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約20年にわたる、私のいけいけバブルは弾け、いまや撤退戦のまっ最中。
ジャスコ明石関連の店を閉めた際、太寺の家もビルオーナーにお願いして買い戻し条件付きで買い取ってもら
い、そこそこの家賃で借家としていた。
家を売ったお金で、買い掛け金、借入金をかなり整理したが、まだ月々の借入金返済のボリュームは減らない。息子たちは大学進学でそれぞれ明石を離れて枚方・東京と下宿暮らしが始まる。
そのうち、家の家賃も滞り始める。
おまけに悪いことは重なるもので、平成元年3月17日には、ガレージから車を出そうとして、通行中の自転車に乗っているおばあさんをひっかける事故まで起こした。
脳挫傷とかで明石市内の病院に担ぎ込んだがその病院には脳下科の医者がいない。
しかしここで手を拱いて、植物人間になったり、死なせでもしたらそれこそ家族ごと一巻の終わりとなる。
必死のパッチとほこうゆう時のことを言うんだ。
病院となれば、公文県人会会長にすがるほかありません。
先生に事情を話すと、それこそ一刻を争う状況を察して下さり、親密さきの脳外科では有名な、新開地の吉田病院の院長に話をつけて下さった。
この転院処置が効を奏して、二度と自転車にも乗れないなどと言っていたばあさんが、さっそうと自転車を飛ばしている姿を数年後には見かけた。
ばあさんは生命保険の勧誘員でその営業中だったことから、労生出身のS代議士に頼みこんで労災扱いに無理やり押し込んでもらった。
この事故の示談金も労災の補償以外に別途そこそこ必要。
苦しい状況がなおきつくなる。
そんな頃、世間といえば、東京で起こった土地バブルの余波が大阪・神戸と押し寄せ、この地方都市明石にまで及んできました。
忘れもしません。自宅の近くで戸建て住宅を建ってていた業者が、人丸小学校区で、そこそこ広い住宅用地を探している旨のチラシが入った。
そのころ、まったく不動産取引の知識も無いながら、今賃借している家を買い戻して、売ればなんとかなるかもと思い電話を入れてみた。
早速仕事が早い不動産屋で、かなりのベテラン。我が家をみて買主の希望にピッタリだとぬかす。
ところで、いったいいくらの値をつけるのと尋ねると、結構な金額を提示された。
勢いとは恐ろしい。めくら蛇に怖じずとか。本職になってからも見かけたことのない、呼び戻しの荒技で自宅転売に成功した。
自分のバブルがはじけて、あの土地バブルに助けられたわけだ。

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桜の花も散り終えて、八重も盛りを過ぎました。と同時に、浮かれた気持から我に帰って、あのバブルの後始末の10年を顧みる気になってきました。
3月11日いらいのテーマ「私の仕事館」です。
ジャスコ明石建て替え決定が昭和62年(1987年)12月。そして翌63年の8月のBG営業を終えると同時に8階及び鍋ガーデンの撤収に取り掛かった。
残る店舗は、喫茶リオ・ブラジルとダイエー屋上BGそして創業のさんよう喫茶の3店舗となります。
今この状況であれば、頭を抱えて呆然自失するだろうに、この年長男が大学入学、二男・高3、三男中3とあれば、そんな感傷にひったているどころではありません。なにもかもかなぐリ捨てても彼らが大学を終えるまでは
頑張らなくてはなりません。
さんよう喫茶の地下2階にライブハウス機能を写し、ブラジルの奥のスペースを座敷風に整えて宴会を受けることにした。
この間、ジャスコ明石ビルはどんどん取り壊しが進み、フォーラス明石へと建て替えられてゆく。
会う人ごとに、建て替え後はまたお店をあけるのかと聞かれる辛さ。言葉を濁すのが精いっぱい。
規模縮小と同時に、親父の時代から働いてくれていたベテラン数人にも辛い別れを申し出なけならない。
半分わが身可愛さの強引な退職話、もちろん十分な手当てを施せるわけもない。
思い出しても、未だ胸が痛む思い。けれどいつ不渡りを出してお陀仏かも知れないあり様を見かねて身を引いてくれました。
さんよう喫茶はおふくろが、ブラジルは私が切盛することで、人件費を絞り込む。
夏場は例のBGの夢を未だ捨てきれず、ダイエー屋上BGを開きかなりの鎬とした。

 

 

