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 かの鈴木商店の名残を留める神戸高知県人土陽会が80周年記念事業として、第6回龍馬IN神戸としての龍馬甲子園2010「龍馬さんへの手紙・一筆啓上仕候」募集と同時に進めていた事業がアンパンマン招致事業だ。
アンパンマン招致と言っても何の事やら分かりにくい中、我が土陽会ではその成否が五分五分以下と見られていたことから、まるで合言葉としての符合のような扱いでした。
ことの発端は、公文名誉会長がこの12月開院となる「神戸こども初期急病センター」に土陽会として80周年記念事業として、何か良いアイディアは無いだろうかとの提言でした。その言葉の後に、たとえばヤナセ先生のアンパンマンの絵を飾るとかと続いた。その場に居合わせた会員全員が、その言葉に喰いついて、そのアンパンマンが良いんじゃないかと意見が一致した。病におびえ、疲れている幼子の心を少しでも和ますために、受付壁面にアンパンマンの絵画、それも本物を飾れないものだろうか。全員が一斉にため息をつく。
アイディアは良いが、アンパンマンの本物、それもそこそこ大きな絵となれば一体如何程になるのか見当もつかない。ヤナセフレーベル館のHPを覗いても、そんなに大きな絵は出ていないし。
高知のヤナセ美術館に有るような絵がなんとかならないものか。頭を抱えて考えた末、ここはヤナセ先生に直訴状を差し上げて温情・郷土愛にすがるしかないとなった。
元新聞記者の小島常任理事が熱筆を振るって渾身の請願文を作成し、願いを込めて発送した。
待つこと旬日にして、ヤナセ関連会社より、快諾の返事が届いた。願い・思いは通じるんだと一堂大喜び。
それからは、受け入れに必要な要件を整えることに腐心。身の丈以上の募金を含めての難条件を克服すべく、改めて会の団結と協力の絆を確かめ合う事と相成りました。
その結果、今日の理事会で麻野会長の強力指導を頂いて、全ての条件をクリア―した。
そしてもうアンパンマン招致の内容を公表しても良いんじゃないかとのお許しが出た。

かくして、11月7日神戸市中央区脇浜海岸通り1丁目4番11(HAT神戸)で神戸こども初期急病センターの竣工式が執り行われ、同時にアンパンマン絵の除幕が行われます。
土陽会の会員も出来るだけ多数参会する予定。
この絵がこのセンターの象徴となって、子供たちにアンパンマン病院と呼ばれるようになることは必定で、郷土高知の誇るヤナセ芸術と神戸の地を結びつけたこの事業は永く語り継がれる事になります。
まさに瓢箪から駒、夢叶ってアンパンマンが神戸の子供たちを励ましにやって来る。
anpnmn.jpg
































                                    【神戸こども初期急病センターの概略】
開設場所   神戸市中央区脇浜海岸通1丁目4番11 (HAT神戸内)
規模      地上2階  鉄筋コンクリート造
敷地面積   2,500㎡   駐車スペース 約40台
設備      診察室 回復室 処置室 トリア―ジ室 感染症室 レントゲン室 検査室 薬剤室等

診療科目   小児科
開設者     神戸市
運営主体   神戸市小児救急医療事業団
診察時間及び受け入れ患者数・・・夜間・休日365日の初期診療
受付想定患者数・・年間40,000人
特色    
緊急度を判断し、治療の優先度を決定するトリア―ジの実施  
一般患者と感染症患者の接触を防ぐための患者動線の配慮
小児救急についての啓発事業、電話相談事業などの子育て支援事業の実施
神戸大学こども急性疾患研究所併設
問合せ先   神戸市保険福祉局健康部地域保健課  ☎ 078-322-5246
神戸市小児救急医療事業団        ☎ 078-862-6075




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 最近、10年前の書籍を読むことが面白くなってきた。
フタバ図書は西二見のあのダイエー・ハイパーマートがその後、カルフールとなり、今はイオングループがメインでその中の、新刊及び中古書の買取販売を兼ねている大箱書店だ。
そのコーナーの一つが105円均一。ここには有名著者のハードカバーがズラリ並んでいて、それぞれの分野毎に分類整理されている。
何故か堺屋と大前研一ものが多くて、殆どが読まれた形跡もなく、サラッピンもいいとこ。
そんなことで10冊ばかり買い込んだ中の一冊が日垣隆「日本につける薬」。
この辛口アウトサイダー本は意外に面白くて一気に読んでしまった。
特に記憶に残ったのが1999年4月に書かれた「脳死と脳生」というエッセイだ。
脳死については2010.7.17の臓器移植法施行をもって、喧しく報道され、日本の医療ガラパゴスの一角が崩れた観がある。その一方、やはりあまりにも日本人と思われる美談仕立てで本人生前同意もない中、家族が臓器提供を脳死早々に申し出る事態も起こっている。
既に世界では臓器の違法・ヤミ売買が横行していて、最貧国の若者の臓器が資源化している惨状もある中、この日本で今後臓器ビジネスがどう展開されるのか心配。

そんな感想を持つ一方、このエッセイが取り上げる脳生ということがきに掛かった。
脳生とは、脳死の真逆で、この状態はALS(筋委縮性側索硬化症)という超難病に見られる状態で、首から下は脳死患者と全く同じ。だが意識も思考も感覚も発病以前と同じで聡明で有り続ける。
人工呼吸器の発達で延命が可能となり、パソコンによるまぶたや肛門を使っての意志伝達も可能となった
其れが1980年代半ばで、脳が生きている限り、五体不満足でも十分なコミュニケーションが図れるまでになったいる。
この事を突き詰めれば、自己とは何ぞや、人間にとって脳とは何ぞやの厳しい命題を解くカギが有るような予感もするんだが。


