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 片岡 學師匠からもったいなくも昨日のお礼の電話を頂いた。私のほうから楽しませて頂いた感謝を申し上げねばならないというのに。
感想を求められて、如何なる場面でも唱っておられると申し上げた。
氏のこのシリーズ、300曲を超えるという。是非、次の世代に繋いでくださいと改めてお願いしました。
だって、これはJAZZのEVER GREEN そのものだもの。

ステージを飾るのは何と言っても、女性シンガーだ。舶氏は歌姫と紹介していたが、シンガーと紹介すべきだ。
といっても、ほとんど場合が、彩、花を添えるといった役割で、シンガーというに耐えているかどうかはそれぞれだ。
このステージは違っていて、舶氏の垂水アジトに通う女性シンガーの中から特に選ばれた2人。
三石智子さんとヒラリ・ナオ。甲乙つけがたい競演となりました。

とくにヒラリ・ナオさんは、高校生の頃、制服姿でMUSIC INN・BOSSA RIO に現れて以来の再会で,途中2-3年前に西明石のライブハウスで BOSSA・RIO同窓会の際ちらっと見かけたぐらいで、客席最前列、かぶりつきで歌っている姿とは言え、しげしげ見上げる眼福に恵まれた。
驚くほど太い声と言えば聞こえは悪いが、今時この音域の女性歌手は珍しく、耳に心地よい。
1曲目英語の歌はそつなく歌い終えたように感じた。
圧巻は2曲目「DEAR MY LOVER」だった。
高校生から今に至るまで何が有ったのかは知らないが、心のうちから訴えかけるものが迫ってくる。
作詞作曲彼女自らと聞いて思わず頷いた。
言葉の語りかけと、舶アキラの素晴らしいサウンドが相まって、彼女のこのうん十年を垣間見るようで、何故かやるせない思いがこみ上げる。
女子高生・直子の実はフアンでありましたから、無理もありません。
こうなれば、今後は ヒラリ・ナオ のフアンに転向だ。
願わくば、大和言葉で綴った詩を歌ってほしい。もちろん舶アキラのメロディーで。
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 25日、神戸・北野の KITANO CIRCUS で JAZZ CIRCUS VOL.2 開催。
片岡 学氏が30年来率いる エスカイヤーズのスイートメローサウンドと 舶アキラ・アンサンブルのオリジナル曲の演奏を楽しむ。
JAZZなんて吹いて何ぼと考えていたが、よる年並み、ラッパ吹きは歯が命と気付いたとき既に遅く、歯の塩梅が悪くなって、どうにも吹けなくなっちゃった。
こうなりゃ、もういいやと思っていたのに、トロンボーン命の弟のたっての勧めで、VOCALを楽しむ気にちとなりにけり。
舶アキラ氏との30年余にわたる御縁と、片岡学氏の音楽の恩師チューサンに繋がる縁(えにし)の両方に絡めとられての今日のコンサート拝聴となりました。
片岡氏の北野クラブでの30年にわたるスイートMUSICの集大成に天才舶アキラのPIANOのバックアップが重なり、お好きな向きには涎を流さんばかりの仕上がりだ。
わたしも、エバーグリーンとも言える、1910-1930年代のJAZZに酔いしれ一時でした。
最後、アンコールにはエノケンメドレーまで飛び出しやんやの喝采。
片岡氏からは、明石でも演奏会を企画してよとの注文。
まあ前回、トランペット・メルヘンで1400人の会場を満員にした苦労を考えれば、明石での演奏会開催などお安いご用に思える。・・・まあ皆さんにも是非聴いてもらいたいものです。
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 神戸市・垂水のアジトの主、H君から収録日決定の連絡をいただいたのが、この13日。
今日は提出済みの愛唱歌10の中からか、準備して頂いている曲を収録して頂けるとのこと、
改めて、勢いでのはずみでのこととはいえ、前立腺ガンの検査に行く時より緊張しています。
後刻、成り行きは詳しく報告いたします。

