忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

実は、このグランドでの椿事は我々だけの胸に秘めておくべきこと、部員以外の誰も知らぬことと思っていました。勿論我々とて練習ばかりしていたわけでなく、5月になると恒例の三大学定期戦(神商大・岡山大・広島大)があり、その年は岡山大開催で、日本で北大に次ぐ、2番目に広いキャンパスへ遠征となる。初日岡山大とは2-0でなんとか勝利を納める。2日目広島大とは好試合の末、後半1点を取られて惜敗2位だったように覚えている。なにしろ広島が群を抜いて強くて、大商大に感じたと同じくらいの熊・牛と見まがう迫力のガタイの面面。それを相手にかなりの善戦をして少し練習の成果・手ごたえを感じたものでした。その三大学定期戦の言われを思い出そうとして、今手元の淡水サッカークラブ創設35周年田中博先生退官記念号という小誌を今開いて、記念座談会のページを捲る。たしかこの対談に我が淡水サッカークラブの歴史が詳しく語られていたと思い返しながら、三大学定期戦の始まりの文章を探す。ありましたありました。P31『斜陽時代は世相と共に・つわもの共の夢跡に哭く・・・の項に、戦前あった六高(岡山大)との定期戦を、昭和33年とうとう2部に落ちて、なんとか1部復帰を果たすために、5月ころに新人戦をかねて復活しようと昭和34年再開、その際同じレベルの相手だけではもったいないというわけで、強い広島(旧師範は伝統的に強かった)を招いて神戸新聞からカップも頂いて三校リーグ戦にした』とある。そしてその段落の一行下。部長田中博先生の言葉が目に入る。曰く司会の前回3部に落ちたのはとの問いに『それはね、もう、話したくないですね。(大笑)ただ、堀川君、これはやったね(註・私の2年先輩キャップテン)、素人だったが、2部へ帰った。今年も(註・我が昭和40年のリーグ戦のこと)よくやったね。喧嘩までしながら。』とあるではないか。田中先生は見ていたのか、なんらかの報告があたのか、件のことを知っておられたんだ。ここで田中博先生通称ラッチェルの事跡を詳しく説明は割愛しますが、ちょうど私が先生サッカー部部長としての最後のキャップテンであり、
ほんとにご心配をお掛けしていたことから、度々グランドの片隅で、我々の練習を見守って居られる姿をお見かけしておりました。そうかちょうどあの時も、先生は練習を見て折られたに違いないんだ。そうでなければ、先生の口から、『喧嘩までして』などとの言葉が出るはずが無い。

拍手[0回]

PR

0dfd0fbd.JPG4回生レギュラーは私とセンターバックの長本省三君の2名。あとは3回生7名に2回生2名。4回生の入れ替え戦断固回避、後がない緊張感そのものと、3回生のまだのんびり気分が残っているものとが、同じグランドで練習すれば、当然意識の食い違いから、なにかにつけて摩擦が起こるのは避けられない。とくに一対一、FW対BACKの練習でも、BACKの私は、まるで試合なみの厳しさと、勢いでハードに攻め立てる。一方3回生FWにすれば、なにをいきっているのとの受けとめとなる。この軋轢は何時か爆発するのは必定.4-5月ころ、最初に練習疲れがピークに達した時。一対一で私とFW細見の組み合わせとなった。猛然とチャージする私。最初は程ほどに受けていた細見も、あまりのしつこさに、思わず「なにすんねん」と大声を上げる。あとのことは良くは覚えていなくて、私と細見の睨み合い、小競り合いがあって、いつの間にか3回井上忠之と長本省三が其々に代わって対峙する。ややあって、二人は目と目を合わして場所を変えようとグランド端の木陰に消えていった。前年11月から、休む間も惜しんでの、練習練習で、引っ張られる方は鬱憤が溜まりに溜まっている。一方ここで変に妥協すれば、あとが続かない。私にとって、最大の切所である。沈黙が支配する中、両名の様子が気になるばかり。ややあって、二人が揃って姿を見せた。もう表情からは先ほどのとげとげしさは消え、何故か自然と練習再開となった。しかしよく見ると、井上忠之のこめかみにデッカイたんこぶ。あとで聞くところによると、長本が手近にあった棒の切れ端で一発かましたらしい。日ごろ口数少なく、温和で通つていた彼にそんな激しさがあったのかと、ほんと驚かされた。・・・練習後、その長本が、先ほどの責任を取って辞めると言い出した。後にも先にも、このときばかりは本心から、辞めないでくれと土下座もいとわず泣いて引き止めた。その甲斐あってか、あまりに私が可哀想に思ってか、なんとか留まってくれることに話は落ち着いた。これ以降、長本は黙々と役割を果たし、試合ではヨレヨレになりながらも、驚くほどの堅守を見せた。よくあそこまでやってくれたもんだと未だに感謝感謝。一生の輩であります。

