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 今日は前立腺がん全摘出手術後定期検診日。これで3回目となります。
退院直後の検査の際、院内の理容院でお世話になってから、散髪は定期検診日にやってもらうようになりました。
というのも、病人相手、それもがんセンター患者となればかなり危ない患者さんまで散髪をしているせいか、いままでで一番丁寧、慎重な床屋さんに思えて、それまでお世話になっていた先輩の散髪屋さんに不義理をしてまで通いだしました。
午前11時の予約を入れ、定期検診は午後の1時。思いがけなく用事が捗って、10時に理容を覗いてみると、お客が一人。これはやはり11時に来なくてはと、引き返す。
この1時間をどうしましょうと考えるうちに、西新町の十字路に通りかかった。
その角に、喫茶ヤナギのお店がある。しょうがないから、ここで時間を潰すかとなって店内へ。
モーニングですかとの声に、はいお願いしますと返事。出てきたプレートはかの名古屋のモーニングに匹敵するサービスの良さ。明石にもこんな店があったんだと少々嬉しくなる。
ところで、西新町のこのあたりは、お袋の親父、爺さんが床屋を開いていた所だ。
何気なく通りを眺めているうちに、いったい爺さんのお店はどの辺りだったんだろうと考えだした。
母親からは、右柳さんの近所とだけ聞いていた。
あの西新町スキャンダルの末、あえて西新町に新居を構えたと聞かされていて、幼い私がよちよち歩いている写真のバックに写る家並みが何処のあたりか。
喫茶ヤナギの婆さんに聞こうとしたが、娘さんがちょっと無理と言葉を挟む。
すると80歳ぐらいの常連さんが入店して隣の席に座った。
すぐさまもなんだと思い、10分も待っただろうか、お爺さんに、このあたりに昔床屋さんが有ったんだけれど覚えていますかと聞いてみた。
お爺さんはこの店の南隣の洋菓子屋さんだそうな。
しばらく考えている様子。そして、「有りましたよ。井筒さんと言ったかな。3人娘がいて、皆別嬪さんで、僕も小学生くらいのことで、よく覚えています。4女は和子さんといって、この人がまた美しかったが、18やそこらで肺浸潤で亡くなった。たしか、三女のみつえさんが明石ダイエーの地下でさんよう喫茶を開いていたはず。」
一瞬、声を飲んだ。まさか、こんなに簡単にその昔を知っている人に巡り合えるなんて。
思わず、僕がそのみつえの長男ですと叫んでおりました。
お爺さんの記憶のよると、交差点にある中西医院の2軒南隣あたりに散髪・井筒が有って、前の電柱に革のベルトの端を取り付けて、私の爺さんが剃刀を一心不乱に研いでいたことを覚えているそうな。
その店のやはり少し南に西に走る路地が有って数軒の借家が確かにあったそうだ。
いまにして、70年前ひとり歩んだ地に辿り着いたということか。
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 ボケ話のついでながら、こんなことも在ろうかとビックリさせられた小話。
実は、昨日決済の後始末に、振込のあった中から、それぞれに分配する大事な手続きを終えるべく、いつものように、革製の使い込んだポーチに預金通帳を入れて、向えのみどり銀行魚住支店へ向かった。
通帳記帳、振込依頼といつものように振る舞い、いざ通帳入りポーチに通帳を入れようと鞄の中を探るのに、見つからない。
えつと思いもう一度家を出てからの行動を振り返ってみる。
何度か反芻したが、どう考えてもポーチはこの銀行に来てから姿を消したとしか思えない。
ボケもここまで来たかと、情けない思いも。
しかし、このあと神戸で人と会い済まさねばならない約束も交わしている。何時までも行内をウロウロシテいることは出来ません。
窓口の女性に事情を話して、とりあえずポーチに入っていた個人の口座を凍結して貰う手続きを取った。
とって帰って、机の上に忘れてきてはいないかの確認もしたかったが、もう時間がありません。
まあ、凍結さえしておけば、心配はありません。家に置き忘れていたのなら、明日銀行へ行って謝れば事は済む。
そんな気持ちで神戸・岩屋へ出かけて行きました。
その仕事は順調に、何らとどこうることなく済ますことが出来ました。その最中はポーチ紛失も忘れておりました。
家に帰り着いたのが5:30ころ。ドアを開けるなり、弘子ちゃんが、「銀行から電話があったよ。」
ゴミ箱にこっぽり入っていたそうな。
それはおかしい、ATMの前にも記帳台の横にも、この頃はゴミ箱を置いていないんだ。今日も書き損じの伝票の始末に困って窓口の女性に捨てて下さいと頼んだくらい。そりゃおかしいなと大声を出してみても真相は分からない。