1時過ぎH君登場。早速選曲と思いきやまずはお茶からということに。
かの伊藤隆文師匠の噂話・昔話に腹を抱えて笑う。いくつになっても珍談奇談エピソードの尽きない師匠の復活を願う言葉まで飛び出した。
すでに提出の愛唱10曲とやらを、あらためて眺めるH君。
私に合った曲を選ぶ眼光や鋭い。
ポピュラーな曲、ただメロを追いかければよい曲は外される。
結局は、STARS FELL ON ALABAMA に決定。
実はこの曲が一番難しい。
KEYあわせからテンポを探り、バッキングの構想もその場で、まったくの即興だ。
2・3度さらっと曲を流し弾いてとたんにシンセサイザーで打ち込みを始める。その間約40分ばかりか。
たちまち出来上がったカラオケはシンフォニックバラードに仕上がっていた。
じゃあ、一度歌ってみましょうかの声がかかる。
ヘッドフォーンに流れる伴奏を聞きながら恐る恐る声を出してみる。意外とご機嫌に聞こえた。
まるでオーケストラをバックに歌っているような錯覚に陥る。音楽の空中遊泳といえる。
試しを2・3回繰り返し、すぐさま聞いてみると、我ながら歌になっていないことに気付かされる。
とくにこの曲は、歌うよりも語らなっちゃいけないんだ。と分かりつつもかっちりリズムを刻んでしまっている。
そのうえ声も年の割には枯れていなくて、纏まりのない浮つきが出ている。
とても人に聞かせられたもんではありません。
案の定、H君からの提案は、今日のカラオケを持ち帰って出来るだけ歌い込んでみてくださいとのこと。
しばし、猶予を頂くことになりました。
自分的には、もう2曲ほど収録してもらって、かってのGOOD TIME JAZZ CONCERTでのDARK EYES(オチチョニア)とLOUI MASTER PIECES と合わせてCDに出来ればと夢見ていたが、このままではかなり道のりは険しいものになりそう。
それにしても、H君の才能とは恐ろしいものです。
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 懐かしさに突き動かされて、垂水のO君主催のMUSIC梁山泊を訪れたはいいが、勢いあまって愛唱歌の録音を是非やってみたらという話になってしまった。
10月1日にはこの4・5・6でどうですかとの連絡も入った。
ちょうど10月2日から10月10日までは孫の運動会・明石宅建協会のの親睦旅行で東北2泊3日、9日は神戸JAZZナイト。おまけに10日は大阪高知県人会総会と珍しく行事が目白押し。
連休あけの13日以降ならと返事をしてしまった。
中一からトロンボーンを担いで舞台には出ていて、不思議とラッパを手に持ってさえおれば、あがったりすることは無いのだが、人前で歌を歌うとなると、あまり良い思い出がありません。
確か明石人丸ライオンズクラブ5周年の記念ショーとして、明石市民会館大ホールで、レッツゴーデキシーと銘打って、レッツゴー3匹のお笑いと、伝説のトランペット・南里文雄をゲストに迎えたアンバサダー(コンボバンド)のステージで、止せばいいのに、南里先生作詞作曲の[限りなき愛情]を熱唱。
舞台中央に素手で出たとたん、人生で初めて上がってしまって、入りは間違うは、キーは取り違えるはで、とんでもないことにとなりにけり。
その苦い思い出が一瞬浮かんでくる。
毎年のアンサンブルコンテストの開会冒頭のあいさつで、来年はこれだけは伝えようと思っていた言葉が、「ラッパ吹きは歯が命」。
その言葉通りに、入れ歯じゃあ出る音もしれているし、音楽を楽しむにはVOCALしかありません。
アジトでの練習・録音を体験して、人生最後の記念にも生声を収録しておくのも悪くはない。
意を決して、O君に用意しておいた愛唱リスト(10曲ばかり)をおずおずと手渡す。
「なんや、もうその気でおますか。」と言いながらリストを見て、このラインアップならいつでもOKですとの返事。
さあ、それからが大変で、渾心の一曲をどれにするか悩みが始まった。
ただ、少し以前なら、こんな曲ではと思われるポピュらーな曲も入っていますが、この年になると、自分の好みならそれでいいんじゃないとの開き直りもあって、かろうじて歌詞をうろ覚えながら辿れるベスト10。

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 JAZZ事情といっても、この明石に限ってのことになるが、トランペットメルヘンの際4人のトランぺターが居並んでそれぞれが個性あふれる演奏を披露した。森・本木のブルーコーツ勢と神戸の片岡・伊藤の4氏は学年にして2-3年違いで、揃って有永正人先生の薫陶を受けた仲間でもあります。
戦後、新制高校が発足する際、同時に男女共学も取り入れられ、明石でも男子校の明石中学と明石女学校を併せて二つに割ることにしたらしい。それも地域を明石川の東地区と西地区に分け、東地区の生徒は男女とも明石高校へ、西地区の生徒は明石南高校へと編成された。
その際、明石中学にあった音楽部(吹奏楽部とは言わなかった)が当然二分されることになったが、事あるごとに合同の演奏・練習を有永先生の指導のもとともにしたとの歴史があります。
特に、ラッパ中心のバンドではトランペットは難しいメロ、主旋律をふきこなさなければなりません。
そう、このラッパ隊そのものであった、明石中のペットが、まさに米軍文化の最先端といえるJAZZ、それもFULLBANDのTOP吹きとして貴重な存在だったんだ。
片岡氏も明石南高校を卒業すると同時にプロとして佐世保からのスタートだったと仰る。
それから57-8年、常に時代の最先端をゆくペット吹きおして、大変なご苦労があったに違いない。
私が知っている限りでも、東京から神戸に帰えられて、かの北野クラブのバンドを率いて15年演奏されていたこと。
曰く、スイートMUSIC、またはシャンパンMUSICと呼ばれる分野の第一任者として、厳しいハイソサェテイの耳を満足させて余りあった事実。
アフターのお茶の席での話も尽きることなく、時間の経つのを忘れたひと時でありました。

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