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年が代わって平成7年1月17日午前5時45分。弘子ちゃんにたたき起こされた。頭上に何かが降ってくる。
弘子ちゃんがかばってくれなかったら大怪我は必定。半端じゃない揺れ、それも縦方向。やはり自然にはかなわないと観念した。
最初の大揺れがやっとおさまって部屋を見渡す。マンションの8階とあって、よほど揺れたらしい。
倒れかけた食器棚から食器があふれ出ている。あの重い本棚がかなりズレテいる。なにしろ収納のためタンスの上まで物を詰め込んでいるため、フロアーは落下物で埋め尽くされている。
最初テレビの速報では死者数名と報じられた。そんなわけがあるもんか。
さてお店はどうなっていることだろう。とりあえず室内を片付けながらお店のことが気になってくる。
店には大槻某が寝泊まり(ビルには内緒)していて連絡したいが電話が通じない。
フロアーのめげものをとりあえず片付けるその足で、店へ出かけて行ったと弘子ちゃんが口をとんがらす。
その際、道路はそう込んではいなかったように覚えている。
長男夫婦は3日に横浜に帰り、二男は放出の寮に帰っている。三男から15日に電話があって、ロスの英語学校評価Aだったと言ってきたところ。
この三男がロスの国際電話で我々の安否を確かめ、兄弟連中に連絡をとってくれました。
去年、ロスの大地震を経験している三男の地震体験談を人ごとのように聞いていたが、まさか自身が大震災
に遭遇するとは。
やっと辿り着いたブラジルは、ビル内のそれも地階にあることから意外と被害が少ない。棚に並べていた地酒の一升ビンが5-6本落下してお酒のいい匂いがたちこめていたことを覚えている。
それよりもビルの入口と道路の間に亀裂があって、かなり広い溝のようになっている。このままではお客は入ってこれない状態だ。
2号線に面して、ダイエー明石店前に古くからK診療所がありました。平成6年ころは診療も辞めて固く閉ざされておりました。立地としては魚の棚通り近く、歩道橋が間じかに付いて店舗としてはまあまあの場所だ。
ひごろから、何にか利用先はないものかと考えている時、出入りの酒屋・ナカノの番頭が、明石で居酒屋さんが出店場所を探しているが何処かないかとの立ち話。
同じく出入りの魚の棚の豆腐屋さんに、町内のこととて何か聞いてないかと問うてみた。
マスターいまK診療所は売りにでているよと即答する。k診療所は明石駅前の不動産やに声をかけているようだ。こんな場合売り寝付けと買い寝付けといって、双方懇意な不動産やを使うのが常道だ。
一社だけの仲介に場合、売り買い双方の条件を十分すり合わせることが出来なくなる場合がある。
ここは直接持ち主に当たって条件その他を聞き出す必要があります。
酒屋を通じて居酒屋さんに場所だけは知らせて立地上は希望どうりとの感触を得ておいた。
たまたま県人会の理事会があり、ふと思いついて公文会長にk診療所の院長を御存じないか聞いてみると、同じ大学の後輩で親しくしているとの返事だ。ビギナーズラックとはこういう幸運を言うものか。さっそく紹介状を頂いて、本院の院長を訪ねた。紹介状の威力は抜群で、出入りの不動産やを呼んで、条件は彼と打ち合わせてくれとなった。売り値は一億円。約30坪の土地にしていい値段だ。
一瞬居酒屋で土地に一億とはと思いながら、売値を連絡する。これが意外とすんなり通った。ただし銀行融資が条件となった。
この時の取引手続きは全く売り側の不動産やさんにお世話になりました。契約書作成、重要事項説明、境界立会など、初めてのことばかりで我が方のE不動産の田中氏とのやり取りを一言逃さず聞き取った。
決済の場で銀行側と買主との間で思い違いがあり、融資の実行に少々手間取るハプニングもあったが、最終無事決済出来た。その時渡された仲介料が三百万。干天に慈雨とはこのことか。押しいただいたのはもちろんのこと。多少の労苦、気遣いはありましたが、さて原価はときかれるとほとんど零。何という仕事なんだと感嘆しきり。ほんと信じられない金額が手中にあった。もちろんお世話になった先にはそれ相当のお礼はいるもののこの醍醐味は確かに私のなかの何かに火をつけた。
前述したように、まるで朝・夜を取り違えたまったく不規則な生活を規則正しく過ごす。
その間のメモを見ると、ほとんど3人息子のことばかり。
三男高校卒業、長男就職(大阪勤務)、三男ロスへ、二男就職内定、長男東京転勤、長男婚約、二男就職(東京勤務)、二男大阪勤務決定、長男結納、長男結婚式(IN HAWAI)。
とくに二男の勤務地が大阪に決まった経緯は、我々のことを心配して、できるだけ近くでの勤務地を希望したため。また長男のハワイでの挙式で初めて日本の地を離れた。10時間あまりのフライト、右通行のハイウエー、
