書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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同じ区画といえる近い場所に、ある工務店が所有して今は閉鎖している事務所・作業所1200坪がありました。
ちょくちょく売りそうだという話は流れていて、実際の買い手が現れれば直接話をしようと思っていました。
窓口はその工務店の子会社の不動産会社だ。
12月9日のfaxから始まって、周辺物件の検討を終えて、隣地のM運送に交渉と決まったのが暮れも押し詰まった12月27日だ。
メモを見てみると、この時点でもまだ決定ではなかった。最終決定したのが1月14日のこと。しかも3月以内の取得という条件がついた。
そうなれば肝心なのはM運送の移転先。K工務店との第一回目の交渉が1月20日だった。
この窓口のD不動産の顧問をされていたのが元S信託BKに居られたAさんだった。
Aさんのお世話でまずは値段決定と買付証明書の提出とはなしが進み、いろんなお話をする中で、『ところでAさん、僕の高校時代・音楽部の同級生でM君というのが、最終本店監査役にまでなっていたが御存じですかと聞いてみると、『親しいも何も彼が若かりし頃三宮支店で一緒だった』という。この奇遇に驚き、その上は私のことをM君に確かめてみて下さいとお願いした。
実際にAさんがそうされたかどうかは別にして、その日からガラリと接し方が違ったのはたしかだった。
交渉の最中に別のオファーがあり、当方の値段よりやや有利な条件を出してきたときに、敢然とそのオファーを断ってくれて、建築条件付きという工務店にはありがたい条件をのんでくれればOKという段取りまで付けて下すった。その建築条件たるや事務所の内装手直しくらいのことで、決して判断を左右するほどのものではありません。
かくして、移転先を先行契約・決済したのが2月3日というスピード。
本体の2000坪決済は3月9日一発決済で決着を見た。
このあとにも5000坪を二つ割りにして両方をほぼ同時に決済するという案件もこなしたが、この時のように、まるで因幡の白ウサギが海を渡るように、次々と手助けして下さる人が現れるなんて、神さまからまだ見放されてはいないのかもという証しを頂いたような心地がしたことでした。
ちょくちょく売りそうだという話は流れていて、実際の買い手が現れれば直接話をしようと思っていました。
窓口はその工務店の子会社の不動産会社だ。
12月9日のfaxから始まって、周辺物件の検討を終えて、隣地のM運送に交渉と決まったのが暮れも押し詰まった12月27日だ。
メモを見てみると、この時点でもまだ決定ではなかった。最終決定したのが1月14日のこと。しかも3月以内の取得という条件がついた。
そうなれば肝心なのはM運送の移転先。K工務店との第一回目の交渉が1月20日だった。
この窓口のD不動産の顧問をされていたのが元S信託BKに居られたAさんだった。
Aさんのお世話でまずは値段決定と買付証明書の提出とはなしが進み、いろんなお話をする中で、『ところでAさん、僕の高校時代・音楽部の同級生でM君というのが、最終本店監査役にまでなっていたが御存じですかと聞いてみると、『親しいも何も彼が若かりし頃三宮支店で一緒だった』という。この奇遇に驚き、その上は私のことをM君に確かめてみて下さいとお願いした。
実際にAさんがそうされたかどうかは別にして、その日からガラリと接し方が違ったのはたしかだった。
交渉の最中に別のオファーがあり、当方の値段よりやや有利な条件を出してきたときに、敢然とそのオファーを断ってくれて、建築条件付きという工務店にはありがたい条件をのんでくれればOKという段取りまで付けて下すった。その建築条件たるや事務所の内装手直しくらいのことで、決して判断を左右するほどのものではありません。
かくして、移転先を先行契約・決済したのが2月3日というスピード。
本体の2000坪決済は3月9日一発決済で決着を見た。
