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幸い我々が本日の一番客であったらしい。本来なら定期船の10時を待たねばならないところ、一番バスの団体の穴埋めに2番船最前列の座席を確保できた。
宿を出るときから、辺りは朝霧が立ち込め、ほとんど視界が遮られる程。そんな中、船は静かに保津川へとこぎ出した。定員23名に船頭さんが3人という組み合わせ。この船頭さんと乗客との掛け合いがなかなかのもので、船頭さんも多い日で3回下ることもあるそうで、退屈を紛らわすためにも客をいじってくる。
こちらも負けずに、下った後船頭さんはどうして船着場に戻ってくるのかと質問。嵐山渡月橋あたりで川船3隻を乗せたトラックは見かけるが、さて船頭さんはどうするのか知りたかった。JRで亀岡駅まで帰りますとの返事。120名の船頭さんが毎日でているとか。船会社と船頭さんで船賃を応分にわけることまで聞きだした。
いつの間にか、あれほどの霧が晴れて、上空は一辺の雲もない青空が広がる下、終着嵐山まで1時間40分
実は、3・4日と携帯圏外の隠れ里に一泊しており、ご迷惑・ご心配をかけることになりました。御免なさい。
香嵐渓を狂乱渓と書いたごとく、モミジより、人々の狂乱ぶりの方が印象に残って、消化不良となっていた今年の紅葉狩りを完結させるべく、急遽、保津川下り・トロッコ列車を計画した次第です。
嵐山・渡月橋の辺りまでは、時々迷い込んだことはありましたが、この保津川下りの終点・船着場としての嵐山を意識したことはありませんでした。例によって弘子ちゃんの暗示・マジックに操られ、まだ紅葉まにあうかしらと、もういく気にされちゃった。明日の泊とて、京都市内にはろくな宿が残っている筈がない。先般から、天下の名所を訪ねる際の秘訣は、朝一番にその名所に行っていること。その学習を生かすために、保津川下り乗船場に朝一に行ける宿を探す。温泉場としては、瑠璃渓温泉・篭坊温泉などがヒットしたが、たまたま湯の花温泉を三十三所巡りで穴太寺詣りの際、亀岡ICで看板を見て覚えていた。
ただ部屋の空いていることだけを条件に探した結果、すみや亀峰庵という鄙びた感じの旅館に予約を取ることができました。
3日、お得意先のN商事のN社長に、私がお世話したテナントさんが、賃料交渉に来るので傍聴せよといいついかっていた仕事を2時過ぎまでに終え、篠山にでも寄っていこうとなりました。
北神戸戦から三田を経て舞鶴道に入り、西紀のPAに至るまでに、篠山南口のIC.時間的に人もまばらな、篠山城祉間じかの物産館「ささやま」を冷やかして、一路372号を亀山方面に向かった。
結論を急ぎましょう。たまたま、やみくもに泊まれることだけを願って予約した すみや亀峰庵がまさに大正解。
隠れ里の湯をテーマに、これほど鄙びた風情ながら、よく手入れされた室内・調度・料理と供し方。さりげなく用意された徒然ルームの贅沢さ。ただ華美な内装を廃して、オーナーのセンスの良さをうかがわせる彫刻・砥象の数々。縦型ながらPIANOもあって、自由に御弾き下さいときた。肝心の湯処「山里」も自然石をふんだんに使った、あったかみある、設えだ。
部屋には掘りごたつがよういされ、朝夕の冷え込みは半端じゃないとのことだ。
中国道・中国池田ICを降りて、432号を走れば、明石から一時間半とはかからず行ける隠れ宿。
もう少し早く見つけておけばよかった。前立腺全摘の暁は、隠れ宿も用事がないというものです。
伊勢湾道路に入り、長嶋スパーランドの威容を横目に観て、今日も渋滞の四日市IC付近でバイクの大集団に遭遇。100両はおったでしょう。隊長の指揮が行き届き、一糸乱れぬ隊列は実に清々しい。日頃うるさいだけの暴走族とはまるで違った。伊勢バリアーと称して伊勢道路の終点に至る。
ところで伊勢神宮の祭司様は池田厚子様。天皇陛下の御姉上。
というのも、今日は11月23日の新嘗祭が執り行われている。皇居では天皇陛下が、そして伊勢では厚子様が司祭として、外宮・内宮に順番に執り行われ、五穀豊穣を神様にお礼するお祭りだ。
そういえば、妹の嫁ぎ先の母屋も新嘗祭を司どる旧家であるそうな。
というわけでこの日のお伊勢さんは、駐車場満杯の大渋滞。土地勘のない所で順番を待たせられるのは実にまどろこしい。しかし、お伊勢詣りということで大人しく順番を待った。
神宮入口の駐車場にやっと案内されて、勇躍宇治橋を渡る。五十鈴川の清龍に手を浸しやっとお参りにきたらしくなった。思い出せば17年前(平成4年)、長男の就職間際だから3月に家族揃って伊勢志摩旅行をしたもんだつた。あの当時はまだ母親・みつえさんも元気だったのに。
