書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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高知新聞社会部冨尾記者から、かねてよりの手紙大募集記事を明日掲載するので、内容の最終確認をしたいとのTELあり。
誠に、待ちかねておりました。大阪支社の担当記者には県人会で会うたびに記事にしてよとお願いしておりましたが、なにやら気が乗らない様子に、大阪からの記事掲載はほぼあきらめておりました。
高知新聞さんからの最初の取材は、明石大橋開通前夜の明石・神戸・淡路・徳島・高知を巡る思惑と、効果を記した前夜特集に、明石のおんちゃんとして受けたのが最初だった。
特に、全国最初の人物検定・龍馬検定神戸編実施の際は、その予告から結果発表まで、北川雄作記者の尽力をいただき、大々的に取り上げてもらったもんです。
さて、本日の記事の効果がどう出るか、期待と不安が半々と申し上げておきましょう。
もうひとつ、嬉しいことは、高知・須崎の従姉の娘が東津野中学の教員をしており、校長先生に一度相談してみると云ってくれているとのTELもあり、故郷は有難いものと思わず頭を下げた。
誠に、待ちかねておりました。大阪支社の担当記者には県人会で会うたびに記事にしてよとお願いしておりましたが、なにやら気が乗らない様子に、大阪からの記事掲載はほぼあきらめておりました。
高知新聞さんからの最初の取材は、明石大橋開通前夜の明石・神戸・淡路・徳島・高知を巡る思惑と、効果を記した前夜特集に、明石のおんちゃんとして受けたのが最初だった。
特に、全国最初の人物検定・龍馬検定神戸編実施の際は、その予告から結果発表まで、北川雄作記者の尽力をいただき、大々的に取り上げてもらったもんです。
さて、本日の記事の効果がどう出るか、期待と不安が半々と申し上げておきましょう。
もうひとつ、嬉しいことは、高知・須崎の従姉の娘が東津野中学の教員をしており、校長先生に一度相談してみると云ってくれているとのTELもあり、故郷は有難いものと思わず頭を下げた。
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久しぶりの手紙到来。まるで自分に貰ったように嬉しいのは何故だろうか。
さっそく開封。はるばる静岡市から、今年新聞記者として社会人デビユーする木村裕太さん。
彼は小学6年からの龍馬フアンで、まずは形から入って行ったとのこと。大きな音で放庇、ところ構わぬ立ちションとはちと行き過ぎだけれど、確りと龍馬の指し示す人生の目的を持つべしという本質は捉えて見事だ。
静岡と言えば、大政奉還後大徳川400万石が静岡70万石に閉じ込められ、それでも多くの家臣団が移り住んだ地で、慶喜公も蟄居した。
その地からの手紙ということで、龍馬さんの国民的な人気の程が偲ばれる次第。
内容はさっそく龍馬ブログにUPしますが、手紙が来ないと嘆く私を勇気付ける貴重な一通となりました。
それにしても、未だ数少ない手紙ながら、頂いたどれもが一通が100,1000通に値するほど中身の濃い、熱い内容に満ちていることに感服いたしております。
龍馬ブログ 龍馬さんへの手紙 //ryomakobe.tosalog.com/ です。
さっそく開封。はるばる静岡市から、今年新聞記者として社会人デビユーする木村裕太さん。
彼は小学6年からの龍馬フアンで、まずは形から入って行ったとのこと。大きな音で放庇、ところ構わぬ立ちションとはちと行き過ぎだけれど、確りと龍馬の指し示す人生の目的を持つべしという本質は捉えて見事だ。
静岡と言えば、大政奉還後大徳川400万石が静岡70万石に閉じ込められ、それでも多くの家臣団が移り住んだ地で、慶喜公も蟄居した。
その地からの手紙ということで、龍馬さんの国民的な人気の程が偲ばれる次第。
内容はさっそく龍馬ブログにUPしますが、手紙が来ないと嘆く私を勇気付ける貴重な一通となりました。
それにしても、未だ数少ない手紙ながら、頂いたどれもが一通が100,1000通に値するほど中身の濃い、熱い内容に満ちていることに感服いたしております。
龍馬ブログ 龍馬さんへの手紙 //ryomakobe.tosalog.com/ です。
県商七星会の例会にお邪魔した。それもこれも、シニアー世代の龍馬レターを頂きたい一心だ。
前回呼ばれて龍馬さんを語ったことが、今回の龍馬さんへの手紙企画に動機となった。
お話のテーマを聞かれて「龍馬こもごも」と申し上げていたが、結果は「龍馬もごもご」となってしまった。
会員の中に元三菱マンがおられ、その一声が、NHK「龍馬伝」の岩崎弥太郎が汚くて仕方がないだった。
確かに、劇中の香皮演じる岩崎弥太郎は地下浪人の風態とは云いながら、思いっきり汚れであります。
また、第3話は全くの作り話にかわらんというのが皆さんの感想だ。確かに皆さん龍馬伝を見てござる。
もごもごと龍馬最後の帰郷の下りを簡単にお話したが、皆さんの鋭い質問に圧倒される。
要するに、何故日本人はかくも龍馬好きになったのかと問われて返事に窮する。
写真でお分かりのように、一言居士の面魂。なお日本の将来を憂いて話は尽きない。
ただただ、お手紙頂くようにお願いするばかり。

前回呼ばれて龍馬さんを語ったことが、今回の龍馬さんへの手紙企画に動機となった。