このあとにも5000坪を二つ割りにして両方をほぼ同時に決済するという案件もこなしたが、この時のように、まるで因幡の白ウサギが海を渡るように、次々と手助けして下さる人が現れるなんて、神さまからまだ見放されてはいないのかもという証しを頂いたような心地がしたことでした。
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早速同社を訪問する。東灘区深江の本社はいままでは100円ライターとかテフロンフライパンとか、かなり隙間を狙ったお仕事模様だったが、ここにきて携帯の爆発的普及で、バッテリー用の材料生産が追いつかず、一日も早い生産設備の増設が至上命令となっていた。
選択肢としては、別の場所にあ10,000坪規模の新工場建設の計画もあったが、私がfaxしたことで、とりあえずは3,000坪を5,000坪に拡張して対応することも併せて検討ということになったらしい。
隣接地には1,000坪もの建機用の大型修理建屋も付いていて、そのままの転用が可能なことも幸いした。
結局この時に新設工場に踏み切っていたら、その後の景気の変動とと携帯の頭打ちに会い、危ないところだった。
普通、そこそこの企業にはしっかり銀行系の不動産会社が付いていて、今回の場合でも、買い手のお世話はわが社がと出張ってくる可能性がありました。そうなれば折角の案件の手数料もかなり目減りすることになる。
それと、なによりもそんなところが入れば話の進めようも不自由になりかねない。
そこで、事前に調べていたS業の社長さんが神戸商大9回卒である事を幸いに我が社一社での直接仲介を申し入れた。もちろん私が16回卒の後輩であることも申し添え、おまけに私が唯一会社勤めした株式会社 入江商店の河合副社長が9回の同期であったことも。
話は進み無事買い手は我が方一社は確定し、S工業さまの購入予算まで聞き出した。
そこでかねてからの知人であった岡田某(故人)が売り土地のオーナーの兄弟の不動産会社にいたことを思い出して連絡をとる。
この時に交渉窓口の選定を誤っていたらと思うとゾッとする。やはり事情を知る者の強さ。この窓口から売却の相談を持ちかけたのが、売り手のプライドを傷つけずに本音を聞き出すベストだった。
それも、売りはするが同時に半分ほどの移転先を見つけろという注文が付いてきた。
なんと頭突き契約だ。しかも同時実効が必要十分。その後の経験からも、世間一般からも、こんな厳しい仲介はお目にかかっていない。それも移転先は今からの話で白紙状態だ。
いまなら、きっと出来ませんわと箸を投げかねない難しさ。・・・どうするどうする。
選択肢としては、別の場所にあ10,000坪規模の新工場建設の計画もあったが、私がfaxしたことで、とりあえずは3,000坪を5,000坪に拡張して対応することも併せて検討ということになったらしい。
隣接地には1,000坪もの建機用の大型修理建屋も付いていて、そのままの転用が可能なことも幸いした。
結局この時に新設工場に踏み切っていたら、その後の景気の変動とと携帯の頭打ちに会い、危ないところだった。
普通、そこそこの企業にはしっかり銀行系の不動産会社が付いていて、今回の場合でも、買い手のお世話はわが社がと出張ってくる可能性がありました。そうなれば折角の案件の手数料もかなり目減りすることになる。
それと、なによりもそんなところが入れば話の進めようも不自由になりかねない。
そこで、事前に調べていたS業の社長さんが神戸商大9回卒である事を幸いに我が社一社での直接仲介を申し入れた。もちろん私が16回卒の後輩であることも申し添え、おまけに私が唯一会社勤めした株式会社 入江商店の河合副社長が9回の同期であったことも。
話は進み無事買い手は我が方一社は確定し、S工業さまの購入予算まで聞き出した。
そこでかねてからの知人であった岡田某(故人)が売り土地のオーナーの兄弟の不動産会社にいたことを思い出して連絡をとる。
この時に交渉窓口の選定を誤っていたらと思うとゾッとする。やはり事情を知る者の強さ。この窓口から売却の相談を持ちかけたのが、売り手のプライドを傷つけずに本音を聞き出すベストだった。
それも、売りはするが同時に半分ほどの移転先を見つけろという注文が付いてきた。
