書きますよ~皆さんついてきてくださいね!
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1978年6月3日の第13回全日本デキシーランドジャズFESTIVALに出演したころ、伊藤隆文は久米の仙人・ターヤンになっていたと10月13日の項で書きました。なにしろY子に夢中で気もそぞろ、40歳以上年下のジョノカ(彼女)が出来て、自身は独身であります。そのジョノカを俄か歌手に仕立てて歌わしちゃった。神戸のジャズ愛好家連中に通じる筈がない。それも天地真理の「水色の恋」ときた。ここまでのめり込む気持ちは今なら分かるようなきがします。ターヤン最後のローソクの火が燃え上がっていたんだ。
運悪くこの演奏会では、前の2回分の上出来の名残があって、出番もオオトリで最後となっておりました。
神戸祭り協賛とあって、TV放送もされると聞かされた。実は前回のTV放送の時、世間一般にはまだまだビデオレコーダーを持っている人が少ない頃で、仕方なく岸本カメラのT氏に録画をくれぐれもお願いしていたのに、仕事に追われて録画しそこなった失敗がありました。今回はその轍を踏むまじと万端用意して待ちかまえておりましたのに、バンドの連中も親戚一同にTVに出るから見てねと言いふらしておりましたのに、刻々と迫る放送時間終了間際になっても我々の姿はブラウン管に写らない。最初はラストに滑り込みで入れてくれているだろうと高をくくっているうちに、番組のエンドロールが流れ出した。その時になって、あの内容と出来上がりでは放送出来たもんじゃないと気がついた。さすがにターヤンもそのことに気がついたらしく、ジョノカをあまり店に連れてこなくなりました。その代りに以前に増してジャズ教室が厳しいものになったことは言うまでもありません。
そしてメンバー一同が口々に、悔しさを晴らすためにも自主番組でTVに出たいものだ言い出した。
このころになると、ハウスピアノにまだ高校生だった大里聖彦、和歌山大学経済学部の教授でもあるクラの渡辺氏、バンジョーの大森氏も飛び込みで、シンエーフーズを飛び出したペットの南野君がお店のスタッフにと所帯が増えてまるで一大ファミリーを形成するに至っていた。VOCALには宝塚出身の明石純さん、もちろん弘子ちゃんもフルートで参加。メンバーの家族ぐるみの付き合いとなったおりました。
この情景を「伊藤隆文とJAZZ仲間たち」と題して番組を作ろうという案がどうして出来たのか覚えていないが、もちろん末廣光夫御大にナレーションをお願いして、今度はゲストなしで、明石メイトジャズとの共演のみで録画しちゃいました。もちろん放送をばっちり録画したことは申すまでもありません。
全員がこの企画のためクタクタになっちゃって、急遽このTV出演を第5回GOOD TIME JAZZ FESTIVAに換えることでお茶を濁すことにとなりました。 ・・1979年(昭和54年)6月3日のこと。
運悪くこの演奏会では、前の2回分の上出来の名残があって、出番もオオトリで最後となっておりました。
神戸祭り協賛とあって、TV放送もされると聞かされた。実は前回のTV放送の時、世間一般にはまだまだビデオレコーダーを持っている人が少ない頃で、仕方なく岸本カメラのT氏に録画をくれぐれもお願いしていたのに、仕事に追われて録画しそこなった失敗がありました。今回はその轍を踏むまじと万端用意して待ちかまえておりましたのに、バンドの連中も親戚一同にTVに出るから見てねと言いふらしておりましたのに、刻々と迫る放送時間終了間際になっても我々の姿はブラウン管に写らない。最初はラストに滑り込みで入れてくれているだろうと高をくくっているうちに、番組のエンドロールが流れ出した。その時になって、あの内容と出来上がりでは放送出来たもんじゃないと気がついた。さすがにターヤンもそのことに気がついたらしく、ジョノカをあまり店に連れてこなくなりました。その代りに以前に増してジャズ教室が厳しいものになったことは言うまでもありません。
そしてメンバー一同が口々に、悔しさを晴らすためにも自主番組でTVに出たいものだ言い出した。
