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最初ビアガーデンのバイト生達も少数で、毎日補給する材料も少なく地下飲食街のブラジル店頭で保管しておいて、開店間際にエレベーターで屋上へ運び込めば事足りていた。
しかし、梅雨も明けるころともなると、バイトは増え、材料の仕込み、特に串かつを多量に作っておくのが、てんぷらマルイチでの仕事となった。毎日ドンクのパン箱一杯の串かつを西田の叔母ちゃんがつくるのが日課。
ビアガーデンでのおつまみベスト3は枝豆・串かつ・から揚げと決まっていました。
かくしてビアガーデンの兵站補給基地と化したてんぷらマルイチへは、ビアガーデンの片付けが終わると腹を空かせたバイト連中がドヤドヤと下りてきて、まるで飯場の食堂となった。
持ってるもんだすね。古いファイルをひっくり返していたら、なんとBGの最初からの売り上げ一覧がでてきました。
いくら5-8月の期間、売り上げに偏りがあるといっても、想像しにくいが、残された数字を眺めてみると、そこまで差がありましたかと我が事ながら驚かされる。
昭和50年  5月 2,219,830円  6月 6,751,130円  7月 12,472,460円  8月 7,544,750円
総額  28,988,190円  とある。 この差の激しさ一目瞭然です。
シーズン初めに、コアとなるバイト生、それもシッカリした連中を呼び寄せてトレーニングを重ね、ピークの7月には、単純作業の兵隊バイトを多数補給する。8月の中ごろを過ぎれば、またもとのコアにまで人数を絞って行く。そんな労務の要領から、雨天対策、アトラクションからシーズン初めの、駅前でのビラ撒きにいたるまで、KNOW HOW といえば言えなくも無いことごとを学習する一年目はあっという間に終了した。
残ったのは、闇雲に走り回った芯からの疲れと、1000万の儲け。
BGが終わって気を抜いててんぷらマルイチの仕事をさぼっていたら、親父から雷が落ちてきた。
生涯仕事の上で親父からたった2回叱られたうちの一回。

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img933A.JPG
この年から25年間、5-8月の間は、首が痛くなるほど毎日空を見上げる日々を過ごした。
なにしろ、青天井で、パラソルが20本ぐらいはあるが、雨がふれば即休業。アルバイトに今日は店を開けるのか、休みにするのか、早めに伝えてやらなければ。なんども、本日休業と決めた後、青空が広がって、お客さんからどうして休むんだよと叱られた。
こんな時は、売上損なったことより、せっかく楽しみにして来ていただいたお客さんに申し訳けなくて。
それ以上に困ったのは、営業途中での夕立ちの来襲だ。それも決まって、お客の入りがピークの7:30ころ、山と積まれたビール券を忙しくこなして、お天気の具合を気にしなかった隙を衝いて、突如天空から大粒の雨が降りかかる。となれば、屋上の有るや無しやの建物の庇を求めて人々が走り回る。中には飲みかけのジョッキを抱えてなお立ち飲み続ける豪の者も散見される。
極めつけは、予約で満席の金曜日、もし雨なら会場を移してでも会社のビアパーテイーをやりたいと幹事さんは要求する。そこで急遽、明石デパート5階ホールを毎金曜日抑えておいた。
守衛のおっちゃんをビール大2杯ぐらいで抱きこんで融通をきかしてもらった。
アルバイトも最初のうちは、7-8人で回せるが、ピークには40人揃えても足りないときもありました。
ちょうど、神戸学院大が開校した頃で、有瀬の山から降りてくる学院生と神戸商大サッカー部現役の若干名それに意外と神戸高専の学生達がグループで応募してきた。
そんあなかでも、神戸学院の生徒たちは腹を減らしておりましたなあ。
なにしろ、お客の食べ残した串カツを、片付けてくる道中、口にほうばってくる始末。それだけはやめろと怒鳴りつける。
そう、このビアガーデンはサッカーのグランドと思ってくれと最初にアルバイト生に釘を刺しておりました。

PS 写真は1985年ころ、もう開業して10年はすぎたころのもの。しかし雰囲気としては、ずっとこうだった。

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そのころ、明石にもビアガーデンなるものは既にありました。明石デパートの屋上の鳥かごのような小規模のが一つと、ダイエーに負けじと出店していたフタギ(現在のジャスコ)のある錦江ビルの屋上に400席からの大箱が一つ。
このジャスコ屋上ビアガーデンは8Fのレストラン直営で料理もそこそこの様子。
一方、わがダイエー屋上ビアガーデンといえば、ほんと的屋もびっくりするぐらいの、簡単な品ぞろえと、ハゲハゲの椅子・テーブルが淡路島側につつましく200席ほど並んでいるに過ぎないお粗末さ。
この椅子・テーブルのひどさに見かねて、親父の親友の看板屋の社長が、こてこてにペンキを塗りあげて、なんとか格好をつけてくれました。
屋上に上がってきたお客さんは、全員が眺めの良い南側に席をとり、もっぱら眺めを楽しんでいる様子。
しかし、そこはエンターティンメント重視の本領を発揮して、冷房用のクーリングタワーを囲った大フェンスを背にして、かなり高い目の舞台を設えた。照明の行灯も多数ぶら下げてちょいとした屋外ステージでした。
音響装置もYAMAHAに勤め始めていた弟・啓三に頼んで、プロユースのPA装置を用意した。
そう、一年目はアトラクションといっても、地元の牛乳配達の兄ちゃんが結成していたカントリーバンドと、素人ながら布施明を歌わせたらチョイト聞けるギター一本での弾き語りでお茶を濁した。
そんなアンバランスな体制で、5月・6月と月日は経ってゆく。エレベーター前のルームには親父が陣取って、手作りのチケットを、慣れない手つきで売ってくれた。
6月などは、梅雨のあいだ、今日も明日も雨に降られて休業が続く。
ところが、7月に入り、本格的夏の訪れを想わせる暑さがやってくる頃から、やけに予約の電話が鳴り出した。
看板にも、新聞広告にもダイエー屋上ビアガーデンと大書してあるもんだから、後から聞いた話だが、ダイエー明石店に予約の電話が殺到したらしい。そして親切にも電話交換手のお姉さまがたが、ブラジル直営で予約電話の番号を教えてくれていたらしい。そして7月第3金曜日がやってきた。