なんと頭突き契約だ。しかも同時実効が必要十分。その後の経験からも、世間一般からも、こんな厳しい仲介はお目にかかっていない。それも移転先は今からの話で白紙状態だ。
いまなら、きっと出来ませんわと箸を投げかねない難しさ。・・・どうするどうする。
明石西二見町南ふたみの人工島には小は300坪からアサヒ飲料のように3万坪はあろうかという大工場までが操業中だが、景気の上下に影響され、拡張したい工場があれば、売却したい工場も出てくる。
その内部事情はなかなか掴みにくいところだが、求人広告を見ていると求人大募集とあり、それも24H操業3交代とあるS工業の広告を見つけた。その時は今時景気の良い業種もあるもんだとの印象。業種を詳しく見るとレアメタル加工とあった。このレアメタル加工が伸び盛りの携帯電話のバッテリー用に欠かせない材料ということまでは知る由もない。ただ地図上でその位置(約3000坪)だけは確認した。
一方、さまざまな物件情報が交差する中で、存じよりのM運送がどうやら工場(2000坪)を売るかもしれないとの
早耳情報をキャッチする。もちろん地図にて位置を確認すると、かのS工業の東隣だ。
この業界、物件の確認も大事だけれど、なによりも先に物件紹介したものが仲介の主導権を任される。
一刻も早くせめてFAXを入れておかないことには、後からのこのこ申し入れたところで、もう聞いていますの一言でアウトとなります。
といっても、いまだにこの時ほどの無謀な紹介はそれ以来していない。なにかに突き動かされる様に、売却予定とのみ記して値段もなにも分からない状態で、S工業・総務・担当者様と宛名してFAXを入れた。
内心は駄目もとで、FAXを入れた段階で一応気はすんでいる。
ところが10分もしないうちに電話がかかってきた。『是非とも隣地でもあるし購入検討したい。地続きでもっと広がっても良い』という実直そうな課長の声がした。1999年12月9日のこと。
その内部事情はなかなか掴みにくいところだが、求人広告を見ていると求人大募集とあり、それも24H操業3交代とあるS工業の広告を見つけた。その時は今時景気の良い業種もあるもんだとの印象。業種を詳しく見るとレアメタル加工とあった。このレアメタル加工が伸び盛りの携帯電話のバッテリー用に欠かせない材料ということまでは知る由もない。ただ地図上でその位置(約3000坪)だけは確認した。
一方、さまざまな物件情報が交差する中で、存じよりのM運送がどうやら工場(2000坪)を売るかもしれないとの
早耳情報をキャッチする。もちろん地図にて位置を確認すると、かのS工業の東隣だ。
この業界、物件の確認も大事だけれど、なによりも先に物件紹介したものが仲介の主導権を任される。
一刻も早くせめてFAXを入れておかないことには、後からのこのこ申し入れたところで、もう聞いていますの一言でアウトとなります。
といっても、いまだにこの時ほどの無謀な紹介はそれ以来していない。なにかに突き動かされる様に、売却予定とのみ記して値段もなにも分からない状態で、S工業・総務・担当者様と宛名してFAXを入れた。
内心は駄目もとで、FAXを入れた段階で一応気はすんでいる。
ところが10分もしないうちに電話がかかってきた。『是非とも隣地でもあるし購入検討したい。地続きでもっと広がっても良い』という実直そうな課長の声がした。1999年12月9日のこと。
どうもお勤めには縁がない。何事もせずにはお金は降ってこない。無駄飯というものを頂いたのはこの下水営業のひと月のみ。以降ノートを埋め尽くす物件とその営業経緯を振り返るに、とことん無駄な動きを臆せずやり続けている。いややり通すことが目的となっているといっていい。物件の選択も、取扱分野の確定もないまま出会い頭の偶然をあてにするかのような日々を過ごす。
この時代2軒の不動産会社にお世話になったが、いずれもフルコミッションの営業社員で、自分の餌は自分で銜えてこないことにはおまんまは当たらない。
実際、この身分だとこの仕事を何時でも止められて後腐れもないと考えていた。