拍手[0回]

何故にかくもサッカーにのめりこんだのか、今考えるに自分だに解らない点がある。何故あれほど走れたのか、何故あそこまで勇敢にプレー出来たのか、3回生のリーグ終了後キャップテンを任されてからの丸1年。ある意味、鬼になっていたのかもしれない。2部から3部に転落という耐えられない事態だけは、なんとしても避けなければいけないのです。丁度、本校はグランドの改修とかで、練習場も明石競輪場内のグランドを借りてのものとなった。期待していた新入もこの年はまったくの不作でありました。とすれば、現有戦力での戦いしか残されてはいないわけだ。ほんの数人を除いて、大学からサッカーを始めた素人集団となれば、あとはボールに対する誰にも負けない執着心と、90分フルに走れる体力・走力を付けることしか残されていない。ある意味道はこれしかないのだから、あとはやり抜けるかどうかだけの問題です。
1-3回生の間は、小学生のころからの球扱いの経験を生かし、チームで一番速い走力にも恵まれ、持前の敏捷さと相まって、そのころのWMフォーメイションで言うところの、ライト・ウイングの位置をKEEPして、サッカーを楽しんでいたのが、4回生になっての、役割・立場の変わり様。かくして私もサッカー命の牽引役にと変身を迫られることにとなりにけり。
まず、体力作りにサーキットトレーニングの導入。各人体調・体重管理をさせて、せめて相手に当たっても、当たり負けしない体力作りを目指す。グランドには、体育会に無理を言って、初めてシューテイングボードを設置して貰うことに成功、シュート力の養成と正確さを身につける。おまけに通常練習の後、10Kのランニングを絶対欠かさない。ちょうど工事中ながら、一部供用していた、第二神明道路の舞子ー垂水間を往復すれば略3K、それも超ロングの坂となっているのを往復3回。そうでなければ、舞子墓苑を左に見て、その当時の八代学院いまの神戸国際学院のへ向かって北上し、多聞坂を下って、西舞子。生協の心臓破りの坂を登りきれば星稜台にでて本学は間近。このコースも約10Kでした。
各ポジションを考えれば、部員全体のテクを上げている暇はない。となれば、弱いポジションを徹底して鍛え上げれば、戦力も平均を保つようになる。このことの最大の被害者は2回生・濱口章君だつた。
小柄な体格をむしろ利して、センターFWの位置をかなりひき目に取り、ハーフからの球を左右どちらかのインナー・ウイングに捌いて、自身はGOAL前に飛び込む。このパターンを来る日も来る日も、繰り返し練習する。バテバテになってからが、本当の練習とばかり、やらされている本人にすれば、この練習が永遠に終わらないのではと思うほどやり尽くす。バックをGOAL前に立たせて、クリアーの練習でも、間近からキックを雨霰。これでもかと、糞がでるかというまで、球を出し続ける。ラスト一本の何十回続くことか。しかしもっとも辛い思いしたのが、GK中園寿二君3回生。いかに攻めても守っても、最終ラインを守るGKが一番肝心要なことは言うまでもない。また、GKのレベルの差が一番怖い。といっても
中園君も、GK専門で来たわけでもない。とならば、あとはしごくしか手は残っていない。それに練習の一番の締めでのGK練習は、全員がGOALを囲む格好で、それぞれが声を出して、集中する。
実は一対一で球を蹴る方も大変なんだけど、それを顔に出しては練習にならない。最初はEASYボールで体を温める。次第に球は高く・強く・低く・GOAL端すれすれに・時にはGKの腹めがけてFULLSWING。そうこうするうちに、GKの息が上がり、足取りももつれがちになる。目は焦点を失いがち。・・それを通り越して球を蹴り続けていると、声を出して泣きはじめる。それをも構わず、足元にくらいついてくるのをふりほどいて蹴りつづける。こちらも必死の形相をしていたことだろう。そして終いに中園は怒り出す。不思議と構えまでシャキットとなり、私を睨みつけてくる。こうなると5本に一本は素晴らしいセービングが出てくる。そしてラストワンの声がかかる。・・ほんとキツイ練習をしたものです。
けれど驚くことに、中園君も濱口君もそれに耐えてくれた。泣きごとを聴かされたことは一度もなかった。後年、この時の3回生たちは、社会で大成功をおさめることになる。野村証券常務・オムロン常務・富士パン支配人等。しがない自営業者の私を尻目に大活躍されている。そのみんなが口を揃えて曰く
『あの一年の苦労を考えれば、会社でのしんどさなんて、余裕でした。』

