキッカケとなって黒人兵が認められ、最終志願兵は18万を数えるまでとなった。
地獄のような現世を見限って天国を目指す黒人兵には恐ろしいものなどなかったんだろう。

南北戦争は1861年(文久元年)-1895年(慶応元年)。その間北軍は156万の兵の内11万が戦死、25万が病死。南軍は108万の兵の内9万4000が戦死、26万が戦病死したとされる。
その戦争が終わったと同時にこの日本での戊辰戦争へ向けての動きが活発となっている。
不用となった小銃他の武器類をタダ同然に買いたたいて、高額の値段でうれるマーケットとして日本が狙い撃ちされた事実が浮かびあがる。日本を戦火の海とし、多量の武器弾薬を売り付けねばならない。
龍馬が長州に斡旋した4000とも7000挺ともいう小銃は武器商人が売りたくてしょうがなかったもので、むしろその交渉人となった近藤長次郎の申し出は渡りに船であったわけだ。

このように諸外国の国際事情に翻弄されて150年あまり、未だこの日本はその運命から逃れようともしないでいる。
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