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 この4月に計画していたブラジル旅行が諸般の事情で、中止ではなく延期となっておりました。
其れが、この2月ほど前から、いよいよ決行しようとの動き。
内心は、どなたかのご都合が悪くなって中止となれば等、我々からは前回の中止が、当方の事情からだった訳でとても言い出せない。
一行は我々夫婦と男性3人。CURITIBAの中村氏からも日程の打ち合わせが煮詰まっている。
かくなればもはや逃れられないとの覚悟を固める段階を通り過ごしていると納得。
今日の打ち合わせで最終決行の覚悟を決めた次第。
ほかの3人はもうすでに心はリオの海岸ぐらいには飛んでいる様子。
一方、私はやっとスーツケースの荷づくりを考え始めた程度。
この意識の違いが少々心配といえば心配だ。
皆さん海外には行きなれた方々、今回は迷子にならずに付いて行けばいいのかも。
日程は10月31日23:20に関空をエミレーッ航空で出発。ドバイ経由でサンパウロが11月1日19:30.
クリチバーイグアナーリオと回って、11月10日16:50関空帰着の予定だ。
この間7営業日留守にすることになります。
重要な用件は携帯にかけて頂ければブラジルまで転送としていますから宜しく。
それほどの要件では無ければ7日以降、あるいは30日までにご連絡下されば幸甚です。
69歳直前のブラジル旅行如何なものになるのか、また詳しく報告致します。
取り敢えず、10月31日から11月11日までブログお休みとさせていただきます。

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 前に沖縄基地の地主が如何に国を相手に暴利をむさぼっているかをレポートした。
多分、元の土地を収用された地主の手から、転々と転がって全く沖縄の地に縁もゆかりもない人・企業の所有となっている土地も多いんじゃないかな。
そんな中、これぞ究極といえる収益物件が尖閣諸島と分かった。
「尖閣諸島は我が国固有の領土」と言われているが、実はこの島にはオーナーがいて、国が賃借料を払っている「私有地」であります。けっして国有地ではないのです。
沖縄・石垣島の北東に位置し、魚釣島・南小島・北小島・久場島・大正島の5島で構成される尖閣諸島。
広さと言えば全部で河口湖ほど。69年国連の調査で地下資源が確認されるまでは、全く注目されることはなかった。沖縄県在の郷土史家によると「もともと尖閣諸島を開拓したのは福岡県八女市出身の実業家・古賀辰四郎氏。古賀氏は明治初期の1870年代後半、八女茶の販路拡大のために沖縄に進出。高級ボタンの材料になる夜光貝に目を付け、殻を海外に輸出して莫大な富を得た。その資金を元手に東シナ海の島々の開拓に乗り出し、1896年(明治28年)、政府から尖閣諸島を無償貸与され、カツオ節工場やアホウドリの羽の加工場を設け、一時は280人余りの島民が暮らしていた。」
島はその後、1932年(昭和7年)に辰四郎氏の長男、善次氏に当時の価格で15000円(現価2500万円相当)で払い下げられた。(大正島を除く) その後戦時の物資統制による燃料不足などで事業は中止、1940年代前半に無人島に。70年代に入って間もなく、古賀家と親交のあった埼玉県の結婚式場経営者A氏に約4600万円でっ譲渡されている。
国がA氏と賃借契約を結んだのが02年4月で、賃借権者は総務省。年間の賃料は南小島が188万円、魚釣島が2112万円、北小島が150万円で、〆て計2450万円。これまでざっと2億円以上の金を国は払ってきた。30年程は無収入だったが、これなら持っていた甲斐が有ったと言うもの。
今や年50%の超優良物件に化けた。そのうえ国際問題の地となれば、国もほぼ永久に明け渡すとは云って来ないだろう。こんな物件ほかにありますか。


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 長次郎2度目の出府の際、富士川を渡る時、雨後の逆流で舟が転覆し持物を全て失って裸同然で土佐藩砂村下屋敷に到着した。この砂村には土佐藩抱工刀鍛冶左行秀が邸内に鍛練場を造り刀鍛冶、鉄砲鍛冶として働いていた。長次郎はこの行秀を頼りにして出府した。
高知出発の時、岩崎弥太郎がその志を誉めて刀を一振り、長次郎にお贈ったが、それも富士川で流してしまい丸腰であった。
行秀には子供が無く、長次郎を我が子のように可愛がったと伝えられている。
その行秀が長次郎に差料を造ってやったのではないか。
それは長次郎の写真を見れば分かる。実に長大な刀を指している。まるで刀が主人のような写真だ。
見れば、長次郎の顔よりも長い白色の柄。鞘も写真の枠をはみ出すほど長い。
左行秀の鍛えた刀の中に、写真のような反りが少ないものが少なくない。
土佐藩はこの砂村藩邸で洋式小銃を造っていた。
藩邸は6000坪以上あり、広い鍛練場を建て、輸入した小銃をモデルに、和製洋式銃を生産していて、その工場長が行秀であったわけだ。
工場で働いていた若者は50人位いたそうだ。
裸同然で長次郎が転がり込んできても、問題は無かったのであろう。
長次郎が見つけたこの居場所から、砲術を縁として海舟との出会いが生まれている。
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