このころになると、ハウスピアノにまだ高校生だった大里聖彦、和歌山大学経済学部の教授でもあるクラの渡辺氏、バンジョーの大森氏も飛び込みで、シンエーフーズを飛び出したペットの南野君がお店のスタッフにと所帯が増えてまるで一大ファミリーを形成するに至っていた。VOCALには宝塚出身の明石純さん、もちろん弘子ちゃんもフルートで参加。メンバーの家族ぐるみの付き合いとなったおりました。
この情景を「伊藤隆文とJAZZ仲間たち」と題して番組を作ろうという案がどうして出来たのか覚えていないが、もちろん末廣光夫御大にナレーションをお願いして、今度はゲストなしで、明石メイトジャズとの共演のみで録画しちゃいました。もちろん放送をばっちり録画したことは申すまでもありません。
全員がこの企画のためクタクタになっちゃって、急遽このTV出演を第5回GOOD TIME JAZZ FESTIVAに換えることでお茶を濁すことにとなりました。 ・・1979年(昭和54年)6月3日のこと。
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第1回 ゲスト司会・安達晴彦 (メモリーズ オブ ユー)1975.4.23
第1回の司会者が安達治彦といとも簡単に書いておりますが、安達治彦氏は知る人ぞ知るJAZZ・ディスクジョッキーでSTANDARDを語らせると止まらなくなるという人気アナウンサーで、そうそう呼んで気安くきてくれるようなお方ではありません。たしか「安達治彦のメモリーズ・オブ・ユー」では人気を博し、私もこの番組(ABC)の大フアンでありました。残念ながら、1992年に脳卒中で倒れられ、タレント活動を休止された。2000年4月12日肝臓がんのため他界された。この時の実況テープが残っていて、いかにもJAZZをともに楽しんでいる姿が目に浮かぶような司会ぶりであったのを思い出します。・・それもこれも人気者の伊藤隆文の人脈でお願いできたことは言うまでもありません。この傾向は第4回のGOOD TIME JAZZ CONNCERTまで続き、おかげで当時のこの明石では考えられない豪華なゲストを迎えてのコンサートとなりました。
第2回 ゲスト・末廣光夫 1976.4.28
すえさんについては今更説明の必要もありません。神戸JAZZ界を仕切るMUSIC・PRODUCER.
第3回 ゲスト・小山乃里子 1977.4.20
「ノコさん」のニックネームで知られるラジオ・パーソナリティ、フリーアナウンサー。このころは「ごめんやす番場章夫です・MBSラジオ」で毎日お耳にかかっていて、声からのイメージがありましたが、ご本人にお会いして、まったく違った佇まいだったのに驚いた。しかし、お話をしてみると「ア、ノコさんだ」と納得。
第4回 ゲスト・古谷哲也(コンガ奏者) 1978.4.?
通称 古哲さんはコンガ奏者とあるように、数少ないアフリカリズムを感じさせる演奏ぶりでした。彼とターヤンがリズムセッション・バトルを始めると延々終わるところを知らず、まるでアフリカのジャングルの住人の如し。その後は古哲リズムワンダーと称し、子どもたちに音楽の楽しみをまずリズム遊びから教えることに情熱を傾けておられたが、さる2008.2.16前後に亡くなっておられました。
ところでこの時のゲストが物凄い。伊藤隆文人脈を駆使してというより、ターヤン復活とあらば是非駆け付けて演奏を共に楽しもうと言う面々がずらり揃った。
司会はどうしても末廣光夫氏。東京からターヤンの古巣でもある「薗田憲一とデキシーキングス」とVOCALの森サカエさん。地元BIG DIPPERも応援に駆け付けて賑わい、極めつけは南里文雄大師匠が再び参加して下さったこと。・・・森サカエのTHATS MY BABYはいかにもデキシーらしい色気のある歌でござんした。
バリバリのプロの前で吹く羽目になった我々は、それでも演奏が始まれば気遅れも何も吹き飛んで、ターヤンを頼りに頑張ったことを覚えています。やはりターヤンらしいと口々に感想が相次いで面目を施した。