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img699A.JPG予想どうり、屋上から眺める明石海峡・淡路島そして振り向けば、明石公園にそびえる錦江城の櫓。
これは眺めるだけにあがってきても値打ちがあります。その上、冷えたビールをジョッキでグッと一杯。
喫茶ブラジルの仮営業の後の新装開店、それも世間知らずの私が、凝りに凝った内装を施したもんだから、BGを開けてよろしいといわれても、調理器具その他の準備が精一杯で、肝心の椅子・テーブルまで手が回らない。その上、今期やってみて成績が悪ければ来年も明けられるか分かったものではない。
まあ、屋外のBG用の椅子・テーブルはそう大して金がかかるものではないが、少なくとも200席は用意しないと、この広い屋上に釣り合わない。
そのころ、神戸界隈でBGと言えば神戸そごう屋上BGが超有名で、ここは生ビールをタンクローリーで運んできて、1階から屋上までバキュームポンプで吸い上げていると聞きました。
それほど売れるものなのかと、信じられない規模の話でしたが、とりあえずは椅子・テーブルの段取りをつけなければ。
当時はビール業界はキリンビールの一人勝ちで、今のようにアサヒドライもサントリープレミアムもあったもんじゃなかった。当然キリンに連絡を取って椅子・テーブルの提供を打診してみるに、売れに売れているキリンさんは周辺のお店に気を使ってか良い返事をしない。アサヒ・サッポロも椅子・テーブルの提供の話になると腰が引けてしまう。こういう時は神戸商大の卒業名簿に頼るしか道は残っていない。
また下戸な私は、キリンに拘る気持ちもなかった。
名簿でサントリー勤務の三木某の名前を見つけたとこは嬉しかったねえ。さっそくお願いの電話を入れる。
同じ大学の同窓でしかないのに、三木某は親切に対応し、その上頭を捻ってくれました。
今倉庫に沖縄海洋博でつかっていた屋外用椅子・テーブルなら200席ぐらいは在ります。ただしかなりハゲハゲですとの返事が返ってきました。
この際、多少いがんでいようと、剥げていようと、座れてビールが飲めさえすれば何のふそくがありましょう。
早速、貸し出しのお願いをして、ついでにサーバーと一坪もあるプレハブ冷蔵庫、ジョッキを山ほど。そして
サミーデービスのイラストのあるTシャツを50枚。
サントリーさんも余程BGが魅力的だったのか、あえてサントリーを選んだことに好意を持ってくれたのか、もちろん三木某の淡水会贔屓もあったのでしょう。一式の無償供与を頂いてBGは無事開店に漕ぎ着けました。

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その後24年にわたり我が人生の方向を決めたビアガーデンは1875(昭和50年5月2日オープンを迎える。
その前にちょっとした経緯があって、GOD永田がシンエーフーズ・レストランブーンを誘致するにあたっての条件に屋上ビアガーデンの営業権もおまけにつけていた。そんなことから、ブーンからの返事を待って、ブーンが要らないと言って初めてブラジルにさせるか考えるということだった。実際はブーンから屋上は要りませんとの返事があって、我々にお鉢がまわってきたのだけれど、後になってその理由を聞かされて、それこそ腹を抱えて笑ったことだった。
このビアガーデンの店長に3年目ぐらいからおさまった南野某。彼は星陵高校のトランペットで、高校時代私とも明石高校・明石南高校・明石商業高校・星陵高校合同演奏で一緒にふいたことがあったらしいが、かなり音楽・JAZZの才能に恵まれていて、典型的なトランペット吹き気質で、自分中心で女子が大好き、その上お酒も大好きというより、お酒を飲まないと良いアドリブが出てこない。師匠の伊藤隆文までは行かないが、まことに羨ましいJAZZ野郎だ。その彼が、折角期待されて進んだ神戸消防音楽隊を女、それも共産党員の兄貴がいたらしい、に拘って辞めるはめになり、行き着いたのが、シンエイフーズ・神戸新聞会館屋上ビアガーデンであったとか。
もともと楽隊が本職で、とくにビアガーデンにうってつけで、各種音楽・バンドのアトラクションを引っ張ってきてご機嫌でいたらしい。その彼が、自分のお楽しみに走りすぎて、4・5年やったビアガーデンの成績はパッとしなかったらしい。まあ相当適当にやっていたのに違いない。シンエーフーズ社内では、ビアガーデンは儲かりませんということになっていた。。ましてや明石何ぞではやるわけがないと言うことに結論していた。
まあ南野ちゃんが熱心にやっていればこの時代かなりな売り上げが可能だったところ、適当にやってくれたお陰で、ビアガーデンなど要らないとの判断を下してくれたことが私には幸いした訳だ。
南野ちゃんの思いもかけない功によって、晴れてブラジルにとりあえずやらしてみようとなって、5-9月の期間開催のお許しが出た。・・・かのなんちゃんがケツの穴から火を噴くくらい走りまわることになるのもそう遠くはない。

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