拍手[0回]

昨日岡田ジャパンは無事タイを降した。3-0での快勝を収めた。オシムからバトンを引き継いでから、やっと第3次予選突破のメドがついた。まずは、一安心か。
ところで、件の大久保はションボリスタンドで観戦の姿が見受けられた。国見高校の大久保と平山といえば、これが同じ名将・小嶺監督の教え子かというくらい、スタイルが違って見受けられる。僕はどちらかというと大久保派だ。というのも、昭和40年(1965年)大阪は靱公園グランドでの関西学生サッカーリーグ2部での第4戦。相手は大阪商科大学通称大商大。前々年学生リーグ初参戦でいきなり4部優勝し、入れ替え戦で3部昇格を果たし、前年も3部で優勝、2部昇格。そして今年のリーグ戦でも無敗で、このままゆけば、2部優勝1部昇格間違いなしの勢い。そのチームに名将・小嶺監督が1回生で出場されていた。もっとも、この事実を知ったのは、かなり後年。小嶺監督の指導が評判となってからのこと。その時の、大商大の連中ときたらまるで牛か熊なみの、恐ろしいガタイ揃い。それも高校サッカーで鳴らした猛者集団で、あたりに威を払う雰囲気だ。一方こちらといえば、3戦して1分け2敗のオンボロチームだ。大商大からすれば、勝負は端からわかっている、怪我のないようにしなくらいのものだ。しかし、同じ大学生である以上、意地だけは見せないと男の一分が立たないのはもちろんのこと。観戦にかけつけて下さっている、渡辺副部長先生にも、田中ラッチェル教授にも申し訳がない。・・かくして運命の笛が吹かれた。前半が始まると、自然と我方は、引き気味の体制となる。そのころ、自分流に考え出した、1・3・2・2・3のフォーメイションを維持しながら、GOAL前を部厚く守る格好だ。GOAL前に壁をつくって抵抗するしか手立ては見つからない。しかし良くしたもので、徹底的に相手をマークし、執拗に追いかけることだけは、日頃の猛練習のたまものか、各人がその役割を果たす。となれば案外と点は入らない。最初は、もう直ぐGOALと見ていた数少ない観衆からも、雨霰のシュートを断固跳ね返す神商大魂に感嘆の声すらあがりだした。後半、少ないチャンスを逃さず、相手GOALを目指して奮闘していたF細見が、相手とのクロスプレーで頭を強打昏倒して、救急車で搬送される事態発生。それでも、耐えに耐えた後半40分、焦りの出た相手の嵩にかかった攻撃が一本調子であったことが幸いして、もしかしたら、引き分けかもとの甘い考えがチラと脳裏をかすめたその時。コーナーキックを取られて、GOAL前を固めるその背後から、菊池(2年生)が、飛来した球を捕捉して、OKの声を発した。やれ彼にクリアーをまかせたとばかりに首をすくめた瞬間、無情にも球は菊池のヘッドを掠って、痛恨のオウンGOALとなってしまった。嘘やろ、恨むでしかしの心境。でも彼もそうしたくてやったわけではない。それを責めるのはご法度とされています。緊張の糸が切れるとはこのことか。そのあと、もう1点入れられて0-2でのあえて惜敗と言おう。グランドには、突き倒され、蹴り倒されてまさにヨレヨレが倒れこんでしまった姿があちらこちら。
その際、えげつなくサイドを抉って、何度も何度も突っ込んできたFWの一人のプレー振りが、今の大久保嘉人そっくり。きっとあの時のあいつが若かりし小嶺監督であったに違いない。