バースそっくりの司祭さま、海岸べりの白いチャーチ。ハナウマベイでみた熱帯魚。
三人の息子達が、人生の一番大切な決定をする年齢に達し、それぞれが個性に応じた道を選んでゆく。
そのたびに相談を受けて、その時点では間違いのないアドバイスをしたつもり。すくなくとも自分のような仕事だけはさせたくなかった。
この間の痛恨事は平成5年7月には母親を75歳で亡くしたこと。
このブログを読んでお気づきでしょうが、親父のことは山ほど出てくるが、母親のことは殆ど書かれていない。
その訳は、親父のことを語るのは、懐かしく楽しいが、母親のことは切なくて辛い。
その母親の死を早めた自分の不注意。詳しくは辛くて書けないが、もう少し思いやっておれば、もう少し長生きさせ得たのではないかという後悔があります。
母親の病状に気付かなかった自分の情けなさと、私に気付かせたくないばかりに、隠し通していた母親の気持ちを考えると、未だに涙する。・・・叱るようにして医者に見せた時はすでに手遅れもいいとこだった。
お店は地下1階と2階とあるので、地下2階にあるカラオケでのお客もときには有り、終電を逃したお客には、始発までソファでの仮眠をさせてステイ代をいただいたり。眠れぬ夜を悶々と過ごすより、精神上は余程健康的おまけに家に明け方帰れば泥のように眠りにつける。
このラーメンは千客万来と言えば聞こえはいいが、実に様々なお客がやってきた。殺人を含め前科2犯のやくざの鉄砲玉のお兄さん。これが羽振りの良かったころを私が知っているばかりに、連日やってきて「マスター、マスター」とまとわりつく。と思えば明石地裁の書記官とかで、週に2回はへべれけでやってきて、ラーメンを注文して500円を払ってくれる。それから小一時間座ったままでいびきをたてての仮眠。やおら立ち上がって、お勘定はと聞いてくる。そこでありがたくもう一度500円を頂く。よほどストレスの溜まる仕事なんだ。
桜町の那岐のママとチイママもお客を連れてはやってくる。といってもママとはほど遠く、まったくの酔っ払い。
ある夜、黒服のいかつい面々がどやどやと20人ばかりはいつてきた。下っ端ふうのいかついのが、ラーメン20と注文だ。恐る恐る、にんにくをたっぷり利かせての大忙し。粗相があれば大変だ。それでも気持ち良くお代も頂いて、聞き耳を立てていると、どうやら今から、大久保刑務所を出所する親分の出迎えにいくところとか。
ちょっと前まで、ドライブインながさわで出所祝いがよくおこなわれていたことは聞いていたが、我が店にそんな連中がやってくるとは、本当おどろいた。
物事を大きく捉えその根本を突き止め流れを見極める。そうした動きがかなうようなとき、我が能力はその力を発揮出来てきたように思う。BGといい鍋ガーデンと言い、ジャスコ8階のライブレストランと宴会座敷といい、要するに団体相手の宴会やとしては一時明石の客をかっさらうほどの成功を収めたといえるだろう。
BG最盛期、飲み屋街である桜町のママたちをして、BGの9時の営業が終わるまではお客は来ないと言わしめた。
そんな定置網漁法が見にしみた私が、ブラジル一軒に絞ってこだわった商売ができるはずがない。
お店は正体不明の様相を呈してきた。
なにせ通信カラオケはあるは、座敷で鍋は囲めるは、なにせ宴会ならいかようにも応じますが売りとなった。
お粗末な居酒屋メニュを並べたて、考えても赤面もののいい加減さが、むしろ売りとなった。
そんなとき、なんとかお客を引っ張りこむ手はないかと考えたのが100円ビール。
キリン中瓶が最初の一本が100円ぽっきり。
今でこそ、100円ビールは珍しくもなんともないが、平成3-4年ころでは、驚きの100円ビールだったらしい。
まずビールが本物かどうか、蓋を開けて詰め替えてんじゃないか、矯めつ眇めつビール瓶の点検。
やおら飲んでみて確かにキリンビールと分かると喜びの歓声が上がる。
この効果はてきめんで、これでかなりのお客が定着することになった。
恥ずかしながら、手抜きの究極は、さんよう喫茶の夜10時の営業が終わった後、国道筋の街路樹に大きな提灯をぶら下げて終夜ラーメンを出すことにした。このラーメン、弘子ちゃんの友達の中華スープ販売元に頼みこんで、まったく手間いらず、お湯で溶くだけでそこそこ美味しい濃縮スープを開発してもらった。
大きな寸胴とポットのお湯だけあれば即ラーメンがつくれます。深夜眠たい目をこすりながらの営業から名付けてドリームラーメンとした。
ついでにおろしにんにくを大匙一杯かますと、これがなんとも旨く感じる。ラーメン2チャンネルの話題となったぐらいだ。それはともかく一人仕事で売り上げの3-4万もあればこれは当分止められない。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)