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 庫山堂さんのご指摘どうり、龍馬の妻お龍と世帯を持った西村松兵衛がどういう経緯でお龍と知り合ったか枯らして寺田屋時代からの知り合いであったとか、海舟の世話で勤めていた神奈川宿「田中屋」の仲居時代に知りあったとか、どうもハッキリしない。
この松兵衛の身の上も商人であったとか行商の身であったとか。
お龍の晩年、横須賀に松兵衛・お龍・中沢光枝(妹)の3人で暮らしており、やがて松兵衛と光枝が内縁の仲になっている。
日露戦争の際、皇后陛下の枕元に龍馬が現れたという話が広まり、病床のお龍に皇后陛下から見舞いが贈られ辛うじて龍馬の妻としての矜持は保たれた。
その事から、松兵衛・光枝が各方面の援助も有って死後8年も経って建立したお龍の墓には「贈正四位龍馬之妻龍子之墓」と記された。
こう記した松兵衛さんの想いも辛いものが有ったのでしょうね。
お龍晩年の言葉に『龍馬が生きていたら、まだ何かおもしろい事もあったでしょうが』の呟きがあります。
龍馬というとんでもない奔馬に振り落とされまいとしがみ付いていただけにせよ、龍馬没後二度とお龍の心を満たすだけの男が居ようはずもなかった。なにより暮らしの縁を頼る抜け殻の暮らしであったのでしょう。
一方、坂本龍馬室と墓標に刻んだ千葉さなも龍馬に人生を騒がされた被害者の一人だ。
お龍ほどの深みには嵌らなかったにせよ、心の上ではお龍以上に龍馬に焼き尽くされたと思われる。
最近、このさなさんが元鳥取藩士と結婚していたんじゃないかとの明治時代の新聞記事が見つかったが、この記事を読んでむしろさなさんよかったなとの想いが湧いた。
龍馬一筋に龍馬形身の着物の片袖を握りしめて未婚で通したのではなく、この鳥取藩士と10年ほども所帯を持ったとあれば、少しは救われる。
しかし、どうあれ自分が愛した女性2人をここまで縛り続けた龍馬の魅力とは何だったのか。
未練を断ち切るほどの非情を見せずに先だった龍馬に大いなる罪あり。

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