忍者ブログ
書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
[2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

1月7日長久寺においてしめやかに葬儀は執り行われた。もう余命少なしと分かっていた11月頃から、お寺さんにはその際はよろしくとお願いをしておりました。お通夜からして、大変な数のお参りで驚いておりましたが、本葬にも600人からのお参りがあり、土佐から駆け付けた親族一同も、そのお参りの数のあまりの多さにビックリいたしておりました。
この長久寺へお願いする経緯も、未だに不思議なことがあります。
明石市内には禅宗といっても永平寺派の月照寺と南禅寺派の長久寺他があり、須崎の津野氏ゆかりの菩提寺・元亨院は永平寺派と聞いておりました。
なんでも詳しく知っていたその親父が、私の亡くなった長男のお骨をお祭りすべくお願いしたのが長久寺さんでした。このお葬式を執り行う20年前のこと。
本来なら、永平寺派の月照寺にお願いすべきところを長久寺にお願いしたその訳は、またまた25年ほど昔、私のすぐ下、二男正志を数え2歳で亡くした際、長久寺の先代と知り合いであったことから供養を頼んだことにあります。それ以来、私ども夫婦は、毎年命日には長久寺で菩提を弔うべくお参りをいたしておりましたので、和尚さんともおなじみの間柄となっておりました。
院号は須崎・笹野の元亨院にお願いしたものの、果たして長久寺でいいのか、親父の兄の四郎伯父のように月照寺にお願いすべきものか相当迷いましたが、親父が2人もの供養を願った因縁が断ちがたく、和尚に相談したところ、宗派違いは気にすることはないと諭されて、やっと長久寺での葬儀をお願いすることになりました。
なんとも不思議な親父のお寺選びを尊重することが、ある意味供養となりはしないかと考えたわけです。

拍手[0回]

PR
藁をもつかむ気持ちの丸山ワクチンも甲斐なく、がん性腹膜が動き出した。
松浦内科から市民病院・木下春生ドクターに頼みこんで診察・点滴を依頼することにしたのが11月19日。
12月16日のメモに「市民病院へ移って約一ヶ月。その間、胃がん再発につき、胃カメラで排除するなどかなり手荒い治療となっているが、14日まではまだ状態は良好だった。
15日くらいから、頭のふらつきなど、かなり体力レベルの低下を来してきた。DOC木下は2月ごろまでは在宅治療が可能なように言っているが、小生の考えでは1月に入ればすぐに入院しなくてはならないのではと考えている。」とあります。
ことは私の推察どうりになり、2008.12.24の項で書いた、孫たちと最期のお別れのクリスマスイブを過ごし新年を迎えた3日3:30入院となった。肺炎の心配がありかなり苦しそう。木下DOCと1月いっぱいは頑張ろうとやくそくをして病院を後にした。
そして、2008.12.3に書いた親父の最後の一言を聞けずじまいとなって臨終を迎えた。
1月5日PM9:54 逝去。
その日のうちに、太寺の家に戻し、店の仕舞いに深夜事務所に向かった。
まだ現実が飲み込めずにいるような状態でいるうちに、突如腹の底からこみあげるものがあった。
呻きと言おうか叫びと言おうか、形状しがたい唸り声とともに、悲しみがほとばしってくる。それまでかろうじて抑えていた気持ちの高ぶりが爆発して、自分でも驚くほどの、あたり憚ることのない叫び声を上げ続けた。
まさに人生初めての慟哭。これが明け方まで続いたように覚えています。
あとは、お通夜・葬儀の準備に追いまくられて、涙を流すひまもないありさまとなってゆきました。

拍手[0回]

腹膜に広がっている癌細胞が動き出せばがん性腹膜炎を起こし、腹水がどんどん溜まることになる。
当時、癌患者を抱える家族の最後の頼みはいわゆる丸山ワクチンではなかったか。
肺病患者に癌が発生しないことに気がついた丸山ドクターが編み出したワクチン療法であります。
これの難点は、有効な患者とまるで効かない患者とはっきり効果がわかれること。症例報告では、著しく改善されたものもあると喧伝されれば、もしかして我が親にもとすがるのは人情です。
昭和58年8月15日のワクチン問い合わせのメモが残っています。18日に東京都文京区千駄ヶ谷の日本医科大学附属病院皮膚科を尋ねることになる。
8月26日の院長回診で明日退院して宜しいとの許可が出た。その時の親父の嬉しそうな顔と言ったら。
この一年見たこともない良い笑顔を見せた。
もちろん、丸山ワクチンを打つことは、本人には知らせられない。術後、コバルト照射が無かったことから、どうやら胃がんではなかったらしいと母に漏らしていた。
そこで、退院後、もとの松浦内科に戻り、そこで栄養剤とか何とか言って丸山ワクチンをうってもらうことになった。
それでもえらいもので、術後体は本来の自然治癒力を発揮して、めきめき元気になってゆく。食欲も出てきて
医院の帰りに少し歩いてみたりする。
このままの状態が続いてくれればいいんだが。気休めの丸山ワクチンが効いているようには思えない。
img215A.jpg

















