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 母親が遺したアルバム・スクラップを整理。
なにせ常にだれかのフアンで、覚えているだけでも高田浩吉・春日八郎・先代扇雀・尾上菊五郎・先代貴の花等一度フアンになれば一生続けるといった塩梅でありました。
特に高田浩吉は知人が満州で同じ兵役仲間だったこと。春日八郎は映画館の実演で妹が花束贈呈を頼まれてから、熱心なフアンとなりました。
そんなことを思い出しながらの整理中出てきたのが、まるで赤茶けた新聞半面。
これは放かそうかと紙面を点検しますと、なんと懐かしや、昭和51年11月5日明石市民会館中ホールで行った
「JAZZ街あかし」の予告記事ではありませんか。
このコンサートは我々アマチュアバンドを市民会館企画が応援して、目玉として北村英治(クラリネット)を迎えての
当時としては画期的な内容のコンサートでありました。
赤茶けた紙面をまじまじ見るうちに33年前にワープする想い。
何を思ってのスクラップだったのか。
我が息子・娘の最大のフアンで有り続けた母親の気持を再確認させられたというわけか。
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 かの雪印騒動の際、早期退職に応じて55歳。それから不思議な御縁で小岩井に5年間お世話になったとか。
その間計量士の資格を生かして、物流コストの大幅改善を実現す。
実際、彼の物流コンサルはかなりのもの。特に現場主義の説得力は迫力十分で、このタマを逃す手はありません。
現場たたき上げで、日本の食品大手をつぶさに見てきた経験も貴重だ。
色々話を聞くうちに、次なる一手は各地商工会議所・運輸部門に彼を売り込むマネージメントを俺に任せろと申し入れる。まあ2-3割のマネージメント料でいいからと押しつける。
本当の目的は、物流用地・倉庫のことは私にお任せあれという魂胆だ。
もちろんそのことはアリチャンもお見通しで、生返事しか返ってこない。
いやこの際、この方向から物流立地をせめてみるのも良いかもしれません。
持つべきは友であります。

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 態々厚木からアリチャン台風来襲。
まあ年に3-4回、大阪の客先へのお仕事で出張の際、勤めて青春の地明石に立ち寄ることにしているとか。
ボッサ・リオの初代PIANISTでしかもPIAN持ち込みという念のいった登場でした。
私が山陽横町で開けていたカレー屋に立ち寄ったばかりに、その後の青春まっただ中の時期を共に過ごすことになってしまった仲間。
我が家の公式行事のスナップ写真には何故か必ずアリチャンが写っています。
その彼が嫁を娶った直後、雪印東京本社に転勤となり、それ以来、今度はたまの年賀状交換ぐらいのお付き合いになっていました。内心薄情なやっちゃと思っていたのは確か。
その彼が、弱い60歳を超える頃、東京・日本橋での3男の結婚式会場に顔を出してくれてから、そうもう3年前になるかな、大阪への出張の度に明石に立ち寄り、一夜歓談して帰るようになりました。
とくに今年初めには小生の前立腺手術騒ぎの際は態々来明して見舞ってくれました。
九州・中津の出身で、やはり福沢諭吉を尊敬しつつ、雪印・小岩井と乳製品メーカーの物流一筋にキャリアーを重ねてきた彼は、なかなか理系人間で、物流管理に関しては、痒いところに手が届くマネージメントのカリスマといえる程のノーハウを持っています。
とこれは、彼の真面目なビジネスの顔。
ところが明石に着いた途端、どうやら40年前のアリンコ・ピアノに戻ってしまうらしく、とたんにテンションが高まるようだ。
今回は、いまだ私が知らなかったエピソードの数々を披歴(白状)して帰って行った。・・ああ台風一過の如し。

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 なおJAZZのこと。
何気なくCDを整理中、LOUIS の HOT FIVE と HOT SEVEN のBEST盤を発見した。
メローサウンドと舶アキラワールドに浸った直後、このCDとの出会いは何なのか。
思わず、聴くことに。
全18曲のうち、BASIN STREET、ST.JAMES などは皆様にもお馴染みの曲。
と聴き進むうちに12曲目、突如いやというほど聴いたことのあるトランペットのイントロが鳴り響いた。
そう、あのWEST END BLUES のLOUISお得意のカデンツア。
この段階では、偶然に巡り合ったという程度の感じだったが、18曲目になって、こんどはTIGHT LIKE THISが出てくるに及んで、そのバッキングを聴くに及んで、否でも思い起こされるのが、伊藤隆文のARRによる、  LOUIS MASTER PIECE のこと。
伊藤隆文が日本のルイ・アームストロングと言われた訳が今にして呑み込めた。
といっても、よく聞くとまるっきりのコピーではなく、聴きこんで自分の中で消化しきったうえでのソロワーク。
それゆえ、ルイの雰囲気がそのまま伝わってくるようだ。
とくにWEST END BLUES は先日の神戸JAZZ ストリートの前夜祭、オランダからやってきた3人のサックス奏者がしゃかりきになって吹いていたが、ターヤン(伊藤隆文)のひと吹きには敵わない。
これにあと、DOWN SOUTH が加われば、1PET、2BONE で最初のステージとなった、そごう屋上での全日本デキシーランドフェステイバルでの再現となるんだが。
と言いながら、恐ろしや我が体内にすり込まれた ターヤン節がまたまた疼いてこようとは。




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小鼻を膨らませて一心にソロをとっているのは弟の津野啓三。
この舶アキラプロジェクト・垂水アジトに参加して一番得るものがあった一人といえる。
何しろ、トロンボーンが好きで好きで、最近は毎朝明石海岸に出没しては朝練に励んでいるとか。
明石海岸のラッパおじさんで有名らしい。
その彼のラッパ歴と言えば、明石附属中学よりブラスバンドに入部。どうやら兄貴と同じ楽器を選んで、競うつもりだったらしい。
4年違いながら、私が大学入試で2度の足踏みをしたことで、社会的には2年違いとなった。
ともに、明石高校音楽部で、OB吹奏楽団では1STと3RDとして不動のトロンボーンセクションを確立。
全日本吹奏楽コンクールで4-5度優勝した際のメンバーとして楽しませていただいた。
弘子ちゃんは啓三の1年先輩のフルートで、その縁もあっての今日だ。
彼は、高校卒業ののち関学軽音楽部へと進む。 デキシー・モダンとこなしながら4回生ではスイングバンドのバンマスを任され、確かコカコーラ主催の西日本ビッグバンド選手権で優勝したはずだ。
卒業後は、YAMAHA神戸店の楽器主任として、安売りの津野で有名だったとか。
定年になるまで、楽器一筋、その間も明石メイトオーケストラを結成して演奏活動を今になるまで続けている。
JAZZ,SWING畑での40年。 バンドの指導、譜面の収集など大変な苦労の中、いつもその演奏を聞かされながら、SOLOをとったときのフワフワとした鳴りが気になっておりました。
一体何が言いたいのかわからない。ただただその場面での音を埋めていると言ったらいいのかな。
そのことは、今日まで言ったことはなかったが、一昨日の彼のソロを聴いて、音に芯が出来ていたこと、十分に歌っていること、旋律に無理がないことなど、一言で言えば「邪魔にならんボーンになった」。
トミー・ドーシーとはいかずとも、トミードーシタぐらくはいってる。
この邪魔にならないは、実は大いなる褒め言葉で、舶アキラアンサンブルの有名ではないが、プロの皆んに混じって居れるだけ立派。
後、10年吹いても片岡師匠の年齢だ。この年になっても研鑽を続ける姿羨ましい限り。
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