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突然ですがお寺参りの話。平成十六年十一月六日、現国会議員高知1区選出の福井照議員の父君・福井潤氏に高知の物件を紹介するから、一度見においでと誘われたのがきっかけで、高知へ行こうとなった。そのころ長男の第2子、次男の第1子を無事授かるようにとの蔭参りをこの際しようとなって、ついで参りはどうかとの声もあったけれど、本当は蔭参りが最優先の心持であったことと、どうせなら古里土佐も含めて回れる四国霊場八十八ヶ所順拝をと発願し、徳島第一番札所霊山寺へとむかった。それと同時期に西国三十三霊場にもお参りしようとなったのは、それまで度々西国霊場のすぐそばまで行きながら、興味・関心が薄かったばかりにお参りのチャンスを逃していたのを悔んでのこと。それ以来、仕事に託けてはお参りを重ねてほぼ四年が経った。結果、八十八ヶ所は愛媛県地域が手つかずで、残り40ヶ寺。三十三ヶ所は14ヶ寺しか訪ねていない。
昨日仕事も一段落したことから、今一番きがかりな三男の第1子を授かるようお参りしようとなってしまった。
こうなれば、さっそくかねてより弘子ちゃんが、ここは先に行っとかないとが口癖だった天橋立・成相寺と舞鶴・松尾寺へと出発・緊急スクランブルはいつものこと。たいがいの旅装は車のトランクに放り込んであります。
神戸北線を北上、神戸三田経由で舞鶴若狭自動車道をかっとばす。まあ車の少ないこと。それでも西紀のPAは相変わらず人気で、レストランも満杯で3組待たされた。女店員さんの心地良い案内でそれも気にならず、食事は猪ハンバーグときた。御約束の特大黒豆パンも買い込んで一路舞鶴へ。松尾寺へは舞鶴東ICを降りるところが、話に夢中で通過してしまった。つぎのICまでは15キロの表示。これはしまったしくじったと考える間もなく、対面交通をいいことに、戻り車線にUターンしておりました。弘子ちゃんからは、またそんなルール違反をすると大ブーイング。出口ETC表示が割引1250円となっていたのはどういうことなんだろう。それにしても安すぎる。

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よさこいを観て、道後温泉まで走って一泊、翌日とって返して、徳島に入る。なんと忙しい弾丸ツアーであることよ。四国の高速道路を走り回ってまいりました。それにしても、渋滞という風景は見受けませんでした。石鎚山と瀬戸内の海を左右に見てのドライブは最高です。このツァーは食事が自由食となっていたのも、むしろ幸い。高知では帯屋町の司、道後では坊ちゃん湯前のおいでん家、徳島では本町の町家ダイニング・銀次郎と地元の名店を訊ね歩いた。
肝心の阿波踊りは、私も5回目となります。明石からは車を飛ばしても90分で辿り着く。これも明石大橋のお蔭といえますが、母親が踊りが好きで、この阿波踊りにも、町内会の連に参加して、嬉々として出かけていたことを思い出します。そのころはフェリーがものすごく混雑して、往きも帰りも大変でした。

街を歩く踊り子のお姉さんにおねだりして、写真をパチリ。どのお姉さんも親切に対応してくれる。
ところで、今年は市役所前演舞場での見物だったけど、毎年の力のこもった「ぞめき」に勢いが無い。
有名連が企業スポンサーとコラボしているのは良いが、連としてボヤケテしまって、肝心の踊りとお囃子の印象が薄くなっている。見せ所の女踊りの集団パフォーマンスが少なくなっている等、今までに無い変調を感じながらの見物となりました。こう感じたのが私だけなら問題ありませんが。

帰りは大阪・梅田までということで、7:30のは見物を切り上げて帰途につく。そこで一計を案じて、淡路SAでツアーを離脱。地元のタクシーをSA従業員通用道路に呼んで、たこフェリーまではほんの10分とはかからない。明石海峡を15分で渡りきれば、ざっと90分は早い帰宅となりました。c8ad2983.JPGd27891e0.JPGe360ed7e.JPG

 

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その昔、正調が全盛の頃。その代表格が高知市役所連でありました。トラックの荷台に御囃子方を満載して、そのあとを踊り子隊が踊り続くわけですが、衣装も、阿波踊りを意識した、和装が中心でした。
それが、北海道・札幌でソーランよさこいが始まった頃から、音曲は大音量のPAとスピーカーを装備して、なおかつ一場の舞台と見紛う設えをほどこした地方車へと変化し、踊り子はこれまた、工夫の限りをつくした、艶やかな衣装を纏い、強烈なロックのリズムにのって踊り狂うように変化してまいりました。特に大漁旗にみたてた大旗を振りかざすのは、むしろソーランからの影響といえましょう。
今回の衣装を見ましても、一時の無国籍・エスニック風から、それぞれの方向性をもったものに変化しているように見受けました。特に地元連は、4人一組とか隊列縦隊・横隊単位での集合図柄を意識したものが多くなっております。とくに上町よさこい鳴子連の衣装は私の好みともうしあげておきます。
音曲に関しては、ロック調一色でどれと言って印象に残るものがありません。傾向としては、和太鼓を多用した、地方車上でのパフォーマンスはそれなりの効果をみせておりました。一時サンバ調が流行ったことをおもいだして、次はどう変化していくのかと考えますと、もっと音楽としての多様性がでてきても良いんではとかんがえます。もっと鮮明・重厚な音。クラッシック・JAZZ・フュ―ジョン・和調・マーチ風等、もっと音楽性をたかめた音曲の登場が望まれます。それにしても、2列道路を分離帯を挟んだ距離で、地元連と全国大会出場の他県連が同時に練る光景は絢爛にして豪華の一語に尽きましょう。a4ad9e47.JPG863da83b.JPG

