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一方、お店の方はその逮捕があって以来、ヤクザ・チンピラの出入りがぴたりと止まった。
あの店のマスターはすぐポリにチクリよると警戒してのことだ。
そのうち、取り調べが進んで、公判が近づいてきた。被害者証人として、証言をしなければいけない。
4人のうち、一人は未成年であったらしく、親からはいずれ御金は弁償するから、ほんの使い走りったと証言してくれなどと言ってくる。
その後の人生で民事は何度か経験することになるんだけど、刑事は後のも、先にもこれっきりの経験だ。
明石地方裁判所の何号法廷か忘れたが、証言台に立たねばならない。当日腹を決めて法廷に臨んだ。
傍聴席には、被告4人の家族やら、連れやら、子分やらがつめかけている。チクッタのはこいつかとばかりに視線が集中する。決して気持ちの良いもんでは御座いません。それでも不思議と冷静な気持ちで、断固個人の生活権を踏みにじるようなことは許されないとか何とか証言しちゃいました。
未成年はそうたいしたことにはならなかった。しかし、主犯の二人は、前も有り、保釈中でもあったりして、その後6-7年のお勤めに鳴った筈。
出所後、ひとりは自宅でダイナマイト自殺。もう一人は拳銃自殺をしてしまった。
こんな修羅場はとても我々には耐えられない。我々が手を染める仕事ではありません。
心配したお礼まいりにはなんとか合わずにすんだようだが。
虎の尻尾を踏んじゃった。ほっておけば借金が有るわけだから、寄りつかないのに、因縁を付けるいい口実を与えに行ったようなもんだ。やがて若衆が使い走りで、兄貴が呼んでると伝えてきた。近くの喫茶店で待っているという。仕方なく出かけてみると、恥をかかせた落し前をどうつけるんだと散々脅し挙げられた。
その時はじめて分かったんだけど、私は割とそんな修羅場に強かった。相手はヤクザ屋さんだから、決して人前では暴力を振るわない。手は出さないことは分かっている。とすれば話はお金だ。一体どうしてくれるんだとは、お前さん一体幾ら払ってくれるのとの謎かけだ。
4人ほどを相手に、交渉と言うよりは喝揚げ、恐喝を絵にかいたような小一時間。やっと30万持ってこいとなった。それに対し、我が方の要求は、今後決して店に寄り付かないと一筆入れろという条件だ。
まさか、ああもあっさり吞むとはおもわなかった。よほど金に困った上でのことだろう。翌日だったか、お金と一緒に誓約書を持参して、4人に自署のうえ拇印まで押させちゃった。
言い忘れていたけれど、弘子ちゃんの親父さんは県警たたき上げの鬼刑事。専ら強行犯ばかりを扱ってきたベテラン。その部下にY組専門の前田貢警部がいて、この人が私の従姉妹の旦那と尾上の航空特攻隊での同期生。そんな関係から、この脅しがあった初めから相談を掛けて、その指図どうりに動いたまで。
自署・捺印の立派な証明書附きの恐喝はたちまち立件されちゃった。
全国紙にでかでか報道されて、NHKのニュースにまで流れた。あちこちから、無事でよかったとのお見舞いの電話が入る。
しかし、逮捕されてそれで御終いと、ことはそんなに簡単に収まるとも思えない。・・・さてどうなることか。
クラブスタイルのボサリオも振り返ってみれば3年余り続いた。
いまや明石駅正面となっている新納ビルの2階。40坪近くの広いワンフロアを借り切って、俺も馬鹿だったんだ、思いっきり豪華絢爛な内装を施し、デザイナー大北某に頼んでレイアウトを考える。もちろん内装工事は永田親分直轄の明石土建さんにおねがいした。開店間際の追い込み工事で、WCからボヤを出したりして、考えられないドタバタのなか、何とか開店。エレクトーンの生演奏にお店の壁面に特大スクリーンを貼り付けて、ちょうど開催中の大阪万国博のスライド写真を映し出す。ついでに歌の歌詞を写して、エレクトーンの生伴奏で、お客に気持ちよく歌わせた。巷にはまだカラオケの爆発的流行の兆しも無かった頃のこと。
ところでこの業界で一番の苦労は、ホステス集めとヤクザヤさん対策。当時明石の歓楽街桜町もなかなか盛んで、老舗クラブも数軒ありました。その連中からみれば、断りも無く駅前でクラブでございと、店を張っているのが目障りでしょうがなっかたに違いない。
明石といえば、神戸のY組の直系の親分さんがたくさん居られて、その組同士が凌ぎを削っていた頃です。
どこかのお店が、ちょいとボサリオを観ておいでよくらいの頼みをしたんでしょう、それらの組の若い衆が入れ替わり立ち替わりやって来る。そのうち店のナンバーワン・ツーの若手二人が、ある組の親分と、若頭の愛人になる始末。我々素人はアレヨアレヨと横で見ているしかありません。ヤクザヤさんも親分ともなると、なかなかの貫禄で、お店ではきれいな遊びをする。これだけは関心しました。しかし、他の極道とやらが始末に終えない。それも幹部級の連中でなかなか顔の利いたあるグループが連日押しかけてツケを残して帰った。
ホント世間知らずだったのかどうなのか、よせばいいのにその連中がマージャンをしている雀荘に集金に出向いた。そのときの連中の目玉をむいた表情をいまだに覚えている。これがその後の恐喝事件の発端になろうとは。
気持は前4回のてんぷら繁盛記に見るごとく既に天ぷら屋に関心はうつっております。
ここ堂島には、カウンター天ぷらの名店・一宝があることも聞きこんでおります。すかさず、一宝がよろしいようでとお願いして、コース2万は下らない、おまかせを堪能する。職人さんの手元を食い入るように眺めた。
粉の溶きかたから、ネタの衣つけまで、眩しいばかりの手際良さ。もう声も出ない。やはり一流と言われるお店は違いました。お客のテンポに合わせて、てんぷらが次々供され、いくらでもお腹に入る。油はなにお使っているんだろう。白絞油にゴマ油も少しはかましている香りがする。メモを取るわけにもいかず、全てを目に焼き付けた。かたわらの安達課長も私のあまりの熱心さに苦笑しておられた。これじゃあ入江に居るわけもないと思われたに違いない。その席で、入江商店への感想を問われて、ゴチになった手前、2・3申し上げたことを覚えている。この感想は意外と当たっていて、平成15年5月だったか、メインのりそな銀行に引導を渡されて入江商店が遂に倒産した際に、その原因とされたこととピタリと符合しておりましたとさ。
このてんぷらマルイチでは昭和55年(1980年)まで、板前修業に精出しておりました。その間11年、身体からてんぷら油の匂いを染み込ませながらの毎日。
一方、永田親分は次に駅前・新納ビルの建築に取り掛かり、子分連中にそれぞれの階での業種まで指定する。もうメチャクチャ、ゴリオシ。しかしこの無理は断るわけにはいきません。そして今回は「津野君、2階でクラブをやってみろ。」との御託宣だ。あのオネーチャン・ホステスを侍らすクラブですがな。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)