本宮へと急ぐ途中、突然人並みが途切れて、斎服の一団が一列になって、静静と進んでくるのに遭遇した。
先頭を歩まれる女人が池田厚子様に違いない。高貴な御姿に思わず頭が下がる。おれも大和男児にちがいなかった。
本宮前はお正月に次ぐ大勢の参拝者でごった返していた。それでも皆さん笑顔・神妙顔が交互して静かに行列に並ぶ。
この神様にこそ前立腺がん快癒をお願いしなければ。一心の祈りを込めて長い長いお祈りを済ませる。
あとはお札を頂いて、おかげ通りに直行だ。あの赤福も完全復活しいぇ、以前より流行っているんじゃないのかな。赤福ぜんざいを頂いたりして、鳥羽・美空伊勢エビ料理店の予約時間に間に合うのかな。
早朝6時、眼前にそびえるトヨタ自動車本社の威容も黒々とした影にしか見えない。辺りはまだ真っ暗闇だ。
昨日降りた豊田松平ICに戻り、あとは153号を急ぐ。あの渋滞は万が一も無かろうと目を凝らしながら道を急いだ。追分の合流点を早く抜けないと昨日の二の舞だ。幸い目指す追分は簡単に通り抜けた。
臨時駐車場に放り込まれた昨夜は、そこからかなりの距離を歩かされたことを思い出し、出来るだけ近くの駐車場を、出来れば入口の大駐車場をと、川沿いを走る。
香嵐渓入口に着いたのが6:30頃か。しかしすでに一番便利な駐車場は満杯の看板。沿道の庭先で少しでも空地があれば、全てが臨時駐車場に早変わり。少し奥まった場所へは旗を持った案内人がまるで客引き状態。誘導のおじさんの旗のとおり進んで行きついたのが、待月橋を左に見て、対岸をかなり奥まで進んだところ。足助屋敷の裏側に通じる橋の袂でした。
昨夜のライトアップは、ほんと真っ暗闇のなか、どう歩いたのかよくは分からなかったが、一応足助屋敷から西の入口までの地理は頭に入っている。もう朝日が対岸の山々を照らす。山影になって、モミジがおひさまに照らされるのは、お昼をすぎてからになりそう。と思って足助屋敷の奥を見ると、そこはドッグレッグしていて、朝日に照り輝く紅葉が見える。一の谷という一角だ。
待月橋の袂から河原に降りて、モミジを見上げる。足助屋敷のかやぶき屋敷を眺めたり、一の谷に架かる吊り橋を怖々渡ったりする間も、香嵐渓に押し寄せる人並みはますます多くなる。
朝飯抜きで飛び出したことで、お腹もすいたことだし、名古屋地方のモーニングとやらも食べてみたいということで、伊勢に向けて出発したのが9時前でした。153号を逆に、もとの豊田松平ICへ走ったのですが、もう駐車場の出口から車が連なり、延々細い県道を優に10K以上連なってほとんど動かない。
我が作戦がかなり正解だったと弘子ちゃんと顔を見合す。ICちかくの喫茶店で頂いたモーニングは名にしおう
豪華版で美味しかった。あれでは儲けにならんだろうに。
豊栄町の交差点角にプラザホテル豊田を見つけて飛び込む。メンズサウナ24Hと大書した看板があり、その奥にビジネスホテルらしき入口・ホールが見える。入口横歓迎看板には、トヨタ退職者何某激励会なんぞの字が躍る。予想とうりトヨタ御用達のホテルと見た。
クロークの時計をみるともう10時を過ぎている。対応に立った女性を見てびっくり。かなりなヒナマレ(雛には稀な)美人・安江嬢。こうなれば泊はここにしようと即決して、ツインの部屋を頼んだ。
食事を聴くと、サウナ付属の居酒屋が2時までやっているとのこと。定食の割引もありますと親切この上なし。
しかしどこか彼女に元気がない。おもわず、ところで豊田市の景気はどうですかと問うと、すかさず、憂いを額に集めて、だんだん景気が悪くなっているようです。アメリカ発の金融不安・自動車売上不振以降、出張にお出でになるかたはむしろ増えたようですが、予算が絞られているのか、お金をお使いになりませんと溜息。
ついこの間、半年ほど前まで、史上最高の売上を誇り、怖いもの無しと思われた天下のトヨタに俄然暗雲がたちこめたことが、トヨタ本社に一番近いビジネスホテルが売りのプラザ豊田でさえ被っている影響から分かった。男性客のみが利用できる、サウナのサービス券を頂いて、私だけが何とかの皺を伸ばさせていただきました。明日は、6時には香嵐渓へ出発すると言い残して早々に高鼾。しかし、これがまだまだ甘かった。
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永遠の自営業者で好奇心の塊。
自他ともに許す体育会系ミュージシャン(SoccerとTronbone)