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1b87bf78.JPG04e1a947.JPGこの12・13日両日で、四国2大祭りを駆け巡るとのタイトルに惹かれて思わず申し込んでしまったお祭り巡りに出掛けて。神戸高知県人土陽会の龍馬IN神戸のと言っておきながら、お恥ずかしいことに土佐の高知の「よさこい祭り」をじっくり見たことがありません。実は23年前、次弟の正志のお骨を、新庄の山墓から、明石の長久寺へ移葬するため須崎に帰ったのが、ちょうどよさこい祭りの3日目にあたり、それもかなりの雨の中、街を練り歩く連を5-6観ただけで、今回のように競演場でみたことがないのです。奇しくも、その23年前、高知から徳島へ山越えしている最中に、ラジオから、日航機御巣鷹山墜落の一報を聞き、徳島の阿波踊り会場に着いた時には、その事実が確定され、われわれもほんと落ち着かない胸騒ぎを覚えたものでした。
あれから、あっという間に年月が過ぎ。今回でよさこいも第55回の節目を迎え、全国大会も第10回となることから、是非とも現況視察の気分となった訳です。
我々が今年から、総会で必ず正調よさこい踊りをマスターしようと呼びかけ、全員参加の総踊りを催したところ、意外と皆さんには好評で、これなら2-3年で、会員全員がよさこいを踊れるようになると喜んでいるレベルで、今のよさこいを見ると、正調との違いに腰を抜かしかねない変化をとげているのが分かるでしょう。・・進歩と言わず、変化と言ったのには私なりに感じた訳があるのです。

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ツアー最終日R282を八幡平へと出発。長嶺に至りR341へ。熊沢川を遡り、坂平に至ると、そこからは温泉郷のメッカ。東トロコ温泉・長者の湯・トロコ温泉。そして八幡平への八幡平アスピーデライン入口の案内を通り過ぎる。大場谷地を通り抜ければかの玉川温泉郷である。効能あふれる癒しの温泉と自称するのも無理からぬ湯治場として、予約の取りにくい温泉で有名な玉川温泉。泉質をみると酸性ー含二酸化炭素・鉄・アルミニウムー塩化泉とある。ph1.05と極めて酸性が強く、遊離塩酸を多く含有し、温泉が98°の熱水で無色透明、硫化水素臭があります。おまけに一か所からの温泉湧出量(9,000リットル/分)は日本一。各種細菌類に協力な殺菌力を発揮するとか。温泉水や湯華、土砂などに微量の放射能を含有することから、特別天然記念物「北投石」を生成、産出する。長期間にわたる湯治が効果を現すことからと、入浴にあたりこまごまとした指導が必要なことから、ことさら浴治と別称している。とやけに詳しく記したのは、必ず再訪するぞとの決意の表れと思って下さい。世俗の戦に破れた身を癒し、隠れ住むのにこれ以上の場所は無い。ただこの酸性の湯のため、宝仙湖(玉川ダム)に注ぐ川には魚の姿が無い。玉川毒水と田沢湖の関係などこの地の温泉にまつわる光と影を感じる。
玉川ダムから道をR105へととり、バスは一路角館を目指す。
桧木内川桜並木堤に沿って設えられた大駐車場には、観光バスが溢れんばかり。町をあげての恒例の桜まつりの真っ最中。しかし、今年の異常天候により、ここも新緑が瑞々しい。
786a5654.jpg桜はもうとっくに諦めて、この街を究めようと大通りに繰り出す。連休の最中、行き交う人々の波を掻き分けるようにして進んでゆく。この街の特徴の一つに、町の中央を幅25mの大路が武家町と商人町を分断していることです。北側に位置する武家超は、深い木立が覆い、一方、南の証人町は家並みで埋め尽くされている。町が造られた元和6年には、武家屋敷80戸、商家350戸を数え、秋田藩の支藩としては最も大きな城下町を形成していたという。その武家屋敷の代表が青柳家であります。そしてこの伝統的建造物保存地区の風情はまさに藤沢周平書くところの「たそがれ清兵衛」あるいは「蝉しぐれ」の世界に私には思える。その町の角角にシダレサクラが実に多い。ほんの数本はまだなごりの花を付けていて、一度は諦めたものの、やはり満開であればどれほど見事かとまたまた悔やむことしきりとなった。このシダレはエドヒガンがシダレとなったものだそうで、明暦2年(1656年)角館の所預かりとなった佐竹義隣(よしちか)の嫡男義明(よしはる)の妻が、お輿入れの際に生家の京都三条西家から持ってきた桜の苗木3本が植え継がれて200本にまで増えたそうな。s-CIMG7494.jpgあっという間の散策を終えて河原に戻ると角館町観光大使の襷をかけたおねいさ
























んが着物姿で熱唱中。なかなかの美形で思わず駆け寄ってしまった。名前を小桜舞子さん。ああ天の恵みか、憐れみか。・・・あとは小町じゃなかった「こまち」に乗り込んで帰路を急ぐばかりとなりました。

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