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何もかもが煮詰まった昭和62年12月。かねてから噂のあったジャスコビル建て替えが決まったらしいという確実な情報がもたらされた。思わず万歳を叫んだ。
もちろん、これからビル建て替えに伴う店舗閉鎖へ向けての条件闘争が待ち受けているわけだが、確かなことは再び店を構えることは、どう考えても不可能であるということ。自分の責任を出来る範囲で果たし、あとはビルの決定にお任せするしか道は残されていない。
この建て替えで鍋ガーデン・よさこいマルイチと8階GOOD TIME CIRCUS のPUBレストランボサリオと居酒屋座敷マルイチそしてビアガーデン及び明石予備校が姿を消すことになります。
そのなかで一番に始めたのが明石予備校の円満な閉鎖でした。この分野は中・高・浪の諸君を預かっての責任ある仕事です。たやすく終わりにしますでは済まされない。円満に次に引き継ぐ相手を探さねばなりません。
そんな時、助けていただいたのが神戸高知県人土陽会の公文康会長様でした。同じ土陽会の会員に、会長がともに事業をしている石丸氏が本職が神戸学館という予備校と塾を経営されていたことから、この際明石校を出す格好で、明石予備校の生徒諸君を引き受けてくださることに話がまとまった。移転先も同じ町内の津田ビルと決まった。
予備校といえば、かの大道学園には2年間も通ったこともあり、とくに学園でまなんだ現代文の授業を通じて日本文学全集を読破するきっかけを頂いたもんです。
その時の経験を生かして、現代文読解の授業のコマを何個か任せられて、参考問題つくりから勉強したもんでした。
そんな苦労をした明石予備校の無事引き継が決まり、本当にひと安心。息子たちが成長してゆく過程とは言いながらまさか予備校を作った親馬鹿もめずらしかろうに。
いよいよ昭和63年のビアガーデンが終わる6月末をもって上記店舗を全面閉鎖することに同意するまでには、
たびたびの内容証明による督促と、度重なる面談交渉を経なければならなかった。
お店の道具類を他所に保管するべく移転先倉庫をさがすこと一つも大層なことになる。
無我夢中の半年が始まった。
 

 

 

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43歳から48歳の6年間。表面上は余裕を装い、水面下では必死の足掻きに明け暮れた。最盛夏のBGシーズンともなれば7店舗1500席が明石駅前・大明石町1丁目に有った。それと明石予備校も。
昨日、思い出しながら前期撤退戦を書いて床に就いたところ、久しく見なかった当時の苦境の夢を見た。
大学卒業が単位が足りなくてできない、さあ大変という夢は、この苦境を迎えるまで見る夢の定番でありましたが、この苦境を迎えてからは、専らこの当時の苦しい夢を見てばかりでありました。
それが、この5年ほどはトント見ることもなく、安らかな眠りを貪っておりましたのに。

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まさに事業規模が、火の車が頂点に達したと同時に、親父というパートナーを失った。
振り返れば、この昭和58年(1983)から昭和63年(1988)8月末までの5年あまりは前期撤退戦といえる。
まず、借入金の保証人追加を求められる。零細企業が銀行から借り入れをしようとすれば、保証協会の保証付きであろうと、担保有であろうと、必ず個人保証を求められる。まさかの場合はケツの毛まで毟られるというわけだ。そして敗者復活にはとんでもない苦労が残る。
とりあえずは母の名前で保証人を補てんすることにした。財務上は明らかに負債超過。そのころいくら試算しても太寺の土地・建物の評価は4000万程度。借入金・買掛金はビル保証分を除いても億を越している。
早速迫った相続も、ほとんどを母親名義とし、弟妹には相続放棄に同意して貰った。相続税がかかるわけもない。遺産相続をしようにも実家の土地・建物を分けようとすれば、それにともなう莫大な借金も押し付けることになる。
ただ気がかりは弟に保証協会の1000万の保証印を押させていた。これの変更を早くしないことには、破綻をきたした時に実害が及ぶことになる。
それやこれやで、この6年ほどの期間、そこそこの売り上げも年々右肩下がり。世の中の景気とシンクロしておりました。
当然手元の資金繰りが詰まってくる。事業拡大の際には、火の車を大きくしてゆくのは割と簡単で、むしろ、火の車にブレーキがかかった時の、火の粉の処理が難しい。
息子たちは育ち盛り。長男が中学進学から大学入学の間の6年間。弘子ちゃんが下水工事の手術をしたり、
世間のお付き合いはそれまでと変わらずはげんでおりましたが、その内情はホントその日暮らし、資金繰りに苦しむ日々でありました。

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