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 高知県津野町の東津野中学に勤める姪っ子からの封書到着。
やれ嬉、はや手紙が届いたかと喜び勇さんで開封。
中には、梼原の維新の門・船戸絵図源流版・龍馬脱藩の道を辿る・ゆすはら維新の道社中等のパンフレっトがドッサリ入っていました。
おまけに、1月3日の高知新聞。記事として龍馬の銅像前で年賀状朗読。県立坂本龍馬記念館が昨年「龍馬宛」の年賀状を販売。464通が同館に届いたものとある。記念館もなかなか龍馬に似て商売がうまいがか。
東京では龍馬ウオーク第一回が開かれて1400人が参加したとある。我が龍馬ウオークは7年前のこと。
人数が違うぞね。
姪っ子の手紙が入っていて、校長先生に相談の結果、ポスターを行内に掲示して、手紙の投稿を待ちゆうところとあった。
けれど、どうも津野町では「龍馬より寅太郎(吉村寅太郎)」が人気で、郷土の偉人として尊敬をあつめているとのこと。驚いたのは今も、中学の卒業旅行は東吉野村で鷲谷口の寅太郎の墓参が目的になっていること。
また、大賞の賞品が龍馬脱藩の道ツアーとあるが、これだと地元を回るだけで面白くないらしい。
早速、東津野中に限り、大阪・ユニバーサルスタジオツアーとしますと連絡いたしました。

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 夜10時、よみうり神戸総局から先日取材した『龍馬甲子園2010・龍馬さんへの手紙・一筆啓上仕候』の記事を明日掲載しますが、数点確認事項ありとのこと。
喜んで、こまごまとお話を交わした。
ところで、明石のよみうりにものりますかと聴くと、もちろんとの返事だ。
明日は朝一番駅の売店によみうりを買いに行かねば.
Scan10002A.jpg


































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 今日浦臼小学校教頭先生から電話をいただいた。
「龍馬甲子園実行事務局の津野さんですか。あなたが出した浦臼小学校あての手紙応募いらいの封書が、宛名間違いで羅臼小学校に届いてしまい、内容からして浦臼小学校に違いないとなって、態々当校に転送されてきましたよ。」
瞬間顔から火が出る思い。済みません誠に済みませんと叫びながら、しかし確り手紙応募を改めて依頼しておりました。
親切に浦臼小に転送して下さった羅臼小の先生、また以後は間違えないでと声を掛けて下すった教頭先生。
本当にありがとうございます。
この親切な心配りは龍馬さんの名前が有ってこその御好意に違いありません。
どうやら、龍馬さんの大きな手の平で、もっともっと踊りまくれとの激励にも聞こえてきます。

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 龍馬ブームもここまで来たかと感服。お堅いことで知られる日本銀行。その高知支店のホームページに「坂本龍馬とおかね」と題しての一コーナーが設けられているのを発見した。
息子の同級生が日銀勤めで、大変なエリートなんだけれど、日常どんな業務をしているのか尋ねたところ、まだ就職して間もないころだったが、市場調査といって、一般小売店での物の値段を調べて回るのが仕事ですとの返事。毎日市場に出向き豆腐の値段から調べているそうだ。
誠に御苦労なことで、仕事に格別不満・疑問を抱いている様子もなかった。
無事勤めあげさえすれば、順調安穏な人生を過ごせること間違いありません。
そんな、一般にはどんな仕事をしているのか判らない日銀が、くだけたHPのコーナーを設けているとは、誠に意外。それも高知支店限定らしくて、是非とも、このHPを覗いてやって欲しいものです。( www3.boj.or.jp/kochi/)

日銀試算によると、龍馬さんが脱藩に際し田中良助から拝借した御金は2両で今の価値は 40万円也。
 勝海舟の命により、海軍塾開設の一部資金として松平春嶽さんから調達した五〇〇〇両は 11億円。    
薩長連盟のきっかけとなった龍馬・近藤長次郎が斡旋した長州の武器購入額は 169億円。
 いろは丸の賠償金83,526両(のちに7万両に減額)は 164億円。
 最後の帰郷時土佐藩に持ち込んだ1000丁のライフル代は 37億円 となるそうです。

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 先にも述べた龍馬の頼もしい協力者であった岡内俊太郎の書簡によると『浦戸湾に着し、藩論の成り行き聞き合わせ見候ところ、いよいよニ派に分かれ、双方ともなかなか激烈にて、かへって私ども御国元出の時より烈しく、同志の方々もなかなか墳発いたし居り、また俗論も撓まず候有様にて・・・』
こうゆう状況だったので龍馬たちを「旅人となして種崎浦に隠し置き、それより種々龍馬らと謀議」した。
岡内の手紙から判断すると、彼は高知城下へ船で入り、情報を集めた後、また種崎の龍馬のところへ取って返したものと思われる。岡内は下横目とは云え、大目付佐々木三四郎の随員に取りたてられ、表向き「長崎景況」報告のため帰国したのであるから、城下への出入りは自由だったであろうと思われる。龍馬は岡内の才能を充分に発揮させている。
しかし、渡辺弥久馬と龍馬を会談させ、ライフル銃引き取りの交渉をするという要務を帯びていたから、行動は慎重でなければならなかった。彼は単なる下横目ではなく、現在で云う公安、治安情報の収集に優れた才能を持っていたようである。震天丸の船内が、中城家かで龍馬たちは謀議をした結果、木戸準一郎(孝允)から龍馬へ来た手紙と、龍馬が渡辺弥久馬に宛てて書いた手紙を「一対となし」、岡内が渡辺に届けに行くことに決めた。
(山田一郎・・・)

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