しかし、仲介を重ねてゆくに従って、やはり自分の会社を立ち上げて責任ある営業をしないことにはいずれ限界がやってくると予感した。その上60前の年齢がこの世界ではまだまだ先がある見本を身近に見て、まだ20年は頑張れる・楽しめるということが分かって参りました。
事実私がパパとあがめるN社長は10歳上で、まだ10年は頑張ると仰る。N不動産のN社長にいたっては神戸高商の16回生。僕が不動産を始めたのは60を過ぎてからだよと仰る。現在御年83歳で現役バリバリ資産ドッサリ。
このことからして、わが身に春秋は十分ありと分かる。さすれば今までお店を開いて待ち受けるだけの商売から、買い手・売り手の懐に飛び込んで行ける営業力さえ発揮すれば事は自然と進んで行く筈だ。
そこで思い出したのが親父の親友だった誠興業の久保田社長の一言だった。川崎重工の協力会社として瞬く間に事業を広げて居られた久保田社長は見るからに闘志の塊のような小柄だが迫力のある身体つきだ。
それもそのはずで、明治大学ラグビー部の猛者だったとか。その社長は50過ぎの若さで亡くなったけれど、一日お話を伺った際に、明治ラグビーの名物監督・北島忠治師の話を聞いた。
私が監督の指導方法を伺ったところ、久保田社長曰く監督がおっしゃるのは次の一言だったとか。
『前へ、前へ、(それでだめなら) なんとかしろ』
サッカーとラグビーの違いがこの一言にある。サッカーなら敵に詰められればパスを交わして場面の展開を図ることができる。しかしラグビーに求められるのは自分自身で何とか場面を打開しなければならない突破力である。
エンドラインを目指してひたすら敵方に突っ込んで行く。身は潰され倒れて初めてそにポイントが出来次の展開が開ける。
この時期、信頼すべきパートナーを持たない身にはサッカー型の営業は望むべきモなく、それこそ一人で『なんとかする』しか道はないのである。
しかしこの世界何とかするために使える武器を手に入れなければ自分一人が空回りするだけに終わる。
そんなとき、この10年を決定ずけた大型案件の仲介過程で神の助けかと感じたある出来事にぶつかった。
この時代2軒の不動産会社にお世話になったが、いずれもフルコミッションの営業社員で、自分の餌は自分で銜えてこないことにはおまんまは当たらない。
実際、この身分だとこの仕事を何時でも止められて後腐れもないと考えていた。
しかし、仲介を重ねてゆくに従って、やはり自分の会社を立ち上げて責任ある営業をしないことにはいずれ限界がやってくると予感した。その上60前の年齢がこの世界ではまだまだ先がある見本を身近に見て、まだ20年は頑張れる・楽しめるということが分かって参りました。
事実私がパパとあがめるN社長は10歳上で、まだ10年は頑張ると仰る。N不動産のN社長にいたっては神戸高商の16回生。僕が不動産を始めたのは60を過ぎてからだよと仰る。現在御年83歳で現役バリバリ資産ドッサリ。
このことからして、わが身に春秋は十分ありと分かる。さすれば今までお店を開いて待ち受けるだけの商売から、買い手・売り手の懐に飛び込んで行ける営業力さえ発揮すれば事は自然と進んで行く筈だ。
そこで思い出したのが親父の親友だった誠興業の久保田社長の一言だった。川崎重工の協力会社として瞬く間に事業を広げて居られた久保田社長は見るからに闘志の塊のような小柄だが迫力のある身体つきだ。
それもそのはずで、明治大学ラグビー部の猛者だったとか。その社長は50過ぎの若さで亡くなったけれど、一日お話を伺った際に、明治ラグビーの名物監督・北島忠治師の話を聞いた。
私が監督の指導方法を伺ったところ、久保田社長曰く監督がおっしゃるのは次の一言だったとか。
『前へ、前へ、(それでだめなら) なんとかしろ』
サッカーとラグビーの違いがこの一言にある。サッカーなら敵に詰められればパスを交わして場面の展開を図ることができる。しかしラグビーに求められるのは自分自身で何とか場面を打開しなければならない突破力である。
エンドラインを目指してひたすら敵方に突っ込んで行く。身は潰され倒れて初めてそにポイントが出来次の展開が開ける。
この時期、信頼すべきパートナーを持たない身にはサッカー型の営業は望むべきモなく、それこそ一人で『なんとかする』しか道はないのである。
しかしこの世界何とかするために使える武器を手に入れなければ自分一人が空回りするだけに終わる。