拍手[0回]

診断の結果、早急に手術すべしとなったが、がんセンターのベッドの空きがなくて即入院とはいかない。
そこで啓三の付属中の同級生で、今は県の参事となっている神田君に頼みこんで入院の便宜を図ってもらうよう依頼した。そのかい有ってか、7月16日になって、18日入院と決まった。
18日の入院の朝、家族皆に見送られ家を出発。親父はかなり神経の高ぶりが見られた。
がんセンターの病室は思ったより広く、清潔で、すこし気持も落ち着いた。
このあと、22日最終診断。26日1時からの手術と決定。
26日の手術日には、土佐からも兄弟が駆けつけ、手術室まえには16人が心配で声も無い。
今、手元に2冊のノートが残っている。1冊は6月27日から始まる私の備忘録。そしてもう一冊は入院の7月18日から始まる親父の闘病記。
両方を読めば、思わず当時のせっぱつまった気持が蘇り、果たして私の取った処置が正しかったのかどうか思い悩むこともあります。あれほど苦しい手術を受けさしたのは、間違いでなかったのか。むしろ死を早めたのではなかったか。・・しかしなんといっても、嚥下障害があれば栄養不良で命は持たない。今のように遺漏で栄養補給が十分出来るレベルにはまだ至ってはいなかった。
経過、親父の感想など詳しくはとても書けない。
ただ言えることは、たいがい胃がんの患者のことには詳しいはずの親父が、我々が糜爛性の胃潰瘍だという言葉に疑いを示さなかったこと。闘病記には、自分の苦しさよりも、私ばかりに重荷を背負わすことになったすまなさを気遣う言葉ばかり。はやく人生2度目の大病を克服して現場復帰を願う思いが書いてあります。
入院以来、俺の病気のことは伸一に聞いてくれとすべてを任せてくれたのは、うすうす重大な病状を察知して
のことだったかも知れない。
手術の結果、望月主治医から腹膜への移転があり、よく持って4-6ヶ月の余命との説明があった。
このことは、私と啓三・弘子・妹の旦那の芳男の4人のみに知らせ、ほかの家族には手術成功と報告した。
img208A.jpg









































拍手[0回]

確か、昭和58年6月初旬、事務の楠田さんが、マスター(親父のこと)どこか具合が悪いのではと聞いてきた。
寝耳に水の感じで、どうしてそう思うのかと問うてみると、親父の姉(高知で産婆をしている)に電話をしているのを聞くとはなしに聞いてみると、水や食物が飲み込みにくくて困っているとの相談をしていたと言う。
弘子にも食事の様子を検めて聞いてみるに、時々、食道にものがつまるのか、じっと下を向いて辛抱していることがあると言う。これは大変と伯母に電話をしてみると、どうやら嚥下障害をおこしているのに間違いない。
なにを辛抱しているのと、叱り飛ばして松浦内科に連れて行ったのが6月27日。ただちに28日田路放射線科でレントゲン撮影した結果が立派な胃がんとの見立て。同日松浦内科よりがんセンターへ紹介状を書いてもらい、30日啓三が付き添ってがんセンターへ行き入江病院長の診察をうけた。
7月1日、胃カメラ。外科へ直ちに回され後藤副院長診察。大至急手術との診断が出た。
かなり深刻な嚥下障害を起こしていることから、食道癌か胃の上部にできたがんが胃の入り口を狭めての嚥下障害が考えられる。それにしても、すでに手遅れなのは間違いない。
以前、10年も前に、ライオンズの健康診断で、佐久川医師によるレントゲン診断があって、その際、胃のあたりが怪しいとなって、精密検査の必要を迫られた時、知り合いの永田医師に頼んだ再検査で、心配なかろうと安請け合いされて、それ以上の検査をせずに放置していた経緯がある。
この佐久川医師はレントゲン写真を見る達人で、この時、もっと突き詰めた、専門医による診察をうけるべきだった。その佐久川医師も親父より早くに、同じく胃がんで亡くなった。
ことは重大であります。なにしろ親子二人三脚で進めてきた商売の相方が倒れるとなると。それも信用の基の親父の身に何かあれば、すべてが崩壊するのは時間の問題である。
そのことは親父も鋭く感じていたらしく、入院する日から何をするかと思うと、それまで一手に引き受けていた経理処理のための手引きを懸命に書き出した。題して経理処理解説「BIBLE」とあった。
img205A.JPG

拍手[0回]

[2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[01/30 つのしん]
[01/30 さくら]
[01/30 さくら]
[10/06 かめいち]
[10/03 庫山堂]
最新TB
プロフィール
HN:
つのしん
性別:
男性
職業:
企業向不動産仲介・企業立地
趣味:
ボランティア活動
自己紹介:
ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
バーコード
ブログ内検索
カウンター

Copyright © 『つのしんの独り言』 All Rights Reserved

Template by ゆうじ

忍者ブログ [PR]