翌朝、9時を待ちかねて、歩いて30秒の銀行に出向いた。
窓口の女性から、男性行員からが急いで出てきて、ポーチのあった場所を指し示す。
「誠に申し訳ありません。実は記帳台の奥にごみ入れの口が開いておりまして、なんかの拍子にポーチがその口から、台下内臓のゴミ箱に滑り込んでおりましたんです。」とぬかす。
おまけに、そのゴミ口の前には老眼鏡たてがあって、慌てていた私には見えるはずもない。
「えらい銀行イルージョンやなと苦笑。平謝りの言葉を聞きながら、おれのボケではなかったことに一安心。
嫌がらせじゃないけれど、携帯のカメラで手品の仕掛けをパチリ。・・・やっと納得・気が済みました。
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 昨日のこと、案件決済の最後の詰めを終えて長田・東尻池交差点北西角にある手打ちうどん・葵でてんぷらうどんとおにぎりを頂いて、ああ美味しかった御馳走様と店をあとにする。食事をしながらも、明日の手順についての箇条書を点検する。車に乗ろうとしたとき、別件の打ち合わせ依頼の電話が入った。今どこと問うと、なんと2号線を長田方向に向かっているところだと。なんじゃそりゃということで、交差点向かいの 喫茶OTAFUKUで待ち合わせる。その際も確かに手順書は片手に持っておりました。
この打ち合わせは気楽なもので、別に特記しておく内容でもなく15分程度で終わった。
上着を後席に投げてあとは明石を目指す。
ところが事務所に帰ってかの手順書を探してみるに見つからない。
御叮嚀にOTAFUKUに電話を入れて、忘れものはなかったか念を押す始末。返事は勿論、ありません。
しかたがなく、もう一度手順書をプリントアウトして今日の決済に臨んだ。
電車で出かけての帰り、もしかしてと車の中を見回すがやはり見つからない。
そこで、もしかしてとサンバイザーに挟んでいるメモようのレポート用紙を引っ張りだしてみると、なんとあの手配書がありました。
十分注意しながら行動しているつもりが、なんと自分を自分で惑わすひとり手品を演じていたわけだ。
いまだに、どのタイミングでそこへ突っ込んだのか思い出せません。
この数年、うっかりを通り越してのポカをやらかすこともないではないが、その特徴は、すっぽり記憶が抜け去ってのこと。おしげ婆さんが、度々から風呂を焚いてその言い訳に「コロッと忘れてた」が口癖だったが、それを聞いた我々は、そんなことはねえだろうと一笑に付していた。ところが、それがこの頃わが身に起こりだしました。

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 全国地方有力紙がこぞって連載中の『親鸞』がいよいよ親鸞を名乗るクライマックスに差し掛かっている。
別れと旅立ちのとき(8)では最後、法然上人との面会を果たす中で、初めて親鸞と称することを法然上人に報告する。
それに法然上人応えて「その志や賞すべし。念仏往生の教は、遠く大乗の道にすすんだ天竺の世親菩薩と、浄土の思想を極めた曇鸞大師の願につきる。我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国。 そなたは、この法然をもこえて、さらに遠くへ旅立とうとしているのじゃな。」
範宴ー綽空ー善信、そして親鸞と四度目の脱皮を経て、越後への流罪となり出発する直前。
この時法然上人も四国高松への流罪が決まっていた。
状況から言えばよくぞ流罪止まりで済んだものだといえる。
両者は同じ姓・藤井と名づけられ法然は藤井元彦、親鸞は藤井善信と名乗る。
この連載開始から一日も漏らさず愛読。
大切に切り抜いていても、やはり抜け落ちたもの多数だ。
これほど注意を払ったあげくが公となれば、何事にももっと集中してかからないと迷惑をかけることになりかねない。

実際お浄土が有るとは思えないし、必ずやってくる我が断末魔が如何なるものか心中、脅え恐れているわけだけど、この世に不自然なことはたぶん起こらない。その時はその時で土佐の政婆さんのように一言呟いておさらばするつもり。「もうだれた」。

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 3連休の真ん中。今日は昼過ぎから淡路島に渡る。先日から気になっている洲本・大野の和匠・よし乃の予約が取れたからだ。
時間があったので、津名一宮のICで降りて、志筑・ウエルネスパーク五色温泉でもとなった。
これまで淡路島島内の日帰り入浴温泉は行き尽くしており、最期に残っていたのが五色温泉だった。
ウエルネスパークへの入口あたりまで来て、目に飛び込んできたのが高田屋嘉兵衛生誕地の石塔だった。
そうか、この辺が嘉兵衛さんの出身地だったのかと合点がいった。
すこし先を見ると、高田嘉兵衛記念館があるではありませんか。
こうなればやはり覗いて行かないと話にならない。
その昔、勝海舟が淡路島の台場建設差配を命じられ、この地の沖を船でとうり過ぎた時、詠んだ詩があったはずだ。
『語らわん人さえなけれ淡路島 浜辺の桜花咲にけり』
蝦夷地・クナシリの開拓とロシアとの交渉に骨を折った嘉兵衛のことを、この出身の地淡路でさえもう誰も話もしないことを憂い、嘉兵衛を偲んで詠んだ。
展示物を克明に見て歩く。ロシア人俘虜・ゴローニンの俘虜記とともに、嘉兵衛の蝦夷地・露国見聞記はその当時の幕府の外国情報に大いに貢献したことがうかがえる。
しかし、嘉兵衛(1769-1827)亡き後、弟高田屋金兵衛になった天保4年(1833)、突如廻船事業停止、凾館所払い、船欠所処分すなわち全財産没収されてしまっている。
高田屋の傭船・栄徳丸が露国との密貿易の疑いありと松前藩から訴えられたのがその発端で、幕府に審問の結果、密貿易の疑いは晴れたが、ロシア船との船標密約(旗合わせ)の事実と嘉市の手船・順通丸が異国船に米や酒を与えた新事実が判明しっためといわれている。
この没収額は当時の幕府予算の四分の一といわれるほど膨大・莫大であったそうな。
要するに、大名借りに窮した松前藩が、高田屋からの借財の踏み倒し、あるいは権益を奪うための無理難題だったに違いない。これが遅まきながらの幕府の蝦夷地開拓とあいまって、すでに利権を確立していた高田屋の排除という一点で、利害が一致したことだろう。
思いがけず先人の功績を学ばせていただいた一日になっちゃいました。
勉強の種はどこに転がっているも知れません。
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