そんなとき、この10年を決定ずけた大型案件の仲介過程で神の助けかと感じたある出来事にぶつかった。
この大貧乏時代、もちろん手を拱いていたわけではありません。
一日求人欄を見ていると協和という会社が求人。年齢不問・経験不問・営業とあった。
会社の場所も明石市江井が島とすぐ目と鼻のさきだ。なんの営業かと電話して尋ねると下水管直放に伴う工事の営業とか。ようするに下水管本管が通った地域の家の便所を浄化槽を廃止して直に下水管に流す工事を取ってこいということ。
しかも、最初の一月は研修期間として20万ほど支給するという。
仕事の内容よりも研修費支給に魅かれて早速面接にいきました。
ゴタゴタと片付かない事務所。便器やら何やら転がっている中で、最初はベテラン営業マンについて回って仕事を覚えろという。場所は主に加古川市市街地。
これがなかなかの仕事で、家々の浄化槽を見つけるのが最初にやる仕事。この浄化槽には必ず抜気の煙突があって、すぐにこの煙突を探せばいいことに気づく。
難しいのは見ず知らずのお家にピンポンと鳴らして話をきりだすこと。
ただでさえ人相が良くないのにと思いながら、ローラー作戦で訪ね歩く。
ほんと20万もらおると思えばなまじゃありません。浮世の風の冷たさを感じながら覗いて回った便所・浄化槽が3000軒は越しただろう。
お陰で、明石・加古川・播磨町・稲見町の細かい所までの地図が頭に入っちゃいました。
結果、6月1日から8月31日までの3ヶ月間這いずりまわったけれど、どうもこの仕事にはなじめませんでした。
取った注文が3件。これでは歩合もたいしたものにはなりません。
営業日誌を見ると、貴崎町の電工会社の営業倉庫。両面道路4割という建売向き宅地総額8000万ほどがやっと成約をみている。
昼間便所ばかり覗いていた生活ともお別れして、やはり不動産仲介オンリーで精をだすことになった。
一日求人欄を見ていると協和という会社が求人。年齢不問・経験不問・営業とあった。
会社の場所も明石市江井が島とすぐ目と鼻のさきだ。なんの営業かと電話して尋ねると下水管直放に伴う工事の営業とか。ようするに下水管本管が通った地域の家の便所を浄化槽を廃止して直に下水管に流す工事を取ってこいということ。
しかも、最初の一月は研修期間として20万ほど支給するという。
仕事の内容よりも研修費支給に魅かれて早速面接にいきました。
ゴタゴタと片付かない事務所。便器やら何やら転がっている中で、最初はベテラン営業マンについて回って仕事を覚えろという。場所は主に加古川市市街地。
これがなかなかの仕事で、家々の浄化槽を見つけるのが最初にやる仕事。この浄化槽には必ず抜気の煙突があって、すぐにこの煙突を探せばいいことに気づく。
難しいのは見ず知らずのお家にピンポンと鳴らして話をきりだすこと。
ただでさえ人相が良くないのにと思いながら、ローラー作戦で訪ね歩く。
ほんと20万もらおると思えばなまじゃありません。浮世の風の冷たさを感じながら覗いて回った便所・浄化槽が3000軒は越しただろう。
お陰で、明石・加古川・播磨町・稲見町の細かい所までの地図が頭に入っちゃいました。
結果、6月1日から8月31日までの3ヶ月間這いずりまわったけれど、どうもこの仕事にはなじめませんでした。
取った注文が3件。これでは歩合もたいしたものにはなりません。
営業日誌を見ると、貴崎町の電工会社の営業倉庫。両面道路4割という建売向き宅地総額8000万ほどがやっと成約をみている。
昼間便所ばかり覗いていた生活ともお別れして、やはり不動産仲介オンリーで精をだすことになった。
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企業向不動産仲介・企業立地
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ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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