薗憲さんのバンドは、売り物のハッピーデキシーそのもの。ラッパの、クラの、バンジョーの超絶技を目の当たりに見て、あっけにとられた。・・プロは凄いわ。
残念なことに、その時はみんなが驚くほどの元気で「ラビアンローズ」を吹いて下さった南里師匠が翌年(1975年・昭和50年)8月4日に亡くなることになろうとは。ご逝去の一報に接したときの衝撃は、このときのセッションがあまりに楽しかったことを、改めて思い起こし、より深いものとなりました。
薗田憲一氏も2006年7月12日に亡くなられたとか。トロンボーンとチュウバの薗田兄弟は奇しくも、土佐は須崎のご出身。我々津野兄弟と同じルーツでありましたが、この時は、その事実をしるよしもありませんでした。
全日本デキシーランドフェステイバルに出演するのもいいが、自主公演も企画せねばならなくなった。ジャズ好きの常連のなかから、ハウス・ビッグ・バンドを結成しようとの動きが出てきた。たまたまお店に立ち寄ってそれ以来、演奏のある日には欠かさず顔を出していた、西区工業団地の神戸造機勤務の港良一さんが、近畿大学時代のバンド経験を生かして、バンド結成の音頭を取ってくれた。お店の休業日・毎週水曜日だったか。練習会場に提供しての練習が始まった。今でも不思議に思うんだけど、あれよあれよと言う間に、ビッグバンドワンセット出来ちゃいました。名付けて『明石メイトジャズオーケストラ』。このメイトというのは、我が母店・事業本体である喫茶リオ・ブラジルがあった明石ダイエー東館地下飲食街の名前だった。
バンドとして恰好がついてくれば、演奏を披露したくなるのは人情。昨日のタコタコでも顔を見せていた、ベースのゲンサン、メトロノーム生頼、津野啓三、裏方にまわっていた川崎小倉昆布君等。サックスの番ちゃんに段ボール橘ちゃん、ギターの島ちゃん、ペットの杉本の名前も覚えていまっせ。コンサート会場としては、念願の末やっと完成実現していた明石市民会館の中ホールが御誂えむけ。約500人は入るそうな。非営利なら使用料もリーゾナブル。入場料の上限は500円以下。そこで額面499円にして1円玉を貼り付けて500円で売りさばく。出演バンドはボサリオ一座と明石メイトジャズの2バンド。ポスターも仲間の誰かが手作りしてくれたはず。かくしてコンサート名も私の独断で『GOOD TIME JAZZ CONCERT』と名づけ全てが順調にことは進んだ。ところが市民会館の使用者欄に営業店の名前を使うと使用料が非営利にならないという事態になった。まあそんなことをクリヤーするなんぞ訳も(屁のカッパ)ない。その場で明石デキシーランドジャズ協会を結成し、会長・津野伸一と書き込み会場申込完了。
以来6回にわたり開いた主催者はこの明石デキシーランドジャズ協会となっている。そのうえいまだこの協会は休眠ではあるが、解散消滅したわけではない。だって会長1名会員1名なんだから解散のしようもありません。
第1回 GOOD TIME JAZZ CONCERT 司会・安達晴彦
1975年4月23日 会場・明石市民会館中ホール
バンドとして恰好がついてくれば、演奏を披露したくなるのは人情。昨日のタコタコでも顔を見せていた、ベースのゲンサン、メトロノーム生頼、津野啓三、裏方にまわっていた川崎小倉昆布君等。サックスの番ちゃんに段ボール橘ちゃん、ギターの島ちゃん、ペットの杉本の名前も覚えていまっせ。コンサート会場としては、念願の末やっと完成実現していた明石市民会館の中ホールが御誂えむけ。約500人は入るそうな。非営利なら使用料もリーゾナブル。入場料の上限は500円以下。そこで額面499円にして1円玉を貼り付けて500円で売りさばく。出演バンドはボサリオ一座と明石メイトジャズの2バンド。ポスターも仲間の誰かが手作りしてくれたはず。かくしてコンサート名も私の独断で『GOOD TIME JAZZ CONCERT』と名づけ全てが順調にことは進んだ。ところが市民会館の使用者欄に営業店の名前を使うと使用料が非営利にならないという事態になった。まあそんなことをクリヤーするなんぞ訳も(屁のカッパ)ない。その場で明石デキシーランドジャズ協会を結成し、会長・津野伸一と書き込み会場申込完了。