拍手[0回]

昨夜は深夜から始まったサッカー・EURO2008欧州選手権一次リーグC組・地獄のC組の第2戦。
イタリアVSルーマニア、オランダVSフランスの2試合があり、42型プラズマTVにかじりつく。終わったころには「夜も白々と明けのころ」となっておりました。結果はイタリア1-1ルーマニア、オランダ4-1フランス。これでオランダの一次リーグ首位通過が決まった。フランスは勝ち点1で並んだイタリアと最終戦でぶつかる。負けたほうは国に帰りにくかろうに。監督へのプレッシャーも大変なものだろう。
数々のサッカー選手権(ワールドカップも含めて)のうち、4年ごとに行われるEUROが一番面白い。
日本チームの試合を見るとどうしても身贔屓が出て、純粋にサッカーを楽しむまでにいたらない。まずいプレーを見ると、思わず画面に「ボケ・アホ」の罵声の嵐となる。我が内なる野生が目覚めかねない。用心用心。その点EUROであれば、プレーをけなしているひまなどありはしない。考えられないようなスリリングな試合展開と、綺羅星のごときスター軍団による華麗な・渋い・奇抜な・そんなこと出来るの的プレーに目は釘ズケとなり、喚いているいる暇などありません。しかし、シュートチャンスには、思わず足に力が入る。「そこや・いまや」との明石弁も出る。そんな訳で、サッカーの試合が始まると弘子ちゃんは傍に寄りつかないことになっています。
この間も、確かワールドカップ・アジア予選awayのオマーン戦を観戦。はなから、オシムの代わりを務める岡ちゃんの采配には何故か不満であまり見たくはないんだけれど、この試合に勝てば予選通過確実との状況では、見ざるを得ないというわけだ。
試合は予想どうりワクワクもしなければ、それそれとの感動もない。それこそ岡ちゃんらしい、面白くもなんともない試合運び。それにしても酷暑の上、お粗末なピッチでおまけにAWAY。選手連には同情頻り。そんな中、1-1で迎えた後半これからという時間にゴール前への飛び出しから、大久保嘉人が相手GKとクロスプレーとなった。ボールをセーブしたGKの足が、嘉人のタマキンに入つたらしい。思わず相手をキックしてしまった。しまったと気づいたのか、ことさらに痛がる様子を演じる。コリャいかんわと思った途端にREDカード・一発退場。直後のイザコザで手を出したオマーンの選手も退場となり、数的バランスはなんとか対等のまま。しかし、相手に致命的PKを与えてしまった。かくなれば、天を仰いで
「神様、楢崎様」と祈り有るのみ。一瞬キッカーに逃せないというたじろぎが見えたような気がした。
一蹴の後、ボールはGKの手にあったか、パンチでしのいだか覚えていない。シオシオとピッチを後にする大久保の後姿を見ながら「気持は分かるで、おれも蹴っただろう、しかしPKが外れてなかったらお前どうすんねん」と突っ込みをいれている自分に気がつく。・・・やはりサッカーは俺にとっては未だに魔物なんだ。過ぎ去ったあのサッカー命の日々を忘れようとして、忘れられないでいる。・・・続

拍手[0回]

[4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/30 つのしん]
[01/30 さくら]
[01/30 さくら]
[10/06 かめいち]
[10/03 庫山堂]
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]