お話のテーマを聞かれて「龍馬こもごも」と申し上げていたが、結果は「龍馬もごもご」となってしまった。
会員の中に元三菱マンがおられ、その一声が、NHK「龍馬伝」の岩崎弥太郎が汚くて仕方がないだった。
確かに、劇中の香皮演じる岩崎弥太郎は地下浪人の風態とは云いながら、思いっきり汚れであります。
また、第3話は全くの作り話にかわらんというのが皆さんの感想だ。確かに皆さん龍馬伝を見てござる。
もごもごと龍馬最後の帰郷の下りを簡単にお話したが、皆さんの鋭い質問に圧倒される。
要するに、何故日本人はかくも龍馬好きになったのかと問われて返事に窮する。
写真でお分かりのように、一言居士の面魂。なお日本の将来を憂いて話は尽きない。
ただただ、お手紙頂くようにお願いするばかり。
土佐藩船手方、大廻船御船頭であった中城助蔵(直守)の手記「年々随筆」に
「九月二十五日(ママ)早朝、車輪船沖遠ク来而碇ヲ下ス。
午時ニあこめ渡合二入面碇泊。安芸船之由。」と記す。彼自身まさかこの船に龍馬が乗っていようとは夢にも思わなかったろうし、龍馬一行が彼を訪ねて来よう等とは思いもよらぬことだったに違いない。
震天丸が沖の礁(はえ)で潮待ちをしたのは、龍馬の指図だったかも知れない。船長たちは、浦戸へ入港するのは
初めてであったが、龍馬は種崎の地続きの仁井田浜で、徳弘孝蔵指導のもとに砲術の稽古に励んだことがあった。沖の礁は砲撃の目標でした。
龍馬はこの港の岩礁、潮流、澪筋などよく知っていた。その上、彼は勝海舟の神戸海軍練所で航海術、観天測儀観潮術を学んだ専門家でであったし、航海の経験も豊富だった。
前回イカルス号事件の談判が須崎で終わった時、龍馬は高知城下へは入らず、佐々木三四郎とともに夕顔で足摺回りで長崎へ帰った。
今回の航海は、足摺岬を東へ回って来る航路を取った。
この年の正月二十日夜、龍馬が高知の姪春猪に書いた手紙の末尾には、次のように書かれてあって、自身の運命を暗示するような文書に思われる。
私ももしもしも死ななんだりや
四五年のうちにハかへるかも
露の命ハはかられず
先々御ぶじでをくらしよ
歴史家 内川清輔氏の手書きの地図
「九月二十五日(ママ)早朝、車輪船沖遠ク来而碇ヲ下ス。
午時ニあこめ渡合二入面碇泊。安芸船之由。」と記す。彼自身まさかこの船に龍馬が乗っていようとは夢にも思わなかったろうし、龍馬一行が彼を訪ねて来よう等とは思いもよらぬことだったに違いない。
震天丸が沖の礁(はえ)で潮待ちをしたのは、龍馬の指図だったかも知れない。船長たちは、浦戸へ入港するのは
初めてであったが、龍馬は種崎の地続きの仁井田浜で、徳弘孝蔵指導のもとに砲術の稽古に励んだことがあった。沖の礁は砲撃の目標でした。
龍馬はこの港の岩礁、潮流、澪筋などよく知っていた。その上、彼は勝海舟の神戸海軍練所で航海術、観天測儀観潮術を学んだ専門家でであったし、航海の経験も豊富だった。
前回イカルス号事件の談判が須崎で終わった時、龍馬は高知城下へは入らず、佐々木三四郎とともに夕顔で足摺回りで長崎へ帰った。
今回の航海は、足摺岬を東へ回って来る航路を取った。
この年の正月二十日夜、龍馬が高知の姪春猪に書いた手紙の末尾には、次のように書かれてあって、自身の運命を暗示するような文書に思われる。
私ももしもしも死ななんだりや
四五年のうちにハかへるかも
露の命ハはかられず
先々御ぶじでをくらしよ
歴史家 内川清輔氏の手書きの地図
龍馬が帰国した際、仕置役 後藤象二郎は京都へ行っていて留守だった。
武力討幕論の大目付、乾退助(のち板垣)はその過激論のゆえ容堂によって軍政の責任者から一時下ろされていた。のちに板垣が自由民権運動を起こす兆しは欠片もない。
家老や中老、重役の中には頑固な保守派、佐幕派が座を占めていた。
上士勤皇派はいても数は少なかった。
武市瑞山を喪った土佐勤皇党も一頃の勢いを失っている。
この船に同船していた岡内俊太郎は佐々木三四郎の密命を帯び、藩庁への長崎の景況報告を表向きの理由とし、実は龍馬の活動を助けるため帰国したものです。
その名前はあまり知られていないが、この龍馬帰国に際し、龍馬を助けての活躍は実に見事というしかありません。龍馬の年少の同志と云える。 (山田一郎著 坂本龍馬ー隠された肖像ーより)
武力討幕論の大目付、乾退助(のち板垣)はその過激論のゆえ容堂によって軍政の責任者から一時下ろされていた。のちに板垣が自由民権運動を起こす兆しは欠片もない。
家老や中老、重役の中には頑固な保守派、佐幕派が座を占めていた。
上士勤皇派はいても数は少なかった。
武市瑞山を喪った土佐勤皇党も一頃の勢いを失っている。
この船に同船していた岡内俊太郎は佐々木三四郎の密命を帯び、藩庁への長崎の景況報告を表向きの理由とし、実は龍馬の活動を助けるため帰国したものです。
その名前はあまり知られていないが、この龍馬帰国に際し、龍馬を助けての活躍は実に見事というしかありません。龍馬の年少の同志と云える。 (山田一郎著 坂本龍馬ー隠された肖像ーより)
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ふるさと高知と龍馬をこよなく愛し、元気に活動中。
永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)
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