以来6回にわたり開いた主催者はこの明石デキシーランドジャズ協会となっている。そのうえいまだこの協会は休眠ではあるが、解散消滅したわけではない。だって会長1名会員1名なんだから解散のしようもありません。
第1回 GOOD TIME JAZZ CONCERT 司会・安達晴彦
1975年4月23日 会場・明石市民会館中ホール
毎年この時期になると、明石で開かれるJAZZコンの知らせが耳に入り、内心は古傷を思い出すようでなるべくなら行かずに済ませたいのだが、啓三からのお誘いTELと弘子ちゃんが行かないとと用意をするもんだから、おずおずついていくこととなる。
最近、明石市はなんでもかんでもTACOを付ければ良いと考えているらしく、タコフィルのタコジャズのと芸のないことおびただしいもんだ。といっても、我が土佐も龍馬空港の竜馬温泉のと、やってる事は同じか。
今日の会場、明石公園中央広場は雲ひとつない快晴に恵まれて、聴衆は木陰を求めての観爛となった。
我々はステージの真正面、ベストの位置に陣取って、いやいやの筈が、ビデオ・カメラと用意して、気合いが入つている。
当ブログで記述進行中のMUSIC INN BOSSA・RIOに蒔かれたJAZZの種が35年後にここまで育つとはとの感慨は一人私だけのもので、プレーヤーも観客も実に楽しそうにJAZZにひたっている様子。実際JAZZコンにこれだけの聴衆があつまるだけでも大したもので、控えめながら手拍子も出て、聞き手もかなり成長しているのを感じた。会場のそこかしこにおなじみの知って顔が散見。べースの今井正芳も一緒になって生演奏を楽しむ。
肝心の聴いての勝手な感想を2・3。①会場の広さ、OPENに対しPAが少々貧弱だったのでは。②各バンドの方向性、目指すところが今回ははっきりとしていた。③私には驚きの明石南高校OBバンド・BLUE SOUNDS 135°のトランペット。バンドマスター小林明氏は宝塚劇団のバンドでご活躍とはさんざん聞かされていたが、私にとっては幻のペット。片岡学氏と並ぶ明南が生んだペットの名手。その指揮ぶりからして、懇切丁寧なお方とおみうけする。そして圧巻は「エストレリータ」のSOLO.。74歳であの音はあり得ない。ベルベットとはいわないが、明石のハリージェームスと称したくなる色気十分です。かねがね明南ブラスが盛り上がっているとはきいていましたが、今目前に居並ぶ我々よりもう一世代上のJAZZメンこそが明中音楽部から、泣く泣く明高、明南と分裂を余儀なくされた時の残党ではありませんか。この年代は戦後のアメリカ音楽・進駐軍のJAZZに突き動かされてあまたのJAZZメンを輩出した歴史があります。まるで40年はワープした心地がしました。
④川重バンドが今回で解散とか。ご苦労さま。⑤エバーグリーンがジュウクボックスJAZZとは言い得て妙。やはり50-70歳のお楽しみバンドながら、実力は侮れません。⑥メイトJAZZはもう素人の域をはるかに超えました。選曲からして玄人好み。心配はプレーヤーも聴衆もどこまで付いてきてくれるかなとの一点。⑦ジュニアバンドが良かったね。高校生だからとなめたらいかんぜよ。個々の音だしはまだまだかも知れないが、今回を目指して相当アンサンブル練習を重ねた努力を感じましたよ。このバンドがこれ一回で解散とはもったいないかぎりです。⑧SFは藤原君の提唱バンドと理解している。各バンドの選抜があつまってのレベル高いよ。⑨ゲストのアルトサックスの宮崎隆睦は物が違ったね。高校生のころメイトジャズに参加していて、たびたびエラウマのSAXと聞いてはいましたが、その後の精進ありあり。本物の演奏は迫力満点。第二のナベサダといったら本人はおれは宮崎だと言うに違いない。今は吹きすぎの感あり、あと10年経ってワビ・サビが出てきたときジックリ聞きたいな。⑩運営の中心・薮内良治君と藤原建材店若旦那に感謝。
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